「統一原理」と「天聖経」に乖離がある 何故か? 答え 乖離に隠されていた摂理の真実があるのです
大前提の為、この二つに乖離が起こり、御言葉の空洞化を生んでいる
🔶 これが統一信徒が信じいる大前提だ・・・
➡ (※1)文先生は1920年にイエスの再臨として生まれ、
1945年に公生涯を出発し、真の父母としてメシヤの目的を果たされ、その生涯を終えられた
この前提に立って、下記の①②の御言葉をお読みください。
説明するまでもありませんが、下記の御言葉を一つ一つの言葉を原理的な定義性で読まれれば、私の言いたいことが容易に理解できるはずです。
何が分かるのか?
(※1)の「文先生は1920年にイエスの再臨として生まれ、1945年に公生涯を出発し、真の父母としてメシヤの目的を果たされ、その生涯を終えられた」という前提は御言葉の(※2)と同じです。しかし、他の(※3)(※4)(※6)(※7)(※8)の脈絡が前提と甚だしく乖離していることが分かるはずです。
ところが、今の家庭連合も、分裂した子女様のことろも、多少の違いはあっても、おおかた、この前提が基本になっていますから、今後もさらに御言葉が空洞化することは避けられそうもありません。
★★そこで問題です。
結論的になりますが、この乖離をつないでいるのが(※5)の「真の愛」です。だから「軸は一つです」と言っているのですが、この「真の愛」とは一体何を言わんとしているのか、これが問題です。
皆さん、コメントでよろしいですので、あなたの声をお聞かせください。それができれば、私もコメントで答えようと思います。
(※2)再臨のメシヤが真の父母となって原罪を脱ぐ(理想家庭の実現)
(※3)真の父母とは・・・未来線上においての出発点
(※4)メシヤが来て代行しなければならない立場が真の父母の立場
(※5)軸は一つ、真の愛
(※6)失った真の父母
(※7)天の側の真の父母を再び探し立てる
(※8)(再び真の父母を迎えなければ)原罪が脱げない
① 救援摂理史の原理観 「3.真の愛を中心とした真の家庭と真の宇宙」1997.8.10 韓国
(※2)再臨のメシヤが真の父母となり、失われた真の愛を回復し、真の生命と真の血統を中心として、地上に理想家庭を立てることが、神の救いの摂理の目的です。
② 天聖経 真の愛 第二章 二 1.
二 真の父母の愛
1.原罪のない真の先祖(=真の父母)、人類の救世主
今日まで、歴史は何を求めてきたのでしょうか。時代は何を求めてきたのでしょうか。未来は何を求めていくべきでしょうか。真の父母です。ですから全体がここに帰結されずしては、幸福の基準は歴史過程や宇宙の中では見つけることができません。
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(※3)真の父母とはどのような存在でしょうか。真の父母は全体の希望の象徴です。堕落した人類の前に、絶対的な希望の象徴なのです。彼は歴史的な結実体であり、時代的な中心であり、人類が生きている今日、この世界に連結され得る未来線上においての出発点です。
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人間の願いは真の父母に出会うことです。死の道を行くとしても出会わなければならない人が、真の父母だというのです。歴史をすべて失い、時代をすべて失い、自分の後孫をすべて失うようなことがあったとしても、真の父母に出会うならば歴史を取り戻すのであり、時代を取り戻すのであり、未来を取り戻すのです。そのような方が正に真の父母だということを知らなければなりません。
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皆さんは、神様と真の父母のために涙を流さなければなりません。涙を流さずしては誰も復帰の道を行くことはできません。神様は今まで人間を救うために涙の道を歩んでこられました。
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(※4)メシヤがこの地に来て、代行しなければならない立場とは、真の父母の立場です。それでは真の父母とは何でしょうか。縦的な真の父の代わりに、横的な真の愛を中心とした横的な父母です。キリスト教ではメシヤが神様であり、神様がメシヤだと言いますが、それは違います。神様は縦的な真の父です。これは一つしかありません。他の道に行くことはできません。メシヤは横的な真の父母だというのです。
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真の父母がこの地に出現するまでには、その背後に皆さんが想像もできない涙ぐましい事情が多かったということを知らなければなりません。皆さんが知らないところで、どれほど多くの涙を流したか知れません。その内容は神様だけが御存じです。
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人類は真の父母が必要です。なぜそうなのでしょうか。愛の軸に連結され得る原則的なことが、歴史始まって以来初めて起こったのです。歴史始まって以来、以前にもなかったし、これからもありません。これをはっきりと知らなければなりません。
(※5)軸は一つです。二つではありません。その軸とは何かと言えば真の愛です。今皆さんの父母(文先生とお母様)が愛し合うのは真の愛ではありません。
