平和の主人 血統の主人

まさに、成約時代の毒麦となられたお母様

《 黙示録18章 3-10 節 》

3 地の王たち(幹部たち)は彼女(お母様)と姦淫を行い、地上の商人たち(教会長たち)は、彼女の(高額献金を得た)極度のぜいたくによって富を得た。

7 彼女(お母様)は心の中で『わたしは女王の位についている者であって、やもめではないのだから、悲しみを知らない』と言っている。

10  彼女(お母様)の苦しみに恐れをいだき、遠くに立って言うであろう、『ああ、わざわいだ、大いなる都、不落の都、バビロンは、わざわいだ。おまえ(お母様)に対するさばきは、一瞬にしてきた。

御言葉をサタンの言語で読んだ「ちゃぬ」 それを相続した「 龍明小説 紡ぎます」  左に急旋回した「師観」

 御言葉をサタンの言語で読んでパワーが落ちた「ちゃぬ」、それを相続した「 龍明小説 紡ぎます」、さらに、突然に左急旋回した「師観」・・・、この手のブログを読んでも、中身のない、無味無臭と言いたいが、裏切り者たち、共産主義者、似非キリスト教徒たちからの100%の伝聞、さらに捏造、作文という、サタンの毒に漬かった異臭を放つブログです。気をつけてください。


 777がどうして「対応語」にこだわるのか?


 統一原理に登場している専門用語の一つ一つには明確な定義がくだされています。しかし、文先生は「皆さんが分かる原理は、イエス様までの原理です。先生の時の原理ではありません。」(祝福家庭と理想天国(1) (書籍) 第三章 第四節 11.)」と言っているように、成約の時代の御言葉にある言葉の定義が明確になっていません。


 もちろん、文先生は再臨のメシヤの立場を取り戻された立場でしたから、一つ一つの言葉に対して明確な定義性をもって語られていたはずです。


 しかし、私たちはそのような文先生の御言葉に対して、自分の価値観、サタンの言語で理解してしまったのです。その代表的な言葉が「氏族的メシヤ」の「氏族」という言葉です。文先生が言われた「氏族」と私たちが理解した「氏族」が同一ではなかったということです。(これを扱った記事はこちらをクリックしてお読みください。)他には、「還故郷」や「先祖解放」に対する私たちの理解が文先生の定義性とは似ても似つかない理解になってしまったのです。


 文先生はサタン圏に落ちた私たちに対して、真の父母の言語で御言葉を語られていたことが分かります。それが下記です。


天聖経   ⑯天一国主人の生活 第三章 四 
 真のアダムは、真の父母です。真の父母の言語は、真の子女が真の父母を通して引き継ぐ言語です。それが原理です。
真の父母は、・・・天から来たというのです。神様から来たというのです。それ故に、神様が分からない人は真の父母が分からないとみなすのです。



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   それでは、この「真の父母の言語」とはどのようなものなのでしょうか。
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 まず、知っておかなければならないことは、サタンの言語も真の父母の言語も同じ言葉を用いていることです。例えば、「氏族」「故郷」「先祖」等の言葉がそうです。



 文先生はこれらの言葉に対して「定義は単一性である」と語られています。つまり、サタンの言語を受け入れるような「総合性」ではないことを語られているのです。それを示す御言葉が下記です。


神様の摂理から見た 南北統一 第二章 第五節 六. 2 
「科学世界は公式発達の世界ですが、・・・定義という言葉は総合性ですか、単一性ですか。(単一性です)。単一性だというのです。


 「定義は単一性である」という定義とは、真の父母の言語でのみ成り立つ定義になります。つまり、サタン側に堕ちてしまった私たちの日常生活からくる「氏族」という言語は、真の父母の言語の「氏族」の仲間に入る余地が全くないということです。


 ですから、文先生が言われた「氏族的メシヤ」の「氏族」とは、天聖経にあるように、文先生を父とした祝福家庭です。さらに言えば、不信して裏切り、密告した元信徒も私たちである放蕩息子も氏族圏になります。


 文先生は統一教会に120家庭という氏族的基台を失ってしまった為、その基台を再建するのが第三イスラエルの責任であると語られ、それが「氏族的メシヤ」の目的であったのです。
 しかし、イエス様が12弟子の基台を失って十字架で殺害されたと同じように、文先生も全祝福家庭の中から120家庭の基台が再建できなかった為に聖和されたのです。文先生が氏族的メシヤの御言葉で「父母の為に生きなさい、父母を助けなさい」と言われた「父母」とは、私の肉身の父母ではなく、私を霊的に産んでくださった私の父である文先生であったのです。


 真の父母宣布にサタンが侵入した為、文先生はあからさまに語ることができなくなってしまったのです。私たちが御言葉をサタンの言語で理解していることを文先生は知りながら、真の父母の言語で語るしかなかったのです。残念ながら、宣布以降、サタンに侵害されてしまった私たちは、今日も、御言葉の真意が全く理解できなくなってしまっているのです。


 このような観点からして、文先生があからさまに語ることができなくなっていた一つ一つの言葉の「対応語」を御言葉から探し出すのが、777ブログの現在の目的です。

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