◆◆◆「平和の主人」導入解読② 《仮説「双合55年プログラム」》これでお父様の生涯が詳細に理解できるようになります。
2016/3/20 22:00 「先駆者」様から資料を頂戴して、下記の《 「双合」のイメージトレーニングです。 》のことろ、訂正を加えました。
前回からの続きです。
原文を今回も載せました。
【 】は日本版から削除されています。
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お父様のみ言は人類救済のプログラムですから、簡単ではありません。忍耐と、集中力と、祈りと、謙虚さが必要になります。
最大の敵は傲慢です。知的傲慢。謙虚さのない傲慢。分かっているつもりの傲慢。
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本題に入ります。
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導入部分に関わるみ言を三つ紹介します。
目をとおしただけではチンプンカンプン・・・(>_<)、全く理解困難です。
1)「平和の主人」導入部分
〔A〕日本版の13ページです。
【 皆さんが知らなければならないのは 】 これからは先天時代から後天時代、本然のカイン・アベルの時代へと超えるので、
【 このみ言が分奉王(=54周年と108年)、金婚式(=50周年と100年)、協会創立55周年と110年、
その次に「〔◆〕自叙伝を(=お父様の生涯を)中心とする世界的な(重生摂理の)100日(=100年)運動と関連する」ものなのですが、】
(皆さんが知らない) (※1)新しい歴史を編成して、重要な時代に入る時であるということを、皆さんは知らなければなりません。
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2)「平和の主人」の《(11-1)》には
〔B〕
「・・・・十三日間(=お父様と子女様)が中心となって、戴冠式、金婚式、「世界基督教統一神霊協会五十五周年記念式」を中心として、百十周年(※2)祈願を作りました。百十年を超えるのです。
相対理想(=お母様の重生)があるのです。」と語られています。
「祈願って」、「百十年を超える」って、何のこと??
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3)「平和の主人」の《(20-8)》には、
〔C〕
「平和の王戴冠式、金婚式、それから協会創立記念式です。協会が変わったのです。家庭連合が出てきました。世界基督教統一神霊協会創立五十五周年記念式を(お父様が)(※3)「同伴」しながら百十数になります。
(※4)「双合」の五十五年である以上、百十年になったので、百年を超えることのできる(※5)「継数」が出てきました。」
「同伴しながら百十数」って何?? 「継数」って何???
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4)《 イースト・ガーデン訓読会のみ言 》 2003年5月22日
〔D〕
『 それゆえに、5月5日(双合十勝日2004/5/5)というのは、10数として、神様が春をお迎えして、夏が来る前に4月まで・・・。この期間に、先生が病気(インフルエンザで入院され生死をさまよった)になって修練期間です。このようにして、昨年10月から数えれば、11(11月)、12(12月)、13(1月)、14(2月)、15(3月)、16(4月)までです。
(「双合55年プログラム」からみて、この年はお父様の興南苦役の時期が重なっています。2004年の双合十勝日制定は、55年前の1949年のお父様の興南苦役路程が最大の条件となっています。
生死をさまよう《 インフルエンザで入院 》されたのも、その為と言えます。「16」は2003年4月のことです。この4月に退院でした。2003年-「双合55年プログラム」=1948年になるが、この前年1947年はキリスト教の失敗を蕩減する為に1946.6.6に北に上がられて伝道を開始した年であり、翌年、1948年4月に興南亨収容所に収監された年に同期する。
「16」数はサタン分立する時にあらわれる数字、完成数を願う理想数です。女性16万人摂理(実際は4万人弱?で困難が伴いました。)、興南解放に16ヵ国参戦でお父様解放、亨進様世界会長就任式から1600日にお父様の聖和によるサタン完全分立、サタン不干渉地帯。)
この数を(※6)「合わせて」、総蕩減することができる時代に入ってきました。ですから春を過ぎて夏において正午定着、影がない時代が来るのです。』
(お父様にとっての総蕩減は死の道を幾度も越えられた道でしたが、私たちの総蕩減は、象徴的な蕩減路程だと言えますから、私たちはサタンと決別する覚悟とお父様をメシヤとして絶対信仰を捧げることだけは必要です。)
この様なみ言を直接、聞きながら理解することは不可能に近いと思ってしまいます。み言が文章になっているから、時間を止めて、いろいろ考えて、いろんなみ言と関連させたりして、何度も読み直しできるから助かるのですが、お母様も、幹部の方達も、子女様達も、理解できるところしか理解できない、まだら的にしか理解できないとでも言いましょうか、理解不能、大変なことですね。
驚くことは、このみ言が、2004/5/5の「双合十勝日」よりも、1年前(2003/5/22)に「双合」の理念が、歯切れが悪く、語りづらそうに語られていたことです。
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〔A〕〔B〕〔C〕〔D〕の赤い(※)印の言葉を解読です。
(※3)「同伴」、(※4)「双合」、(※5)「継数」、(※6)「合わせて」
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(1)(※4)「双合」(2004/5/5)からです。
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このみ言はお父様の聖和後、お父様を中心とした新しい歴史観を編成する為の、核となるみ言です。その為にお父様は時期早々という理由で、このみ言だけでは理解することがほぼできないほどに、抽象的に、斑(まだら)的に語られました。
「双合十勝日」は聖和よりも8年前に、2004/5/5に制定されました。「平和の主人」も「双合」もお父様が聖和後の為に用意されたみ言だったと言えるものです。
ーーーー(訂正ヶ所です。)
