平和の主人 血統の主人

まさに、成約時代の毒麦となられたお母様

《 黙示録18章 3-10 節 》

3 地の王たち(幹部たち)は彼女(お母様)と姦淫を行い、地上の商人たち(教会長たち)は、彼女の(高額献金を得た)極度のぜいたくによって富を得た。

7 彼女(お母様)は心の中で『わたしは女王の位についている者であって、やもめではないのだから、悲しみを知らない』と言っている。

10  彼女(お母様)の苦しみに恐れをいだき、遠くに立って言うであろう、『ああ、わざわいだ、大いなる都、不落の都、バビロンは、わざわいだ。おまえ(お母様)に対するさばきは、一瞬にしてきた。

◆◆◆「平和の主人」導入解読③-1 第一夫人の失敗に重なるお母様  1946年は2001年に重なる。天宙的洗礼ヨハネになる為に、お母様はお父様の手づくりで完成した。

この記事は、2021.3.31に加筆しています。


前回のブログは、「平和の主人」からみえてくる「双合十勝日」からなる「仮説:双合55年プログラム」を掲載しました。
詳細な検証は後日行いますが、理解を補助する為に、「仮説」の正しさを検証する為に、二つの例を取りあげてみます。


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   簡単に例を(1)(2)の二つあげます。
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(1)1945年を表示路程とする年は、56年後の2001年です。
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 お父様は公生涯出発として金百文牧師のイスラエル修道院に、1945/10~1946/4まで六ヶ月間入りました。しかし結果として金百文牧師は洗礼ヨハネとしての使命を果たすことができず、お父様は金百文牧師と別れを告げました。



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1)「双合55年プログラム」によると
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 洗礼ヨハネの金百文牧師のいるイスラエル修道院に入ったのが1945年でした。この1945年が表示路程となって、56年後、郭錠煥特別補佐官が金百文牧師の立場、お母様が第一夫人の立場で天宙的洗礼ヨハネの使命を担っていたのが2001年の「神様王権即位式」の摂理だったのです。


 「双合55年プログラム」からみた場合、この「神様王権即位式」こそ、お母様が56年前の第一夫人のの立場に立って、《 天宙的洗礼ヨハネ 》の使命を果たさなければならない時でした。


 金百文牧師の失敗は、重畳的に加算されて郭錠煥特別補佐官とお母様に関わってくることになりますから、お母様は、第二イスラエルのキリスト教を代表し、第三イスラエルの統一協会・祝福家庭を代表し、全人類を代表し、更には天宙的とありますように、霊界までも代表する立場に立たれていました。


 神様が立てられた金百文牧師を失ったお父様はアダムの責任として、ご自身の責任で、金百文牧師の立場に立つ郭錠煥特別補佐官と天宙的洗礼ヨハネとしてのお母様を育てあげる立場に立ちました。これは、モーセが石盤に十戒を掘る時に、一度目は神様から与えられましたが、二度目の十戒はモーセ自身が掘ったことと同じことになります。


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2) お父様がお母様を育てる為に行ったことは三つあげられます。
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 第一は、お母様の内的基準づくりです。亨進様も証された問題、お母様の最も苦しかった時代だったと言えます。それが、第一次七年路程を中心としてお母様の勝利圏を立てることを目的として蕩減路程を通過するだったのです。


 文先生は「アブラハムによるイエスの典型路程」を1945年の第一夫人に成されたように、第一夫人の失敗により、この摂理が1960年にお母様にも適用されたことは原理講論から理解できます。結局、第一次七年路程は延長になりましたので、第二回目が1992年のメシヤ宣布の直前になります。お母様はこの「アブラハムによるイエスの典型路程」の摂理で、堕落したエバの立場から堕落する前のエバの立場を復帰しなければなりませんでした。
この時の文先生の摂理的位置を「双合55年プログラム」から見ると、1992-56=1936年になり、この1992年は文先生はイエス様に霊的にお会いした時の16歳に重なります。
 これは、1992年から9年間という期間は、原理を究明された1936年から1945年までの9年間に該当するということです。つまり、1936年からの9年間は統一教会の経典となった原理解明の期間であったとするなら、1992年からの9年間は新しい時代の家庭連合の経典となる御言葉(天聖経)の解明であったと言えるのです。ですから、1992年以前の統一教会の立場で語られた御言葉は、1992年の摂理的プログラムが転換されたメシヤ宣布以降の時代圏には適用できない御言葉になります。つまり、イエス様を迎える前の旧約聖書を信じていた律法学者たちがイエス様が語る御言葉が理解できなかったことと同じ事が、統一教会から家庭連合に切り替わる時代圏にも起こっていたということです。


