平和の主人 血統の主人

まさに、成約時代の毒麦となられたお母様

《 黙示録18章 3-10 節 》

3 地の王たち(幹部たち)は彼女(お母様)と姦淫を行い、地上の商人たち(教会長たち)は、彼女の(高額献金を得た)極度のぜいたくによって富を得た。

7 彼女(お母様)は心の中で『わたしは女王の位についている者であって、やもめではないのだから、悲しみを知らない』と言っている。

10  彼女(お母様)の苦しみに恐れをいだき、遠くに立って言うであろう、『ああ、わざわいだ、大いなる都、不落の都、バビロンは、わざわいだ。おまえ(お母様)に対するさばきは、一瞬にしてきた。

◆「777」のブログをお読み頂いている皆様にお伝えしたいことがあります

今日の統一教会の混乱の原因が何であるのかが、「平和の主人、血統の主人」から鮮明に見えてきますので、それを伝えようとして立ち上げたのが「777」です。


しかし、ブログを書きながら私の個人的な課題に度々突き当たることになりました。


以前にも延々と書き込んだ「777」のブログを断りなく突然落としたことがありました。


今回も同様の課題突き当たっています。



その課題とは、


ブログを読んでくださっていた方から頂戴したコメントにあらわれています。


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代表的なコメント、一つを紹介します。三万双の方と思いますが、


《「777」のブログを読みながら、知らなかったことを知ることは大切ですが、これまで全く知らなかったことだけに、止めどもない不安も覚えます。


「777」さんはこのブログで何を伝えたいのですか?


お父様が摂理の内情を赤裸々に平和の主人で語られたとしても、み言の字面だけ捉えてしまえば、批判心だけになりかねず、大きな過ちを犯しかねないのではないでしょうか。


現に統一教会のブログ村全体の論調が、常に問題の要因が自分ではなく外にあるとしているように思えてなりません。これでは改革改善にはなりえても、統一教会が求める本質的な創造にはなり得ないのではないないでしょうか。


「777」ブログも批判の為の一つなのでしょうか。


確かに大変難しい課題ですが、それをどのように受け止めるのかというテーマが、私たちに問われているのではないでしょうか?


果して、「777」はこのようなテーマにどう向き合うのでしょうか。》


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このコメントは的を得たことであります。


「777」は平和の主人から見えてくるお父様のご心情を少しでも理解して、お父様の真の愛を私自身が生活の中で体恤することにあります。


とは言え、体恤することの難しさに阻まれ、平和の主人の解読を字面だけ鵜呑みにして、お父様をテコにして、全ての問題の要因が(自分ではなく)外にあるという論調でブログを発信してしまいがちです。


現に、自らが作った落とし穴に自らが落ちるという愚かさを露呈してしまいます。


それが、第一弾から第九弾まで連載した「お父様の聖和を考察する」のブログでした。


お父様が統一教会を創設されて50年近く経って、黙して語らず、精誠の限りを尽くされ、満を持して、全てを「暗号」と「隠された言葉」で語られたことが、何を意味するのか、もっともっとお父様のご心情を考えなければなりませんでした。


以上、僭越ながら自らに反省を求めて「777」の現在の心境をお伝えし、勝手ながら本日中に第一弾から第九弾はブログから落としますので、ご了承下さい。



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