⑩「韓国(語)とは?」 史上最大の冤罪 「ちゃぬ」の役割が終わった・・・「ちゃぬ」はサタンの遣い ☞☞ エバ国家不信の落とし子だった
「ちゃぬ」が正しければ、文先生は『大噓』『ペテン師』になる。
御言葉 ☞ 『韓国は、外国から932回も侵略されているのです。そのうちの91%以上が日本にやられているのです。』
「ちゃぬ」は文字どおり解釈して文先生を大噓つき、ペテン師と言い切ったのです。
韓国と日本の統一教会本部は、この「冤罪」に対して、一言も反論できないのです。 何故か?? 次回考察です。
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反対派の急先鋒となった「ちゃぬの裏韓国日記」 ☞ その役割を終える時が来た
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「ちゃぬ」が登場した摂理的背景
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統一教会の使命
文先生は1945年のキリスト教の不信により、家庭を捨てるようにして北に上がられ、北でも再び不信と密告により興南刑務所の苦役を受けられ、全て勝利されました。
この勝利により、文先生は1954年に統一教会を創設し、キリスト教の失敗を統一教会が担うようになったのです。
統一教会の受難
統一教会創設早々、最初の苦難が「西大門刑務所の受難 七・四事件」でした。韓国を代表した統一教会、統一教会を代表した文先生に六千年の全歴史が覆いかぶさったのです。そして、統一教会はキリスト教の不信を再現して蕩減していかなければなりませんでした。
「真の父母宣布」にサタンが侵入
ここで問題は、文先生が40年サタン分立路程路程を勝利されて、1992年に再びメシヤとして顕現できたのですが、統一教会がキリスト教の不信を再現して超えることができず、「真の父母宣布」にサタンが侵入してしまったことです。
日本エバ国家の代表的女性(たち)の不信
統一教会を代表した立場に立っていた文先生は40年サタン分立路程路程を勝利された立場であったとしても、お母様と幹部たち、そして、特にこの時代の特筆すべきことですが、日本エバ国家の代表的女性(たち)の不信により、1992年以降の文先生は、統一教会の中から侮蔑を受けるようになったのです。
そして、先生が不信が原因となって苦難の道を行くようになることを、「先生がサタンから侵略される」という御言葉で語らていたのです。ただ、この《C》《D》《E》《F》《G》は40年サタン分立路程の真っただ中であった為、「先生が侵略される」「私が打たれる」「私が迫害される」と直接的に語られたのです。
これに対して、1992年以降になると御言葉が様変わりします。
昨日の記事に取りあげたように、先生はご自身を「韓国」に置き換えて『韓国は、外国から932回も侵略されているのです。そのうちの91%以上が日本にやられているのです。』と語られたのは、この1992年以降になります。
ですから、「ちゃぬ」の記事を読んで文字どおり解釈した信徒たちは、「ちゃぬ」の誘惑によって、文先生を侮蔑するようになっていったのです。
日本を許し愛された文先生
この時代の文先生は再びメシヤ位置に戻られた立場であり、真の愛をもってサタンに対応されました。その為、文先生が愛して育ててこられた日本信徒から絶えず不信の侮蔑を受けたとしても、お父様は私たちを呪う言葉、一つだに語られることはありませんでした。
『対応語』で御言葉を遺された
文先生は後世が責任を果たすように、摂理的失敗の原因を御言葉に残さなければなりませんでした。その為に取られた手法が、内的言葉を外的な『対応語』に置き換えて御言葉を語られたことでした。
以上のようにして
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2010年ころから?? 「ちゃぬ」が登場
この『対応語』にくさびを打ち込んだのが「ちゃぬ」です。
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エバ国家女型のユダ
「ちゃぬ」はお父様が愛した訪韓修の日本女性の中から生まれたのです。そして、多くの信徒たちの命を奪うサタン側の急先鋒となったのです。
彼女の背後には、生活を助けた夫、不信したキリスト教、隠れた共産主義者、裏切っていった統一信徒達がつづらごのようにつながっていたはずです。彼女一人でできた仕事ではありません。
つまり、日本信徒の中から文先生を不信し、その急先鋒となったのが「ちゃぬ」であり、2010年(?)から侮蔑する記事が始まったのです。
サタンの先導を受けた「ちゃぬ」はこの好機を逃すはずもなく、「韓国は932回も侵略されている。その91%以上が日本にやられている」と語られた御言葉に対して、『対応語』を知らず、ただ、文字どおりの解釈したのです。
それが前回の記事で紹介した下記ブログです。
文教祖のいう「韓国侵略の91%は日本」の根拠(1) | ちゃぬの裏韓国日記
文教祖のいう「韓国侵略の91%は日本」の根拠(2) | ちゃぬの裏韓国日記
文教祖のいう「韓国侵略の91%は日本」の根拠(3) | ちゃぬの裏韓国日記
文教祖のいう「韓国侵略の91%は日本」の根拠(4) | ちゃぬの裏韓国日記
ここからが本日の本論・・・
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重要 ☞☞ 下記の御言葉《A》《B》《C》《D》《E》《F》《G》から
「ちゃぬ」の間違いがわかります。
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天聖経の読み方
1992年「真の父母宣布」以降は『対応語』に置き換えて読みます。
1992年以前は『対応語』なしで語られています。下記の御言葉で分かりますので確認してください。
