★☆★熊本バンドの再来か?? 米本blog《驚愕!! 熊本の四十八士(食口)が揃って脱藩!》
「火の粉を払え」 ルポライター米本和広blog
記事・・・・《驚愕!! 熊本の四十八士(食口)が揃って脱藩!》
ーーーーー
熊本教会の四十八人の食口が揃って脱会! サンクチュアリ教会に移った
ーーーーー
48人のリーダー 6000家庭の 井上秀幸元教区長に祝福を・・・!!
熊本バンドの再来、胎動の兆しか??
熊本に眠る国を思う祖先たちの魂が動き出した??
現統一教会の幹部達の目に余る公金横領、お父様を排除しようとする幹部達の不信仰、日本信徒たちを騙し続けることに我慢出来ず、いよいよ、石が叫び、祖先たちが動き始まったと言えます。
35名からなる熊本バンドがあって、同志社が設立され、多くのリーダーを排出してきました。
これと同じように、大挙して48名が現統一教会から脱会したことは、いよいよ燎原に火が放たれたことを意味していますから、今後、48名が一層結束して「他の為に生きる」精神をもってお父様を証ししていかれれば、日本全体に多大な影響を与えると確信しています。
詳しくは、(熊本バンド―明治の若きサムライたち)をご覧ください。
以下、要約です。
同志社は、新島襄の創業力、アメリカン・ボードの経済力、そして熊本バンドの人材力、この三つの力があって設立されました。
ーーーーー
熊本バンドの定義
ーーーーー
熊本バンドとは何であるか。
この呼び名(通称)は、明治四年から九年までのあいだに熊本洋学校でゼーンスの薫陶を受け、花岡山上でキリスト教を奉じこの教えを日本国に宣布しようと決意した人びとを中心とする一団が、洋学校閉鎖後明治九年秋同志社に転校して、創立早々の同志社でそのすぐれた学力と粗野ではあるが活発旺盛な気風とによって「非常に目立った特異な存在」を示したとき、当時同志社に在職中の宣教師たちがこの一団を呼び習わしたものであるといわれる。
(篠田一人「日本近代思想史における熊本バンドの意義」三頁)
ーーーーー
花岡山の結盟
ーーーーー
キリスト教は小楠がその疑いをかけられて暗殺されただけに、彼らの困惑には想像以上のものがありました。しかし燃え上がったキリスト教熱は簡単に消せませんでした。
一八七五年末の冬休みが終わり、新年に学校に戻ったときのことを、金森通倫はこう語っています。「各家庭より、学校に帰ってきた生徒たちは、燃ゆる火の如くなっていた。まだリバイバルや聖霊については、何も知らぬものたちである。しかし、彼らは黙していることができなくなり、誰でもかまわずに道を説くにいたった」と。
消すことのできない火のような熱いものが、彼らのなかに燃え始めてきたのです。
彼らは何かに突き動かされるように立ち上がったのです。そして花岡山での結盟、三十五名の奉教趣意書への署名へと至るのです。
ーーーーー
そこで志を同じくするものが、
ーーーーー
花岡山に登り、一致協力してキリスト教の信仰を守ってゆくために、次の約束をする次第である。
一.キリスト教を信じる者は、お互いに兄弟としての交わりをもち、生活全般にわたって、互いに戒めあい忠告しあいながら、良い行いを実行しなければならない。
一.いったん、キリスト教の信仰を持ちながら、信仰にふさわしい生活ができない者は、神をあざむくことになる。また、自分自身の心をもあざむくことになる。こうした者は、必ずや神の罰を受けることを知らなければならない。
一.今日、我が国の多くは、キリスト教を拒否している。それ故に我らの内、たとえ一人でもキリスト教をすてる者は、世間の物笑いになるだけでなく、我らのせっかくの決意をもふみにじり、実行不可能にしてしまう。ともども、努力しようではないか。
一八七六年一月三十日 日曜日 記す