平和の主人 血統の主人

まさに、成約時代の毒麦となられたお母様

《 黙示録18章 3-10 節 》

3 地の王たち(幹部たち)は彼女(お母様)と姦淫を行い、地上の商人たち(教会長たち)は、彼女の(高額献金を得た)極度のぜいたくによって富を得た。

7 彼女(お母様)は心の中で『わたしは女王の位についている者であって、やもめではないのだから、悲しみを知らない』と言っている。

10  彼女(お母様)の苦しみに恐れをいだき、遠くに立って言うであろう、『ああ、わざわいだ、大いなる都、不落の都、バビロンは、わざわいだ。おまえ(お母様)に対するさばきは、一瞬にしてきた。

◆◇◆《怪傑黒頭巾》さんへ 公開質問です。「囹圄(れいご) の神様」と「囹圄 のエバ」は隣り合わせです。

「 ttkzkn1610のブログ 《 目指せ、怪傑黒頭巾 》さんへ 公開質問です。」


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サンクリチアリー教会は信徒たちの逃避城
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亨進様がサンクリチアリー教会を建てられてまだ日が浅いにもかかわらず、行き場を失っていた信徒たちの逃避城となっていることは天の摂理であると思います。


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《 目指せ、怪傑黒頭巾 》さんに公開質問致します。
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《 目指せ、怪傑黒頭巾 》さんはブログの案内で「・・・・自由闊達な議論のもと・・・・」とありますので、率直に、質問させてください。


サンクリチアリー教会が今後更に発展していく責任と使命を果たす為には、ブログ「777」として危惧するところがありますので、多くの信徒たちも見ているブログでもあり、更なる本質を追究してお父様のみ言葉と真の愛を実現していくためにもよろしくお願いします。


熊本の48名、岐阜14名、鹿児島39名、愛知7名の集団脱会は大変に喜ばしいことでもあり、今後も続くことと思います。ただ、この脱会に単純に喜びを現すことはサンクリチアリー教会の責任と使命から見て、諸手をあげて「おめでとう」とは言い難いのです。


何故ならば、嘘で塗り固められた現統一教会の中には、今なお、遥かに多くの信徒たちが献金の奴隷となって苦しんでいるからです。


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今後重要になることは、
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この嘘で塗り固められた現統一教会の中で苦しんでいる信徒たちの救済にあります。今後、続々とサンクリチアリー教会に脱会して来るであろうと予測して、その為の対策を早々に立てておかなければなりません。
その対策とは、お母様に対する向き合い方です。これはサンクリチアリー教会の最も摂理の本質となるものです。


質問に入る前に、二つのみ言葉を紹介します。


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マタイによる福音書第6章24節
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だれも、ふたりの主人に兼ね仕えることはできない。


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『天聖経』「真の神様」
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『 神様は囹圄(れいご) の立場
 誰が悪霊と善霊の闘いを終わらせることができるのでしょうか。それは神様でもなく、サタンでもありません。それでは誰でしょうか。


真の愛から出発して真の愛をもっていく、世界万民がついていくことのできる愛の主人公が現れなければ、神様の闘いと、サタンの闘いを終わらせることはできないのです。


この闘いから解放されない限り、人間歴史世界において平和という言葉は妄想的なものです。『理想』という言葉は抽象的で感傷的な言葉にすぎません。


それで、神様はこの代表者を遣わすのですが、その主流思想をメシヤ思想、救世思想というのです。救世主は人間だけではなく、神様までも解放する人のことを言います。悪を処断することを意味します。神様を解放し、悪を決算するための総責任者が救世主です。


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質問の前に・・・、
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亨進様がサンクリチアリー教会を創設された当初は、お母様を救済しなければならないと訴えておられましたが、その後、お母様を糾弾するようなメッセージが余りも多く危惧しておりました。
また、《 目指せ、怪傑黒頭巾 》さんのブログでも「韓オモ二の過ち」「韓氏オモ二の過ち。その二」のように、お母様を非難することが色濃く出ていることに危惧しております。


他を批判して他を愛することは後天時代の真の愛には存在しません。
問題はお母様を非難することではないと思います。


「囹圄(れいご) の神様」になってしまった原因は、神様の花嫁になるはずだったエバがサタンによって堕落して「囹圄(れいご) のエバ」になったのですから、後天時代の理念、真の愛からみますと、お母様は糾弾、非難される立場ではなく、糾弾するとするなら、「囹圄(れいご) のエバ」として閉じこめてきたサタンであるはずです。


サタンに閉じこめられていた私達が、サタンの罪状を神様とお父様の前に訴え出ることが必要なのだと考えます。


子女様はご自身の家庭が通過されてきた筆舌では現すことができない苦難の道が何であられたのか、これを原理的にみ言葉で整理することと、現幹部達のサタンが渦巻く罪状を明らかにすることが必要なことではないかと思います。


その事ゆえに、子女様が分断されたことはようやく私たちにも知られるようになりました。


サタンとその相対者と仲間たちの罪状を明らかにする目的は、子女様たちの分裂を解消するためですから、実体聖霊としての真の愛の基準に立って明らかにしなければ、かえって問題を露出させかねないと思います。


お父様がご生前、お母様を何度となく厳しくお叱りになったことがありましたが、最期の聖和に向かわれるその時には、一つもお母様をお叱りになることなく、生命装置が外されようと、全てをお母様の手に委ねられたのです。


お父様はお母様の如何にかかわらず、絶対「性」として生きるも死ぬもお母様の為に命を捧げられたのです。(平和の主人)


この勝利基準においてお母様は地上に条件が立てば必ずお父様の元に帰られると思っています。


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質問です。
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お母様は糾弾される立場にあるのではなく、糾弾するならサタンとその相対者(金孝律氏)とその仲間たちではないでしょうか。


お母様がどうして現在の「囹圄(れいご) のエバ」となってしまったのか、この経緯が詳細に分かることが重要と思います。
サタンが実体人間を用いて、如何に今日の「囹圄(れいご) のエバ」になったのか重要と思います。


ましてや、もし、サンクリチアリー教会が李 妍雅様を真の母の後継者と立てられるとするなら、尚更のこと、実体聖霊としての立場に立たれることになりますから、お父様が真の愛によって最期の聖和を迎えたように、糾弾は決して天の御心であるとは思えません。


この事による重要なことを結論として。
後、現統一教会から列を成してサンクリチアリー教会にくる道筋を付ける為にも、糾弾ではなく、真の愛、実体聖霊としての使命を果たすことこそ、重要と思います。


他を批判、糾弾して、己の正当性を立てることは、決して本質的ではありません。本質は、真の愛による救済です。


後続する信徒たちの為にも、早々に、お母様を糾弾することはお止めになった方が懸命と思いますが、如何でしょうか??


最後に、文面はややもすると本質が伝わりにくいところがありますので、よく読み取って頂ければと思います。ありがとうございました。

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