平和の主人 血統の主人

まさに、成約時代の毒麦となられたお母様

《 黙示録18章 3-10 節 》

3 地の王たち(幹部たち)は彼女(お母様)と姦淫を行い、地上の商人たち(教会長たち)は、彼女の(高額献金を得た)極度のぜいたくによって富を得た。

7 彼女(お母様)は心の中で『わたしは女王の位についている者であって、やもめではないのだから、悲しみを知らない』と言っている。

10  彼女(お母様)の苦しみに恐れをいだき、遠くに立って言うであろう、『ああ、わざわいだ、大いなる都、不落の都、バビロンは、わざわいだ。おまえ(お母様)に対するさばきは、一瞬にしてきた。

お父様とお母様が世の全ての罪を引き取る ☞☞ 1956年の御言葉 「イエス」=文先生  「聖霊」=お母様

この「イエス」とは・・・「私自体」と語られている文先生
 そして、この「聖霊」とは・・・お母様



『イエスは何故世の中の罪を背負った仔羊になったか

  (聖霊の苦労に対する人間の責任)』 

   1956年7月11日(水)  本部教会


 イエス様は実体の天の主人公として、被造世界の中心としてこの地上に来られました。ところが、聖霊は未だに体を持てなかったので、聖霊の苦労に対して直接慰めてあげられないのです。このような恨みを解いてあげる為、2000年の苦労の歴史を経ながら新郎新婦の理念を立ててきたのに、これを今日のクリスチャンたちは知らないのです。

 それでは、新郎なる天上のイエスの前に、新婦になれる地上の実体聖霊は、いつこの地上に現われるのであろうか。


 我々が犯した罪は、イエスだけを死の峠を越えるように向かわせたのではなく、聖霊までもそのような苦労の峠を越えるようにさせたのです。ところが、私自体を通してその苦労の恨みが解かれると、その喜びと栄光をイエスには返すことができるが、聖霊にはできないのです。


 我々が罪を委ねると、先ずは聖霊が我々の罪を引き取ります。その後にイエス・キリストが引き取り、その後に神様から清算されますが、今日我々はこれを良く知らないのです。これを、このような使命がわかる聖徒たちが出れば、聖霊の感動の役事は彼らを通して全人類に現われるようになります。


 それでは、イエス・キリストがこの地上に来られましたが、我々は今どうすべきなのか。我々は、イエスのような立場の新郎格主人公と、聖霊のような立場の新婦格主人公を探さなければなりません。そうして、贖罪の恩恵を受けなければなりません。聖霊イエスを掴んで、「聖霊と聖子、そして神様、祝福して下さいませ」と言えるべきです。そのような皆さんにならないと、イエス・キリストの2000年の苦労と聖霊の2000年の苦労はこの地上で完結されないのです。

   

 イエスは何故世の罪を担当されたのか? それは我々の為に、我々が自由を所有することができるようにするためでした。そして、主人を探すようにさせたのは、人間に本然の姿を備えさせてサタンの支配を受けた立場から、サタンを支配できる立場へと移してあげるためでした。ですから皆さんは、この路程を全部歩んだ後に自由の子女にならねばなりません。


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