 この1992年の時、お母様が1960年の堕落を蕩減して復帰されたエバの立場に立てば良かったのですが、再び堕落した立場を再現してしまったのです。
 そして、文先生はこの時代圏からお母様と聖別生活に入られたことが御言葉から伺うことができます。あくまでも、1992年の文先生はこれまでの40年サタン分立路程とは全く違った、イエス様が再臨された立場に立たれたわけですから、堕落した立場に立たれたお母様とは一線を画さなければならなかった為です。
この時代圏も、お母様にとって第一夫人の失敗、第二夫人の失敗の全てを重畳的に蕩減を果たさなければならない立場にありました。


 この時代の内的問題はお母様の心の中に、今なお尾を引いている問題です。お母様の愛の問題ですから、原理を学ばなかった為、お父様を簡単に否定します。
 お母様は命のみ言を全く語ることができませんから、語られるみ言はみ言ではなく、お父様を否定して自己の過ちを隠して正当化することも知らずに語る講話です。


 第二は、1992年の「メシヤ宣言」をなして、女性の時代を迎えた以降、お父様は完全にお母様のホスト役に回られることが多くなりました。お母様の為に外的な環境を整備する為に、お母様を世界的に、天宙的にデビューさせる大会を数え切れないほど行いました。お母様がお父様の令夫人として最も輝いていた栄光の時代だったと言えます。
 まさに、このお方こそ、真の母であり、メシヤの相対であると、第二のメシヤ、第二の教祖であると思ったほどでした。事実、お父様はそのようにお母様を信徒達の前に証されました。
 しかし、お母様の輝きはあくまでもお父様の栄光があっての輝きであることを理解しておかなければなりません。お父様が太陽であるならお母様は月になります。

《 「人間に対する神の希望」 》(73.10.20 ワシントン リスナー講堂にて)


『ある有名な人がいるとします。そして彼の向かい側に、美しくもなく教育も受けていない一人の謙遜で、柔和な婦人がいるとしましょう。一たび、この素晴らしい男とその謙遜な婦人が愛によって授受の回路を結んだなら、彼女は即座に、彼と同等の名声を得ることになるのです。』



 第三は、お母様が天宙的洗礼ヨハネの立場に立つ為には、お母様が第三イスラエルの統一協会を主管する立場に立たなければなりませんでした。下記の御言葉がそれを意味している。


 この様に、統一基盤の会計権、人事権をお父様からお母様に付託されることによって、お母様が実質的に天宙的洗礼ヨハネの立場に立つようになったと言えるのです。


 その為に、お父様はお母様と幹部たち、お母様と信徒達を強く結びつける為に、最強のサポーター役を務められました。その為に、お母様を「第二の教主(天使長)とする」というみ言を語られ、お母様と信徒達を堅く結びつけることに最大の力を注がれました。
 一つの例となるみ言です。

(マルスム選集265-310、1994年11月27日)


「お母様を中心として皆さんが一体になっていかなければならない時が来ました。

もう先生がいなくても、お母様が代わりにできる特権を許諾したというのです。

お父様がいない時は、お母様のことを思わなければなりません。

そのように理解して、先生の代わりにお母様に侍る心を持ち、祈祷もそのようにするのです。

今までは先生を愛してきましたが、これからはお母様を愛さなけれぱなりません。

…ここにおいて、先生が第一教主であれば、お母様は第二教主であると世界的に宣布し、天地に宣布します。」


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3) 皮肉ではありますが、家庭連合が崩壊しない理由はお父様にあります。
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 今日のような原理を侵犯するような講話を、お母様が熱心に語られるようになって、家庭連合の内部矛盾が沸点になろうとしているにもかかわらず、空中分解を免れている最大の理由は、上記、第一、第二、第三のような、お父様のお母様に対する貢献度が非常に高いからです。これを知れば、お母様はお父様に、本当は感謝しなければなりません。


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4) 金百文牧師と同じ道を歩む郭錠煥特別補佐官
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 洗礼ヨハネの失敗は重畳的蕩減として加重されて後の人物が引き受けることになります。
洗礼ヨハネの失敗を金百文牧師が引き継ぎ、更に金百文牧師の失敗を郭錠煥特別補佐官が引き継いで蕩減することになります。


