平和の主人 血統の主人

まさに、成約時代の毒麦となられたお母様

《 黙示録18章 3-10 節 》

3 地の王たち(幹部たち)は彼女(お母様)と姦淫を行い、地上の商人たち(教会長たち)は、彼女の(高額献金を得た)極度のぜいたくによって富を得た。

7 彼女(お母様)は心の中で『わたしは女王の位についている者であって、やもめではないのだから、悲しみを知らない』と言っている。

10  彼女(お母様)の苦しみに恐れをいだき、遠くに立って言うであろう、『ああ、わざわいだ、大いなる都、不落の都、バビロンは、わざわいだ。おまえ(お母様)に対するさばきは、一瞬にしてきた。

1⃣-2 1996年・世界講演ツアー の「人間始祖アダム」とは誰か?・・文先生しかいません!!

 

 いよいよ本日から、世界講演ツアーでお母様が語られた「救援摂理史の原理観」の考察に入ります。本考察は、当時(1996-1997年)、文先生の40年サタン分立路程からなる過去の価値観にとどまっていた私たちにとって、衝撃が走る内容です。


 以下の考察によって、1992年の「真の父母宣布」以降のお父様とお母様の摂理的位置が明らかになり、さらに、子女様である長子と次子の摂理的位置までも明らかになります。


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御言葉〔A〕「救援摂理史の原理観」
 ※2-1の「人間始祖アダム、エバ」とは誰のことか?
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  この考察で、必要に応じ、クリックしてお読みください。
    『祝福家庭と理想天国(1)』「救援摂理史の原理観」
    『原理講論


御言葉〔A〕


「救援摂理史の原理観」  1996.9.10-1997.3.13


尊敬するご来賓、世界平和家庭連合の会員、そして紳士淑女の皆様!


新緑の季節八月を送り、すでに五穀が実る天高く馬肥ゆる豊かな結実の季節、秋の初めに、私たちすべてが顔を向かい合わせて座り、自らを確立してみる時が来ました。


このような時に、私はきょう、各界の高名なる指導者の皆様とともに、人間の生命の揺籃であり、平和世界の礎石たる真の家庭に関して共にお話を分かち合えることを無限の喜びと考えます。きょうのこの集いが未来に健全な家庭と平和世界を築く貴い動機となるようにお願いします。


神様は絶対者であられ、唯一、不変、永遠であられるお方です。そのみ旨も同じなのです。もし※2-1人間始祖アダム、エバが神様の愛で一体になったなら、万事は完全、完成なのです。


ですから、神様の出発、目的とその過程も、そして原因と結果とその方向も絶対的なのです。※2-1人間始祖アダム、エバは無知から堕落し、混沌に陥りました。個人的な無知と混沌から、家庭、国家、世界的無知と混沌に陥るようになりました。


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※2-1「人間始祖アダム、エバは無知から堕落し、混沌に陥りました。」とは・・・

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 ここでの「アダム」と「エバ」は、六千年前の最初のアダムとエバのことを言っているのでしょうか。


 もし、そうであると理解するなら、原理講論は完全に破綻することになります。


 それが以下の考察(1)(2)から分かります。


 前回取り上げた御言葉〔A〕からも分かりますように、「人間始祖のアダム」というお方は最初のアダムだけではなく、第二アダムのイエス様と第三アダムの文先生がいます。


 それでは、この「人間始祖のアダム」とは、一体、誰になるのでしょうか。分かれば、これまでの統一教会に革命を起こす内容です。しかし、間違えば、彼らの信仰を破綻させる内容です。


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  (1)※2-1の「人間始祖アダム」の「アダム」とは最初のアダムはのことではない

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これを具体的に精査すると・・・、


 第一に、最初のアダムとエバは神様から禁断の実を取って食べれば「死ぬ」という、極めて厳しい「戒め」を与えられて知っていたのですから、最初のアダムとエバは「無知で堕落した」のではないことが分かります。


 しかし、この「アダムとエバ」は「無知で堕落した」のです。



 第二、更に重要な内容です。下記の御言葉〔B〕〔C〕には最初のアダムは「堕落によって無知に陥り」とあります。


 しかし、※2-1の「人間始祖アダム、エバは無知から堕落し、混沌に陥りました。」ととあるように、この「アダムとエバ」は原理とは全く反対になっているのです。


 従って、この「アダム」を文字の奴隷になって第一アダムとすると原理が破綻します。


 つまり、第一と第二から分かりますように、原理が真理である為には、この「アダム」は第一アダムではないことになるのです。



御言葉〔B〕

  原理講論  第二章 堕落論 第五節  (三)自由と堕落 


 人間は、堕落によって無知に陥り、神を知ることができないようになったので、その心情も分からなくなってしまった。それゆえに、人間の意志はこの無知によって、神が喜ばれる方向を取ることができなくなってしまったのである。