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神様の摂理の目的とは何かと言えば、一つの焦点です。神様の理想が実現される場も正にその場です。(※6)私たちが失った父母、失った真の父母に出会えるところも正にそこです。それでその期待がすべての中心です。その場、それが「真の父母だ」というのです。歴史上、多くの場がありましたが、この場が最も価値ある場です。それがどれほど重要なのか考えてみてください。すべての聖人たちもこの基台、この問題のために闘ってきました。
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人類が願うものは何でしょうか。真の父母に侍ることです。六千年前にアダムとエバが成婚して全人類が神様の後孫になるべきだったにもかかわらず、堕落によって人間たちは、サタンの後孫になってしまいました。ですから私たちは六千年前に失った(※7)天の側の真の父母を、再びこの地上に探し立て、真の父母の愛の因縁を通じて重生しなければなりません。そうしてこそ天国の民になれるのです。
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神様は、真の父母を絶対的に必要とされます。善なる神様も、真の父母なしには摂理を成し遂げることができないからです。霊界に行っている数億の霊人たちも、真の父母を絶対的に必要としています。真の父母が生まれない以上は、天使長界の霊人たちも、地上でみ旨が成就できるように役事したかいを見いだすことができないからです。神様の前に立つためにも、真の父母が必要なのです。
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すべての歴史は、真の父母を迎えるためのものです。宗教も真の父母を求めてきたし、世界も真の父母を求めてきたし、国家も真の父母を求めてきました。真の父母を探す道を模索してきたのです。
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人間は歴史時代に真の父母を失って孤児になったので、一つになる道がありません。本然の父母の愛からすべてのものが連結されなければなりませんが、そのようにできませんでした。ですからすべての人が必要とする方が、真の父母です。
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今までの歴史的な願いとは何でしょうか。真の父母に侍ることです。神様がイスラエルの国とユダヤ教を立てられたのも、メシヤを迎えるためのものでした。メシヤはどのような方かと言えば、真の父母です。またキリスト教とキリスト教文化世界をつくったのは再臨主を迎えるためでしたが、再臨主は第三アダムとして来られる真の父母です。
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すべてのものはどこに帰結するのでしょうか。真の父母に出会うところに帰結します。人類の真の父母が現れることが歴史の願いであり、国家の願いであり、思想の願いであり、摂理の願いです。それで真の父母が現れる時は歴史上に一度しかない頂点を成す時であり、空前絶後の時なのです。
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真の父母とは何ですか。肉親の父母と真の父母と、何が違いますか。真の父母とは何ですか。何をするのが真の父母ですか。愛を中心として言う時、その肉親の父母と真の父母とは何が違いますか。愛に対する概念が違います。愛の概念が違うのです。肉的父母は肉身を中心とした愛を教えてくれるのであり、霊的父母は霊的な世界を中心とした愛を教えてくれるのです。内容が違うのです。
2.真の愛で人類を生んでくださる
皆さんは真の父母と関係のない場で、天の前から追い出された偽りの父母の血筋を受けて生まれたので、真の父母の血筋に生まれ変わるためには、偽りの血筋を踏みつぶし、完全に抜き取ってしまわなければなりません。そうして血統を根本的に替えずしては天の国に行くことができません。
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堕落した人間が要求する救世主とは、どのような救世主でしょうか。堕落した父母の立場からではなく、堕落していないアダムとエバのような立場で神様のみ旨と一致し、神様の愛を受け、神様の祝福を受け得る真の父母の立場で、人類を生んでくれる救世主でなければなりません。そうでなければ、(※8)人間が原罪と関係のない立場に上がることができないのです。
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血統を転換するのはメシヤがするでしょうが、転換するように行動するのは自分自身でなければならないと言いました。このような基準が成されない限り、私たちは救いの道に至れません。それは決してたやすく成されず、生きるか死ぬかの境地を通過しなければなりません。四十日断食祈祷だとか、血を吐く死の境地に行ってこそ血統転換が可能です。
