平和の主人 血統の主人

まさに、成約時代の毒麦となられたお母様

《 黙示録18章 3-10 節 》

3 地の王たち(幹部たち)は彼女(お母様)と姦淫を行い、地上の商人たち(教会長たち)は、彼女の(高額献金を得た)極度のぜいたくによって富を得た。

7 彼女(お母様)は心の中で『わたしは女王の位についている者であって、やもめではないのだから、悲しみを知らない』と言っている。

10  彼女(お母様)の苦しみに恐れをいだき、遠くに立って言うであろう、『ああ、わざわいだ、大いなる都、不落の都、バビロンは、わざわいだ。おまえ(お母様)に対するさばきは、一瞬にしてきた。

◆◆◆導入⑨ 「双合55年プログラム〔検証2〕」 統一協会の4000件の拉致監禁とお父様のダンベリー収監の同時性的要因は、日帝による韓国キリスト教迫害にあった。

 本題に入る前に、以前にも紹介しましたが、1945年と2001年を取り扱う検証に相応しいみ言を紹介します。このみ言は「双合55年プログラム」の正当性をあらわしている貴重なみ言です。

 《 ニューヨーク・ハーレム訓読大会 》2001/5/8


そうすれば、そのときから統一天下の運勢を受けて、1945年以後、3年半ないし7年間、1952年までに統一天下を成し遂げて、そのときに神様の「王権即位式」が終わっていなければなりませんでした。


 しかし、(再び)キリスト教は、統一教会(再臨主)を受け入れることができませんでした。今でも彼らは、棍棒を持って追い出そうとしています。

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 それが(1945年から)40年間巡り、今日(2001年)まで56年の歳月が過ぎました。そして、この時代に「神様王権即位式」をすることができたということは、夢のような話です。』


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それでは本日の本題です。
本日は「双合55年プログラム」からみた「宗教の復興と受難」についての検証です。


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☆〔1920~1945〕:第二イスラエルである韓国キリスト教の復興と受難
     李龍道牧師による大復興、日本帝国による神社参拝、投獄、獄死)
  
56年後


★〔1976~ 2001〕 :第三イスラエルである統一協会の復興と受難
  (アメリカの大会・ヨイド大会の大復興、ダンベリー収監、度を超えた清平詣での強要、拉致監禁、脱会による霊的死)
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(1) ①日帝時代のキリスト教の復興 
    ②統一協会の復興です。
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 ①日帝時代のキリスト教の復興です。
再臨に向けたキリスト教神秘主義の李龍道牧師などの大復興運動が起こっていました。次はお父様のみ言です。

真の御父母様の生涯路程 2

 《 第二節 韓国解放とキリスト教を中心とした摂理の出発 》

   金百文牧師と「イエス教イスラエル修道院


 『《 李龍道牧師 》を中心として三代を継いで続いた人が誰かといえば、金百文です。この人が、信仰生活において、最高の立場まで上がっていました。この集団は、洗礼ヨハネ格の集団です。

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 そうして平壌を中心として出発し、新イエス教運動をした李龍道牧師は、1933年に死にました。その時の年齢が何歳かというと、33歳でした。イエス様の年齢と同じです。彼が33歳の若い年齢にもかかわらず、韓国キリスト教界に旋風を巻き起こした事実は、神様の役事でなくては到底不可能なことです。


②次に統一協会の復興です。
 この期間の統一協会の復興はアメリカを中心とした輝かしい大会の成功でした。統一協会として何の基盤もなかったアメリカに、名もない韓国から、お父様ご自身が直接乗り込まれて、全て、お父様が先頭に立たれた大会でした。
 そして、これらの大会はお父様が公生涯を出発されて30年目となる時でした。これは、前述のみ言にもありました、日帝の迫害を受けながら、李龍道牧師が30歳からイエス様の立場で奇跡的な大復興の使命を果たされたことと重なるものと言えます。

  • 1974/9/18マジソンスクェアーガーデン大会
  • 1975/6/7 120万 人ヨイド大会
  • 1976/9/20 統一神学校開校(米国)
  • 1976/6/1 5万人 ヤンキーススタジアム大会
  • 1976/9/18 50万人 ワシントン大会