御言葉〔C〕

  原理講論 第三章 第二節 (三)人類歴史はすなわち復帰摂理歴史である


 しかし、人間は堕落によって無知に陥り、そのような社会をつくることができなかったから、悠久なる歴史の期間を経て、科学をもってその無知を打開しながら、創造本然の理想的科学社会を復帰してきたのである。



 第三に、下記の御言葉〔D〕原理講論に堕落の経緯が詳細に記されています。


御言葉〔D〕

  原理講論 第二章 第五節 (三)自由と堕落と復帰


天使から誘惑された当時のエバは、いまだ知的、あるいは心情的に、未完成期にいた。したがって、エバが天使の誘惑により、知的に迷わされ、心情的に混沌となって誘惑されたとき、彼女は責任と実績を追求する本心の自由によって生ずる不安を覚えたのであるが、より大きい天使との愛の力によって、堕落線を越えてしまったのである


 上記のように、第一アダムとエバの堕落は、※2-1の「人間始祖アダム、エバは無知から堕落し、混沌に陥りました。」とある内容とは、全く違っているのです。


 それでも、これまでの統一教会、家庭連合のように、この原理を無視して、ユダヤ教とキリスト教が失敗したのと同様に、彼らもまた文字の奴隷になって、※2-1の「アダム」を第一アダムであるとするなら、彼らの信仰そのものが破綻することになります。


 つまり、現在の家庭連合が文先生に対して不信を続けた結果、文字の奴隷になったユダヤ教とキリスト教の失敗を繰り返えさなければならなくなってしまったと言えるのです。まさに、同時性の繰り返しです。


 このように、サタン側が文先生によって完全に追い込まれていることが分かります。しかし、この御言葉を捨てることができないお母様を中心とした彼らは、今、文先生を恨みたくなる運命期(最後の審判の時)に入っていると言えるのです。つまり、彼らは、文字どおり解釈しなければならなくなってしまったことにより、彼れの原理観と信仰も破綻してしまったと言えるのです。



 ここで、納得いかない方の為に、補足しておきます・・・、


 このメッセージには、他にも沢山、原理の堕落論と違う決定的な堕落の観点が語れています。(後日考察しますので、お待ちください)

 


 以上のような三つの観点からして、※2-1の「無知で堕落した」のは、六千年前の縦的蕩減を横的に復帰することになった第三アダムとエバであることが十分理解できたと思います。

  


次に・・・

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  (2)※2-1の「人間始祖アダム」はイエス様のことでもない

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 何故なら、 前回取り上げた御言葉〔A〕の※1-1に「イエス様が真の父母の家庭を築くことができずに約束だけして亡くなられました。」とありますように、イエス様は相対(エバ)を持つことができないまま亡くなられたからです。


 その為、イエス様は「人間始祖アダム」の資格者ではあっても、エバを持てなかった為に家庭が出発できなかったのですから、この「人間始祖アダム、エバ」には該当しません。



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  (3)※2-1の「人間始祖アダム」は文先生以外にいない

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 (1)と(2)によって、この「アダム」が文先生であることに異論はないと思います。ある方はコメントにその理由も添えてください。


 もう一つ、この※2-1の「アダム」が文先生であることが分かる御言葉〔E〕が下記です。(この御言葉は「救援摂理史の原理観」の中ごろに語られています。)

 

御言葉〔E〕

  「救援摂理史の原理観」


「堕落の張本人であるエバの代わりに責任を果たすお母さんを立て、次子と母子協助をしながら、サタンの血統と生命を分立させるための摂理が存在してきたからです。神様は、堕落によって人類を先に占有したサタンと血縁的に直結した長子に、直接対することがおできになりません。神様は善側を代表する次子を相対として条件を立たせ、悪側を代表する長子を屈服させることで、善なる血統を復帰してこられました。」


 この御言葉〔E〕で、「人間始祖アダム、エバ」のエバが『お母さん(お母様)』であることが分かります。

 従って、※2-1の「アダム」は自動的に文先生にならなければなりません。



(ここで余談ですが・・・)

 上記、御言葉〔E〕にある「サタンと血縁的に直結した長子」とは誰であり、「善側を代表する次子」とは誰であるのか。

これは、1996-1997年時代の子女様を見れば一目瞭然です。このメッセージを壇上で読み上げた長子の方はどんな思いだったのでしょうか。



 以上の考察から、※2-1の「人間始祖アダム」は文先生になります。そうなれば、サタンに翻弄されて堕落したエバは自動的にお母様になります。


 お母様は、リベカ、レアとラケル、タマル、マリア、等々・・第一夫人の失敗と第二夫人の失敗、祝福家庭の女性たちの失敗も、全て蕩減しなければならない立場に立たれたのです。


 お母様は文先生のエバとなって、共に勝利して、真の父、真の母にならなければならなかったのです。



つづき・・・




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