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真の父母が必要なのは、何のためでしょうか。心情圏を中心としてその根を下ろさなければならないからです。今は根が違います。堕落によって幹と枝が全部違います。ここで新しく根が真の父母から始まって、何が出てきたのでしょうか。ここで幹と枝が出てきて接ぎ木するのです。切り取って接ぎ木するのです。接ぎ木してそれが宇宙の大きい主流になるのです。サタン世界のすべてのものを切ってしまわなければなりません。根っこまで切らなければならないというのです。幹と枝が全部違います。
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今日、万民が願うものとは何でしょうか。世界国家を迎える前に真の父母を迎えようとするのです。また未来の後孫たちは誰から出発したがるのでしょうか。皆さんの息子、娘は皆さんの血筋を通じて生まれたいのではありません。真の父母の血筋を通じて生まれたいのです。ですから真の父母は、新しい未来の出発点になるのです。
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真の父母は何をしなければならないでしょうか。サタン世界の根となる間違った血統を正さなければならず、間違った生命をもとがえさなければならず、間違った愛の道を正しく開かなければなりません。聖書に「死なんとする者は生き、生きんとする者は死なん」とありますが、そのような逆説的な論理がなぜ出てこなければならないのでしょうか。サタン世界は死ななければならないからです。
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真の父母は世界の人々を呼んで、父母の立場から結婚させてあげます。ここでは人種の違いを越えるだけでなく、善人と悪人も共に結婚させてあげるのです。
真の父母は悪なる愛、悪なる生命、悪なる血統はすべて否定しますが、アベルを殺したカインは取り除いてしまわず、同じ位置で祝福してあげます。
SU+H=水平(線) A+O=間接主管(圏)・直接主管(圏)
海の潮の干満を見るとき、出ていく水と入ってくる水が合い、水平を成した時のように、救援摂理(蕩減復帰)が終結する善悪の転換期で善人と悪人をすべて共に祝福してあげることによって、サタンを完全に追放するようになるのです。
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★ I+C 黒・天聖経 真の愛 第二章 二 2.
エデンの園で結婚を誤ったことが堕落なので(創世記のアダムとエバの結婚は堕落の後になされたことであるから、この「結婚を誤ったことが堕落」という問題は先生とお母様のことになります。)、(先生が八定式を勝利することによって、先生が1992年に第二次アダムとして、さらに、2013年には第三次アダムとして再びメシヤとして来て)今や真の父母が正しく結婚させてあげることをもって(先生とお母様が完成基準の結婚(=基元節)させて)、もう一度ひっくり返すのです。偽りの父母(先生とお母様)が犯してしまったことを真の父母(=八定式に勝利された先生と先生に絶対服従するお母様)が清算することで、地獄を撤廃し、数百、数千億の霊界の先祖たちまでも祝福結婚させてあげるようなことが起こるのです。
真の愛を中心とした地上の後孫たちの家庭基盤を通して、霊界の先祖と地上の後孫が縦的に一つになるだけでなく、このような家庭基盤を基点として東洋と西洋がお互いに連結されます。
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養子はどのようにしなければならないのでしょうか。真の息子に接ぎ木されなければなりません。オリーブの木を切って、真のオリーブの木の芽に接ぎ木しなければなりません。オリーブの木が真のオリーブの木になる運動をしなければなりません。重生するためには真の父母の血統を引き継がなければなりません。それで人類が願うのは真の父母であり、イエス様と聖霊が願うのは小羊の婚宴です。
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まず何よりも父母を心から慕わなければなりません。私の生命の動機も父母であり、私の希望の一切も父母であり、私のすべての理想と幸福の根源も父母だという基準を中心として父母に侍らなければ、救いを受けられないのです。皆さんはそのように侍ったことがありますか。皆さんはこれをはっきりと知らなければなりません。ですから「私は真の父母と永遠に一つになれる息子、娘だ」という信念を、自分の存在意識を超越できるくらいに堅くもたなければなりません。そうでなくてはなりません。
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肉的な父母さえいればいいのに、霊的な父母がなぜ必要なのでしょうか。堕落したからです。今まで堕落した父母が何を教えてくれたのでしょうか。大きいものを半分以上みな取ってしまい、自分を中心として降りていくことを教えてくれました。それで、父母の愛を中心としてサタン世界に永遠にいさせるための一つの決定的な線が引かれました。これを切る道がありません。
それでは真の父母とは何でしょうか。そのような基盤で、もっと大きいものをだんだん教えてあげるのです。それで天の国、永遠の国に合うように教えるのです。永遠の国に行って拍子が合うように教えるのです。呼吸に支障のないように教えるのです。
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