 上記のようなアメリカ摂理の大成功は、日帝時代の迫害の中で起こった李龍道牧師などによる大復興運動が同時性的な要因となって起こったと言えるのです。そして、李龍道牧師の復興は神様の責任として成されたとするなら、アメリカの復興はお父様の責任を中心とした興南苦役の勝利であり、第一次と第二次七年路程の勝利により、神様が導かれた大大的な復興だったと言えるのです。



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(2) ①日帝時代のキリスト教が神社参拝の試練 
    ②統一協会の清平詣でによるメシヤ観の変貌
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①日帝時代のキリスト教が神社参拝を強要 
 キリスト教に神社参拝を強要することによって、韓国キリスト教は参拝を容認して日本と通じる組合教会と、断固として受け入れない李龍道などのような神秘主義キリスト教とか再臨思想を持っていた教団等のように二つに分かれていました。


 韓国解放後、この二つの教会が残ったのですが、アメリカの戦後政策の大失敗としてあったのが、参拝を容認した多数派の教団を戦後の政策を進めるうえで起用したことでした。この失敗が要因となって統一協会の迫害にも繋がるようになったとお父様は語られています。これはユダヤ教がイエス様に反対する側に回ったことが原因となって、サタンがアメリカの尻尾に繋がって、最後まで変わることなくお父様をアメリカから追い出すことに舵を取り続けたとも語られています。


②統一協会の清平詣でによるメシヤ観の変貌
 清平の役事は年を追うごとにお父様の指示とは《 全く違う方向 》に向かってしまいました。清平の一番の犯罪は、信徒たちがお父様を求める力を弱めさせてお父様から遠ざかったことです。第二の犯罪は、自分の幸せを求めるご利益信仰に陥ったことです。第三の犯罪は、根拠のない献金を煽り続け、更には270億円という巨額の横領に陥ったことです。
 そして、この様な原理から脱線した清平摂理を目の当たりに見続けてきた信徒の中には、この有り様を受け入れることができず、真のお父様を中心とした信仰のあり方を探し続けた信徒たちも沢山いたことを忘れてはならないと思いますし、この様な信徒たちこそ新しい摂理を切り開く原動力になると確信しています。


 この様に、この清平の有り様は統一協会の責任が果たされなかった為に起こってことであり、その背景には、日帝時代の神社参拝で起こった様相が同時性的な要因となって展開されたことだったのです。



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(3) ①日帝時代のキリスト教への弾圧は終戦近くなると強化された 
    ②サタン直接による「統一信徒の奴隷化」と

         「お父様のダンベリー収監」、更に、「お母様の幽閉」
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①日帝時代のキリスト教への弾圧は終戦近くなると強化された 
 日帝におけるキリスト教の弾圧は、1937年の日中戦争突入以降から一層激しさが増して1945年の敗戦まで続きました。凄まじい弾圧は神社参拝を拒否したことを理由として、長老教会 70 名が投獄され、内 50 名は獄死し、残りの 20 名は 1945 年 8 月 15 日に釈放されました。
 前述しましたが、この弾圧によって神社参拝を受け入れたカインのキリスト教組合派の数は日本の支援も受けていた為に圧倒的に多く、弾圧されたアベルの神秘主義派とか再臨派は愛国者が多く、ソ連や中国に逃れたり、また、獄死したりして、その数は組合派からみれば少数派でした。


み言で確認したい方は、次のみ言をお読みください。

真の御父母様の生涯路程 2 

 第一節 解放を前後した摂理的基台 

   キリスト教の受難と愛国運動


②サタン直接による統一信徒の奴隷化とお母様の幽閉

 この問題は「平和の主人」の中で主要なテーマとなって語られている内容です。
 そして、この②は、上記の「①」が同時性的要因となって様相が重なっています。
 サタンの狙いはお父様の周辺の条件を奪うことによって、最終的にお父様の命を殺害することにあります。


 1)統一信徒の奴隷化
 お父様の周辺条件とは、先ず、信徒たちです。お父様はこの環境を作る為に日本女性の16万人摂理を展開しましたが、4万人弱の基盤しかありませんでした。同時に、還故郷による氏族メシヤの摂理を展開されましたが、これも天の基準から見て信徒たちの責任が果たされずに、サタン圏に世俗化することによって失敗に終わっています。


