平和の主人 血統の主人

まさに、成約時代の毒麦となられたお母様

《 黙示録18章 3-10 節 》

3 地の王たち(幹部たち)は彼女(お母様)と姦淫を行い、地上の商人たち(教会長たち)は、彼女の(高額献金を得た)極度のぜいたくによって富を得た。

7 彼女(お母様)は心の中で『わたしは女王の位についている者であって、やもめではないのだから、悲しみを知らない』と言っている。

10  彼女(お母様)の苦しみに恐れをいだき、遠くに立って言うであろう、『ああ、わざわいだ、大いなる都、不落の都、バビロンは、わざわいだ。おまえ(お母様)に対するさばきは、一瞬にしてきた。

日本から天の新婦があらわれなかった??  訪韓修の御言葉 ➡ 本妻(韓母)と妾を入れ替える摂理…これが「基元節」だった

「トミーさん」は「777」が取り上げている「アブラハムによるイエスの典型路程」を否定しています。


そこで、本日は「アブラハムによるイエスの典型路程」の本質が何であったのか?・・・この問題を考察します。文先生が語られた「妾」とはこの世の「妾」と同語ではなく、女版の愛が絡んだカインアベルにまります。

軍配さんのコメント・・・・


「アブラハムによるイエスの典型路程はヤコブが行ったサタンを自然屈服させる為の典型路程ではなく、人間自体が蕩減しなければならない為の典型路程ではないでしょうか。」


このことは、だいぶ以前に、私からトミーさんにコメントしたことがあったと思います。


もう一度、このコメントを統一原理から整理します。


原理講論によれば、ヤコブが歩んだ典型路程は「実体基台を成す為の典型路程」であったことです。しかし、その前にあった「アブラハムによるイエスの典型路程」はアブラハムが象徴献祭とイサク献祭の前に行った「信仰基台を立てる為の典型路程」であったことです。


分かりますね。全く別の典型路程です。


ですから、「アブラハムによるイエスの典型路程」は文先生が家庭を出発する前に、第一夫人の時も韓お母様の時もなされた摂理であったのです。


これは、堕落した立場に立っていたエバが自らの責任でサタン分立しなければならない摂理であったのです。第一夫人も、韓母も、新婦にふさわしいエバであるかどうかサタンの試験に合格する為に、文先生が妻をサタンに差し出した摂理であったのです。


この世の道義者からすれば理解不能です。原理を知る者のみが針の穴を通って信じることができる摂理です。


原理を聞かされていなかった韓母がこの摂理でサタンに貞操が奪われたとしても、自らの責任で文先生を夫として絶対信仰を貫き、本然の位置に再び戻らなければならなかったはずです。しかし、第一夫人もできませんでした。


韓お母様も最終的に文先生に躓いてできなかったのです。

文先生が歩まれた八定式からすれば、韓母を天使長的人物に差し出すということは一度や二度ではなかったと思いますが詳細は語られていません。


1992年に韓母が何に躓いたのかが問題です。この問題を直接あからさまに語った御言葉はありませんが、所有権転換できなかったことが分かる御言葉があります。

この御言葉は、韓国の幹部たちも聞いたことがなく、妾の位置にあった日本の女性達にだけ初めて語られたものです。ですから、聞いていた女性たちはあまりにも幼く、理解できなかったのです。「妾」という言葉に躓いた女性達もいたのです。その代表的女性が裏切って反対ブログを書いていた「ちゃぬ」です。この「ちゃぬ」に対して日本統一教会は一言も反論できないでいるのは、「ちゃぬ」が統一教会のタブーを主要なテーマにしていたからです。一人の女から金縛りにあっているのです。


この御言葉は、いまでも迷宮入りのように扱われています。関心のある方は、是非、読まれたらいいと思います。この御言葉の本質を知らずしては文先生を理解することは不可能なほどです。


この御言葉の本質は、本妻であるお母様が(真のアダム基準を取り戻られた)文先生に対して妾の位置にある新婦を、新たに紹介しなければならない摂理であったということです。

つまり、本妻と妾を入れ替えるという摂理です。本妻が妾になり、妾が本妻になるということです。これが原理の本質であり、訪韓修で語られた本質であったのです。


しかし、当時の幹部たちも愛の迷路という煩悩が立ちはだかって理解できませんでした。70歳を過ぎられた文先生が10代、20代の娘を新婦に迎えるというのですから、道義的、世間的な面から不信した為理解できるはずがなかったのです。ラケルの位置にあった日本の不信の影響を受けた韓母は人間的に判断して日本エバを逆主管して文先生を不信したのです。本妻と妾が交差するという天が采配したその場で交代できず、サタンの血を証明する近親相姦の場になってしまったのです。


つまり、統一家という氏族圏がサタンの血で汚されたことを近親相姦になったと言っているのです。この時語られた「アメリカの近親相姦」というのは「世界基準に立った第三イスラエルの近親相姦」のことを言っていたのです。

これによって、神様王権即位式も基元節(小羊の婚宴)も本来の基準でなすことができず、やむなく、文先生はカナンを目前にして自死(聖和)されたのです。その後に行われたお母様お一人での基元節はサタンが主管するものとなったのです。さらに分裂して、黙示録がそのまま成就したのです。

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