「ちゃぬ」「暗在オシホ」「師観」に捧げる ☞☞ 文師は「幹部たちの腐敗堕落」をどう語られたのか???
天宙の王座
神様王権即位式 2001年1月13日午前7時 2001.1-12
2 今まで、神様王権即位式のために、ユダヤ教の第一イスラエルから、キリスト教の第二イスラエルを経て、(※)第三イスラエル圏である韓国に至るまで、旧約時代と新約時代、そして成約時代へと越えてきました。
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(※)から分かりますように、「第三イスラエル圏」=「韓国」と言っていますが、この「圏」とは何を意味しているのでしょうか。
本来であれば、この「圏」という文字は必要ないはずです。しかし、王権復帰をなす統一教会の不信により「死を前倒し」しなければ、「韓国」をそのまま第三イスラエルとは言えなくなってしまったのです。
文先生は「死を前倒し」して第三イスラエルと韓国を神側に繋ぎとめておられたのです。その条件により、「韓国」もどうにか第三イスラエルの「圏」にとどめておくことができていることをあらわしているのです。
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1992年の真の父母宣布にサタンが侵入し、さらに、神様王権即位式にもサタンが侵入したことにより、日を追うごとに、文先生は摂理的御言葉をあからさまに語ることができなくなっていったのです。
その為、内的な摂理的言葉を原理的に対応する外的言葉に換えて語られるようになったのです。(その対応表は現在更新中です)
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ここからは本日のテーマになります。
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下記の御言葉の「大韓民国」
上記のことを知って、下記の御言葉の「大韓民国」という言葉を理解すれば、この御言葉が内的な第三イスラエル(統一教会)を憂いておられる御言葉であることが理解できます。
もし、「大韓民国」を文字どおり解釈したとして、韓国の実情を語られたとするなら、この時の(※2)の韓国が(※1)にあるように、「金によって腐敗し、民主主義が嫌いに」なっていません。「嫌い」どころか、実情は正反対でです。
何故でしょうか。
原理的観点からすれば、韓国の腐敗堕落の原因は統一教会の腐敗堕落が原因になっているはずです。韓国為政者たちの腐敗堕落問題は、彼れらにはどうしようもできない状態にあると言えるのです。
文先生 ☞ 統一教会内部の腐敗堕落問題を語られていた
この(※1)の「金によって腐敗し、民主主義が嫌いになる」という真意は一体何なのでしょうか。
下記の御言葉は、先祖解放による献金に対して、統一教会で白昼堂々と起こっていた腐敗堕落問題を言っていたのです。さらに、文先生は、腐敗堕落を知った信徒たちが「幹部たちの腐敗堕落は文先生の人選にあった」と不信の声が上がっていることを知って語られたのです。
文字どおり解釈するなら・・・宗教指導者としての品格を貶める
ましてや、文先生は宗教指導者として世界的に名を馳せたお方です。そのお方がご自身の体(統一教会)で起こった腐敗堕落問題を棚上げし、韓国の腐敗を論ずることは、誰が聞いても本末転倒なことです。
違いますか。
一言でも語れば、宗教指導者として生涯積み上げた功績を、自分で一瞬にして貶める、まさに、晩節を汚す言葉です。文先生としては絶対に語ってはならない言葉だったはずです。
他にも、文字どおり解釈するならば、晩節を汚す御言葉が沢山存在しています。その代表が「純潔教育」です。
このことを知らないで語られたとは、想定もできません。
自ら躓き離れて行った
ですから、1992年以降、不信の芽を持ち始めていたリーダー層の信徒たちにとって、文先生から離れる都合の良い御言葉になったのです。彼らは、原理を無視し、文字どおり解釈することを積極的に取り入れて、自ら躓き離れて行ったのです。
特に、2004年以降の御言葉
2004年以降の御言葉は、対応語に転換してして読まなければ、正しい理解は得られなくなってしまったのです。もし、文字どおり解釈するとなると文先生の人格が地に落ちるようになり、不信が不信を連鎖する悪の繁殖という、とんでもない問題が起こってしまったのです。
天聖経
⑩ 成約人への道 第三章 三 2.
今日、アメリカ(天使長的立場の第三イスラエル)を民主主義の宗主国として先進国家と言いますが、(※1)将来お金によって腐敗し、民主主義が嫌いになる時が来るのです。
(※2)大韓民国(=韓国を拠点とする第三イスラエル)にも今、このような実状が起こっています。
民主主義が良いことは良いのですが、今の私たちの国(=第三イスラエル)ではお金のためにもろもろの中傷謀略が起き、政権(=統一教会の主導権)を奪い取ろうとする闘いが起こっています。
(韓お母様がお金に執着している為に、幹部たちまも同じくなっています。)それが民主主義ですか。それは(お母様と幹部たちの)特権主義的な状態で起こる現象です。
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「民主主義」とは、再臨主が殺害されないように用意された制度です。
キリスト教の失敗により、文先生はもう一度再臨主の位置に戻る為にあったのが40年サタン分立路程であり、その正否を決する七年路程であり、さらに、12年の延長時代でした。
この60年間の期間は、文先生は洗礼ヨハネ的立場で第三イスラエルのトップの責任を果たされました。この期間、統一教会の人選は全て文先生よって成されました。いわゆる、失敗したキリスト教、民主主義を代表した立場の文先生が人選されたということです。この時代が聖和と共に終わったのです。