 その為に、統一協会に反対する共産主義者とキリスト教牧師が結託してサタンの手先となって、親を先導して予め監禁するアパートを用意して、ある日、突然、信徒たちを拉致監禁するという問題が起こるようになりました。この拉致監禁を容易にさせたのが、霊感商法問題を火種としてマスコミが団結するようにして、長い期間にわたって統一協会を迫害したことでした。統一協会を打つことは善であるという風潮ができあがってしまいました。これは、上記の「①」のキリスト教の弾圧と牧師たちの投獄、獄死に重なって起きたものと言えます。


 これは日帝時代のキリスト教弾圧の極みとなったのが、神秘主義派、再臨派を捉えて投獄し、反省しない者は獄死に至りました。この様な、凄まじい弾圧が同時性的に要因となって、この時代の統一協会が責任を果たさなかった為に、「信徒の奴隷化」と「拉致監禁」が突然として沸いたものでした。
 そして、サタンが信徒をお父様から奪い取る為にとった清平の飴とムチの陽動作戦は、正に、同時性的になって、日帝がキリスト教弾圧にとった陽動作戦そのものだったと言えるのです。



 次のグラフは統一協会員が拉致監禁された《 件数 》です。


 このグラフを見ますと、1996年以降は収束に向かっているかのように見えますが、摂理的観点からみますと全く反対に、2001年の「神様王権即位式」、更には、2013年の「基元節」に向けて、サタンの力と業が更に増し加わってお母様とお父様にサタンの刃が直接向けられるようになっていったのです。



 2)お父様のダンベリー収監
 サタンの狙いは当然、統一協会のトップに立っておられるお父様に対する直接的な迫害です。この時期のサタンが直接手を下した迫害の頂点は、お父様をダンベリー刑務所に収監したことです。(1984/7/20~1985/8/20、1年1か月の実刑)
 しかし、サタンの目的はメシヤを殺害することですから、これはこの時期、統一協会の責任が果たされなかった為に起こった収監であり、その背景には、日本信徒の拉致監禁と並んで、日帝時代のキリスト教弾圧が同時性的な要因となっていたと言えるものです。


 3)お母様の幽閉
 サタンがお父様のご家庭の内部服に常駐する人を送り込む一方、もう一方では、お母様を幽閉する準備を用意周到に整えたことは、「平和の主人」の中心的テーマとなって、明確に語られています。そして、この「平和の主人」の内容は、お父様が日々の訓読会で語られたことは信徒たちには伝わっていないことをご存知であられますので、これらの全てを再整理されるように語られた貴重なみ言です。更には、全信徒たちに読ませることを目的として八大教本に入れられたことは、本当に意義深いものがあります。


 お母様の幽閉についての詳しいことくは、《 ◆◆◆「平和の主人」導入部分 ③-2 》をご覧ください。


 1945年が同時性的要因となって、56年後、お母様がサタンに直接的に飲み込まれて幽閉されてしまいました。当然、お母様の配下にあった統一協会信徒たちまでも一層サタンの鎖に縛られることになり、中央幹部から地方幹部に至るまで、血統問題の侵犯、公金(献金)の横領、人権の蹂躙等が平然と犯され続け、信徒たちの奴隷化が進みました。


 そして、サタンが直接打ってくる力が最も強くなったのが、日本終戦の1945年の56年後となる、2001年の「神様王権即位式」に加えられた一撃でした。
 その一撃とは、お母様がサタンに幽閉されてしまったが為に、お父様が神様に立てて来られた絶対信仰、絶対服従、絶対愛の基準に対して、お母様が一緒に立てることができなくなってしまったことです。


 その為に、この即位式前に奉納すべきだった入籍届を神様に提出することができなくなり、2013/1/13の基元節で行うはずだった、神様の結婚式という完成基準の祝福結婚式ができなくなってしまいました。


 このお母様の不信は、1945年の金百文牧師の不信と1955年の第一夫人の離婚問題が摂理に如何なる重たい影を落としてきたのかを知っていたうえでの不信ですから、もはや、取り返しのつかない不信となってしまったとも言えるのです。


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本日はここまでにします。ありがとうございました。

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次回は、「検証3」金百文牧師の失敗と「神様王権即位式のお母様」です。

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