「外的な言語」 ☞ 「内的な真の父母の言語」
「韓国」 ☞ 「天一国」
「韓国語」 ☞ 「天一国の祖国語・天の国語」
「韓国人」 ☞ 「天一国人・お父様」
「言葉」 ☞ 「天一国の言葉」
「原理」 ☞ 「蕩減法の言語・統一原理」
「英語」 ☞ 「天使長の言語」
注釈とコメントは茶文字
《A》 1995年
男性訪韓修練会
⑦家庭における女性の使命 1995.1.11-19
韓国(天一国、韓国代表の文先生)は、外国(サタン主管の世界=韓国、日本、アメリカ)から932回も侵略されているのです。そのうちの91%以上が日本にやられているのです。
韓国人たち(中心家庭、熱心な祝福家庭)は、歯をすすり、音を出さなくても許せない日本人(不信した日本の祝福家庭の女性たち)なのですが、文先生の真の親の愛を分かることによって、(中心家庭の子女様たちと祝福家庭は)兄弟になるのです。
《B》 2000年
2000年4月5日のみ言葉
(※)歴史時代に932回も侵略を受けました。
コメント(茶文字)
(※)歴史時代・・・・
文先生は人類始祖として立たれたアダムの立場です。そして、文先生はキリスト教の不信を受けたことにより、40年サタン分立路程路程をもって人類歴史の総蕩減を歩まれました。
従って、文先生の天聖経に記された「歴史時代」とは六千年の蕩減を果たされた1952年から1992年までの40年期間以降のことになります。
つまり、『歴史時代に932回も侵略を受けました』ということは、お母様と幹部たち、特に日本を代表した女性(たち)の不信によって受けた受難のことを、1970年代では《C》のように「私が侵略」されたことを語られたのです。
さらに、《D》には文先生が韓国を代表した立場ですから、韓国の内的な『対応語』がお父様になりますので、お父様が侵略されたことを《E》《F》《G》でも同じように語られたのです。
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《C》 1971年
文鮮明先生のみ言集 訓教経(下)
14.1971興亡の分岐点 1971.3.21 韓国前本部教会 『文鮮明先生み言選集第四十二巻』 (2000年書籍)
私が侵略されることがあれば、私を保護する責任があるのであり、私が苦労をしてあげたならばそれに責任をもつようになるというのです。なぜなら慈しみを受けたからです。
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《D》
真の御父母様の生涯路程6 第五節 二
共産世界は、北韓と中共とソ連が仲間になっているので、ここ民主世界は、韓国と日本と米国が一つにならなければなりません。互いに一つになって綱引きをするのです。綱引きをするには、一番前に強い人が立たなければなりません。弱い人が立っては駄目なのです。共産世界は中共とソ連が金日成を中心として一つになって引っ張っているのですが、民主世界の米国や日本は引っ張られるようになったのです。それで仕方なく統一教会のレバレンド・ムーンが韓国を代表し、日本の食口と米国の食口と一つになって日本と米国と韓国に問題を起こしながら、「霊的に、精神的に戦って勝たなければならない。反共をしなければならない」と主張をしているのです。
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《E》
真の御父母様の生涯路程3 第三節 五
先生が歩んでくる道において、神様は歓迎されなかったのです。見捨てておかれたのです。協助してはいけないようになっていたのです。協助してしまえば、もうキリスト教には手をつけられないのです。キリスト教を再び救うことができないというのです。
私はそれを知っていたのです。
だから神様は私を打ってでもキリスト教を保護してきたし、私に苦労をさせながらでも韓国のキリスト教を育ててきたというのです。
私を保護してしまえばその時点で、キリスト教を保護できないのです。それで、そのままほっておかれたのです。そして迫害を受けながら、本来の位置まで上がってこなければなりません。
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《F》 1972年
文鮮明先生御言選集 55
(書籍) メシヤと我々 1972.4.23 日本 東京教会
人は別に変わりません。先生の教える主義は韓国式ではない。「東洋から来た先生だから、東洋の習慣観念の何々になっている先生だから、韓国から来たから何とかこうとか……」。
先生は韓国人ではない。韓国で生まれたが、今でも韓国から迫害されている者である。先生は韓国の歴史にない主義を唱えている。風習、風俗、みな韓国式ではない。
日本人でも、「韓国で生まれた文先生が、日本の侵略した過去の政治的なすべての怨讐に報いるために、新しい思想で青年たちを何とかして、これでもって日本思想をないがしろにしようと……」。いろいろのうわさで反対する者もいる。「そういう者ではありません。これは神様の願う方式である」。説明して納得すれば、彼らは動くようになっているよ。
《G》 1972年
文鮮明先生御言選集 55
(書籍) メシヤと我々 1972年4月23日 日本 東京教会
人は別に変わりません。先生の教える主義は韓国式ではない。「東洋から来た先生だから、東洋の習慣観念の何々になっている先生だから、韓国から来たから何とかこうとか……」。先生は韓国人ではない。韓国で生まれたが、今でも韓国から迫害されている者である。先生は韓国の歴史にない主義を唱えている。風習、風俗、みな韓国式ではない。
日本人でも、「韓国で生まれた文先生が、日本の侵略した過去の政治的なすべての怨讐に報いるために、新しい思想で青年たちを何とかして、これでもって日本思想をないがしろにしようと……」。いろいろのうわさで反対する者もいる。「そういう者ではありません。これは神様の願う方式である」。説明して納得すれば、彼らは動くようになっているよ。