 そして、お母様には第一夫人の失敗、第二夫人の失敗が重畳的に蕩減が加重されることになったのです。第一夫人の離婚問題が統一協会の大迫害時代を招いたと語られたように、第一夫人の失敗は金百文牧師にも劣らない失敗だったと言えるのです。更には第二夫人の失敗もお母様に加重されました。


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5) 2001年の「神様王権即位式」ではお母様の使命が果たされていませんでした。
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 この式典は、お父様にとっては、56年前に立ち返って、金百文牧師と出会った時に相当する式典だったと言えるのです。金百文牧師との出会いが第一次摂理であったとするなら、即位式の式典はメシヤ宣布の失敗を取り戻す最終期限となる第二次の式典だったと言えるのです。即位式に臨まれる直近のみ言をお読みになれば、十分にそれが理解できると思います。
 お母様はメシヤ宣布の時と同じように、「神様王権即位式」でも天の願う入籍基準を満たすことができませんでした。
 そのみ言が次です。

 《 イースト・ガーデン訓読会 》2003年5月22日のみ言


『皆さんは、お母様の還暦の時、父母様が行ったことを知らなければなりません。その時の最初の儀式は何ですか。「天地父母様天一国開門祝福聖婚式」です! それは何の式ですか。(父母様の婚姻届を出す式です)。そうです。父母様の婚姻式です。


天一国になっているので、婚姻式をしながら聖婚式をするのです。

婚姻式をしませんでした。(婚姻届を出していないと言うことです。)

父母様が聖婚式を終えてこそ、神様が即位されるのです。それで順序がそのようになっているのです。父母様が天一国開門を宣布する結婚式です。』



 「平和の主人」には、何度もお母様の血統問題があったと語られています。お母様から幹部たち、全てではなくても地方教会長までも、天法の三法侵犯があったのです。一つは血統問題(権力、名誉との姦淫=血統問題)、二つは公金横領(全ての幹部たちの聖本販売による献金中抜き、公金横領)、三つは人権蹂躙(お金、コネ中心の人事)です。
 この天法の三法侵犯は完全にサタンの血統を意味していますから、「神様王家即位式」は御言葉によると、お父様たったお一人の信仰基準で、「死を前倒し」されて行われたものです。


次のみ言はそれをあらわしています。

(※)

《 2.四十日特別精誠期間、真の御父母様の準備のみ言 》


   ◎即位式一日前〈二〇〇一・一・一二〉
   ⑭千年、万年の恨を抱いて取り戻してきたこの道である


『神様の即位式がいつあるか分かりません。それを自分で悟らなければなりません。悟らなければならないのであって、神様が頼むことはできません。神様が頼むことができないというのです。頼んでも、神様が考える期間があります。


 それより先にして、その残りの困難なことは、私が責任をもつのです。(死を)前倒しするのです。縄が切れない程度まで引くのです。』



おおかた理解はできましたでしょうか。
「双合55年プログラム」からみて、1945年の金百文牧師と第一夫人の失敗は、56年後の2001年の郭錠煥特別補佐官とお母様に同期して、お母様はその責任を果たさなければなりませんでした。


しかし、その洗礼ヨハネの使命は金百文牧師に続いてお母様までも失敗することによって、2001年以降の摂理の黄金期を一瞬にして失うことになりました。その証拠に、この時期の統一運動がどれ程華々しかったか、皆さんがご自分の目で確認してくださるようお願いします。
《 統一運動 》をクリックして画面の左上をクリックしてご覧ください。



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6)「総合55年プログラム」の正当性を語られたみ言
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1946年と2001年に関することでお父様は次のように語られていました。


《 ニューヨーク・ハーレム訓読大会 2001.05.08 》 


『そうすれば、そのときから統一天下の運勢を受けて、1945年以後、3年半ないし7年間、1952年までに統一天下を成し遂げて、そのときに神様の「王権即位式」が終わっていなければなりませんでした。

(中略)

 それが40年間巡り、今日まで56年の歳月が過ぎました。


そして、この時代に「神様王権即位式」をすることができたということは、夢のような話です。


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2001年-56年=1945年・・・メシヤ顕現の時代が同期





本日の簡単検証、これで(1)を終わります。
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次回は(2)です。  本格検証は、後日改めて行います。

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