5⃣-3 ブログ村の「龍明小説 紡ぎます」は、文先生とお母様の一部の真実を知ることができる最悪のブログです。
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今回のテーマは・・・
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何故、お父様がお母様に対して「死を顧みないで堕落する」ように図らわれたのかです。
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何故、「死を顧みないで堕落する」お母様を作らなければならなかったのでしょうか。
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これこそが、長い間まったく論じられなかった、原理講論に記された「アブラハムの典型路程」になります。原理が真理なら、この路程はお父様とお母様が歩まなければならない路程になります。
ここで問題になるのは、お母様を天使長的人物に差し出すという、第一夫人に対してもあった「アブラハムの典型路程」を歩まなければならなかった時、文先生は如何なるお方であったのかです。文先生が神様と無縁であれば悪魔の中の悪魔になります。
それを知ることができる御言葉が次です。
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サタンを主人として仕えた文先生
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まず、下記の御言葉〔A〕〔B〕をお読み頂ければ、文先生がサタンにどのように向き合われたのか、一目瞭然です。「アブラハムの典型路程」に関する御言葉は、消化できなくても、知って、かみ砕いて、何度も反芻して、決して吐き出さず、三年くらいで消化しなければなりません。
御言葉〔A〕
赤表紙 天聖経
第四篇 第三章 第一節
19 私たちは、少なくとも八段階の過程を経ていかなければなりません。統一教会で教えた僕の僕の時代が、皆さんにあったでしょうか。僕の僕の時代は、僕が主人になるのです。主人が命令する僕ではなく、僕(サタン)が命令する僕の僕の立場です。その場で、僕の位置をどれほど慕わしく思うかというのです。それで僕の立場から養子の立場、庶子の立場、直系の子女の段階まで、その次に母の段階、父の段階まで行かなければなりません。
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御言葉〔B〕
天聖経
真の神様 第四章 四
それでは神様は全知全能であられるのに、なぜ天使長を打ち捕らえることができないのでしょうか。なぜサタン悪魔をやっつけることができないのかというのです。
サタンを打ち捕らえられないのは、神様もサタンを愛さなければならないからです。絶対者であられる神様が立てた天使長が悪魔になったとしても、神様は、天使長を本来の堕落していない立場で考えてやることのできる基準をいつももって歩まなければならないのです。
ですから天使長を愛さなければなりません。神様の前に造られたアダムとエバは、神様の体です。ですから※神様のみならず、アダムとエバもサタンを愛さなければなりません。
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上記の御言葉はお父様が勝利された基台の上で語ることができた御言葉です。この御言葉から生まれた実態はどのような世界であったのでしょうか。
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初夜を迎えていないお母様をサタンに捧げた
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お父様は「アブラハムの典型路程」の事実蕩減として、初夜を迎えていないお母様に対して「死を顧みない」ように諭し、天使長に最高のお土産として捧げられたのです。
もし、これを否定するなら、原理講論も御言葉も否定することになるはずです。
お父様はこの世にはない贖罪法だった事実蕩減で成さなければならなかったのです。如何なる誹謗中傷を受けても、生涯辱めを受けても、たとえ、この為に、死の道に行ったとしてもです。
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これを知った者が救われるのは・・・
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これを知った者が救われのは、何も知らないお母様の堕落を「人間始祖アダム、エバの堕落」として世界の指導者たちに向かって講演されたように、お父様ご自身の堕落とされたことです。そしてそれは、お父様の生涯路程によって証明できるようになったことです。
お父様は娘のようなお母様(実の娘だと思います)を燔祭としてお捧げになられたのです。(実の娘だからこそ、蕩減的愛に合致したのです。他人の娘ならサタンもサタン視します。私はそのように思います。)供え物に口なし、供え物をする者に口なし。神様も訪ねることができない奈落の底で、サタンから身を隠してお一人で泣き明かされたお父様だったのではないか。私は、ただただ、言葉を失うだけです。
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ブログ村の「龍明小説 紡ぎます」は、文先生とお母様の一部の真実を知ることができるサタン側のブログです。
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このような観点に立ってみると、ブログ村の「龍明小説 紡ぎます」は、あちこちの情報に自慰的欲望を追加した、サタン側のブログです。嘘にまみれたこのブログを読まれる方は、文先生とお母様、子女様たちの真実のみを知ってください。
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残念なことは、このような情報が、未だに、神側から著わすことができる人物がいないことです。
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