それではここで、「双合」のイメージトレーニングです。(^^;)
その前に、このブログをご覧になって頂いた「先駆者」様からコメントと共に、本テーマにとって貴重な動画資料を頂戴しました。それが次の資料です。
動画《 「天地共鳴圏と真の父母様の聖婚」 》
この動画の24分55秒あたりのみ言です。双合のイメージが掴めるように是非ご覧ください。
「九と十がこのように合えば宜しいのです。このように、この様に合えば宜しいのです。双数になります。双数に、それは先生だけにしか分かりません。死んでみてください。そうすれば、皆が地獄に行くのです。」
それでは、上記のみ言を用いて双合のイメージトレーニングを致します。
上記の「九と十がこのように合えば宜しいのです。このように、この様に合えば宜しいのです。双数になります。」というみ言を語られながら、お父様が両手を合わせられるしぐさをされています。双数とは、九と十が合わさることです。
(この動画のしぐさ見て、一層、納得するものがありました。私はこれまで、お父様が両手の平を合わせられる時、同じ指同士を合わせると思ってきましたが、この動画はそうではありませんでした。)
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動画のしぐさから見た、双合の正しいイメージ
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動画では、右手の小指と左手の親指を重ねて、そのまま左手を反転させて、左手の小指を右手の親指に重ねます。
問題は、「九と十がこのように合えば宜しいのです。」というしぐさです。
十数は完成数であり、九数は十数の一つ手前の未完成数です。
お父様は再臨主としてこられて金百文牧師が一体となれば、その時が完成数の「十」数になるべき時だったと言えるのです。この「十」の位置が右手の親指になります。
ところが失敗して、「一」の振り出しに戻って興南という蕩減路程をお父様が歩まれることによって再出発することができるようになりました。そして、お父様の勝利の条件と一体となって、「二」「三」・・・・「九」を通過することにより、再び、「十」を完成させる時を迎えました。
この再び到来した時が、1992年の「メシヤ宣言」による「還故郷による氏族のメシヤ摂理」の時になります。お父様から直接招集された日本エバ国の16万人女性が一丸となって洗礼ヨハネの使命を担い、そこから代表的なラケルの立場の女性がレアのお母様の妹として立つはずでしたが、ことごとく失敗に終わりました。
更には、2001年の「神様王権即位式」も神様の願う基準で成すことができませんでしたから、完成数の「十」数に至ることができずに、完成数の直前の「九」数で足踏みしている状態にありました。そこでお父様は幕屋の摂理として「双合十勝日」の救済プログラムを奉納されたと「平和の主人」から読み取ることができます。
「十」数は自分の右手の親指をお父様の指と思ってください。そして、「十」に至ることができない「九」数は私の左手の小指になります。この小指が反転して右手の親指に合わせます。そして、全ての指を合わせます。右人差し指と左薬指、右中指と左中指、右薬指と左人差し指、右小指と左親指になります。
そしてお父様は次のみ言で、先生の「十」と皆さんの「九」の指が合わされば、後は全て先生の指と一つになって超えて行けば、皆さんが「十」の天の数として帰一できると語られています。
《 第一回「安侍日」 2004年5月5日 》 麗水・清海ガーデン
『・・・それで、(※)一から十まで、すべて天の数として帰一できる立場になったので、双合十勝数なのです。
その意味を知らなければなりません。そのような日を立てたのです。
ですから、日の光を望むすべての万物は、神様の所有圏に回復されます。』
(※)「双合55年プログラム」からみた場合、お父様の表示路程を歩む者ならば、何処からでも天の数として帰一できる立場に立ったということです。サタンの侵入する条件がないことを意味しています。
以上のように、「先駆者」様から頂戴した動画によって、双合のイメージがより鮮明になりました。改めに感謝申し上げます。
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仮説をたてます。
(検証は後でします。)
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この仮説は知れば知るほど、検証すればするほど、仮説ではなく、お父様が生きて私たちに働きかけておられることが理解できるようになると思います。私の論調に1ミリの間違いでもあれば、遠慮なくご指摘頂いて、その指摘にも耐えられる検証を重ねていかなければと思っています。
〔 仮 説 〕
後天時代は「双合十勝日」の2004/5/5からになりますから、仮に、この年を基点にして「100年運動」を捕らえますと、2004年から前半の55年を引いた1949年が100年運動の出発点となってしまい、出発点の1949年は既にお父様が興南の公生涯真っ直中にありますから、1949年を出発点とすることは理に合いません。
また、ご聖婚の年を出発の年とするのか、教会創立の年を出発の年とするのか・・・・・、「100年運動」の出発点と最終点を何処かに探し出さなければなりません。
実は、その答えをお父様は上記の〔A〕に、何処になるのかを教え諭すように語られています。
上記の〔A〕に「〔◆〕自叙伝を中心とする・・・100日(=100年)運動・・・」とありますように、「自叙伝を中心とする・・・」とは、お父様の「生涯を中心とする・・」ということですので、お父様の聖誕の年の1920年が出発点となります。
これを整理すると、
〔 仮 説 〕
前半の55年は1920-1975年となり、後半の55年は1976-2030年になります。
そして、「双合」理念によって、前半の55年間は後半の表示路程となって、後半の55年間になぞるように再び摂理が反復するように展開される。(前半の出来事が後半に半年から一年くらいのタイムラグがあるかも知れません)
例えば、1920年が1976年に、1945年が2001年に、1956年が聖和の2012年に、1960年が2016年に同時性として展開するようになる。
これを「双合55年プログラム」と呼ぶことにします。
本日はここまでにします。 ありがとうございました。
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次回は、仮説の例を二つ取りあげます。