平和の主人 血統の主人

まさに、成約時代の毒麦となられたお母様

《 黙示録18章 3-10 節 》

3 地の王たち(幹部たち)は彼女(お母様)と姦淫を行い、地上の商人たち(教会長たち)は、彼女の(高額献金を得た)極度のぜいたくによって富を得た。

7 彼女(お母様)は心の中で『わたしは女王の位についている者であって、やもめではないのだから、悲しみを知らない』と言っている。

10  彼女(お母様)の苦しみに恐れをいだき、遠くに立って言うであろう、『ああ、わざわいだ、大いなる都、不落の都、バビロンは、わざわいだ。おまえ(お母様)に対するさばきは、一瞬にしてきた。

エバ国家の代表=「ちゃぬ」の落日!! (遅咲きの「龍明小説紡ぎます」も、今ごろ反転した「師観」も  落日!!)

   

 「ちゃぬ」ブログの記事は、御言葉から文字どおり解釈すれば誰でも嫌気がさす御言葉ばかりを探し出し、「これを見よ」と、勝ち誇ったように公開した。そして、文先生の人格を攻撃したのです。言ってみれば、文先生の手中に「ちゃぬ」ははまったのです。


 「ちゃぬ」は赤子でも勝つ後出しじゃんけんで、さも勝ったと、反対派からも、新たに躓いた信徒たちからも、共産主義者からも、似非キリスト教信徒からも、沢山の称賛を受けたのです。


 しかし、天は愚かではありませんでした。

 彼女は、後出しじゃんけんで勝ったことに対し、後々、赤面する時が来ることを知らず、聴衆の視線に快感を覚えたのです。別の言い方をすれば、「人の褌で相撲を取る」という、文先生の御言葉を文字どおり解釈して羅列し、それに韓国の史実の恥部までも、あることないことを捏造して文先生に重ねたのです。反統一教会、反文師で賞賛を受けるというズルい役割を演じただけだったのです。

 そして、「ちゃぬ」が自分の間違いに気づく前に、彼女のメンツを守る為、賞賛を受けた喜びが残っているうちに、天は彼女の前に緞帳をおろしたのです。


 真の父母宣布にサタンが侵入したことにより、訪韓修に参加した「ちゃぬ」は日本エバ国家から選ばれて女ユダとなり、サタンの懐に入ったと私は思います。そして、文先生を歴史上もっとも恥ずべき男としてブログを書き続けたのです。


 文先生はそれを知りながら彼女をカラスのように自由に空を飛ばせたのです。離れるものがあれば離れるように、打つ者があれば打たせるように、内的な言葉を外的な言葉で語り続けられました。

 1992年以降の御言葉が文字どおり解釈することが正しければ、「ちゃぬ」は正しかったのです。「ちゃぬ」によって離れた信徒たちも正しかったのです。

 それですべてが終われば、ちゃぬにとっても、離れた信徒たちにとっても、遅咲きの「龍明小説紡ぎます」も、今ごろ反文師にひっくり返った「師観」も、萎えた共産主義者たちも、似非キリスト教信者たちも、おいしい汁を吸って来た反対弁護士たちも、そして、現在の家庭連合の幹部たちも、めでたしめでたしでした。


 しかし、残念ながら、文先生はサタンよりも上手でした。悪霊たちが再臨復活して、サタン側の手持ちカードがなくなった後、最後のジョーカーが文先生から出たのです。

 これが、下記の御言葉にある「対応語」です。これにより、1992年以降の御言葉は「いつでも」対応語をもって読まなければならなくなっていたのです。


ファミリー 2004/10 P23 

 「いつでも、二重的な言葉の相対を見つけ出さなければなりません。対応語は何かということです。」


 問題は、この対応語を原理基準に沿って探し出し、その対応語による新たな解釈がどうなっているのかです。


 この問題については、今後、公開していきます。これが、原理基準から逸れてしまうようでは、文先生は偽者になります。果たしでどうなるでしょうか。乞うご期待!!

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