平和の主人 血統の主人

まさに、成約時代の毒麦となられたお母様

《 黙示録18章 3-10 節 》

3 地の王たち(幹部たち)は彼女(お母様)と姦淫を行い、地上の商人たち(教会長たち)は、彼女の(高額献金を得た)極度のぜいたくによって富を得た。

7 彼女(お母様)は心の中で『わたしは女王の位についている者であって、やもめではないのだから、悲しみを知らない』と言っている。

10  彼女(お母様)の苦しみに恐れをいだき、遠くに立って言うであろう、『ああ、わざわいだ、大いなる都、不落の都、バビロンは、わざわいだ。おまえ(お母様)に対するさばきは、一瞬にしてきた。

反論できなかった日本・・・「ちゃぬの裏韓国日記」は日本女性達の ☞ 不信の落とし子だった

下書きのような記事になりますが・・・、前半を載せておきます。
(誤字脱字があるかも知れません、ご了承ください。)

(1)「ちゃぬ」の役割


2010年辺りから始まった「ちゃぬの裏韓国日記」の「ちゃぬ」は韓国人の夫を持つ元祝福家庭の女性。彼女は御言葉全集から信徒たちが躓くような御言葉を見つけては日本語に翻訳してブログで公開してきました。


「ちゃぬ」のサタン的功績が二つ上げられます。


① 御言葉が分からなくなった信徒たちに向かって不信を与え、その不信が正当であるという理由までも与える役割を果たしたことです。これによって数え切れないほどの信徒が離れました。


➁ 「ちゃぬ」は拉致監禁された信徒がわずか数日で脱会に至らせる役割を果たしたのです。その数、なんと、4300人です。「ちゃぬ」があらわれる前までは、拉致監禁から脱会い至るまでの期間は数か月以上かかっていたのですから、彼女の反対派に対する功績が如何に大きかったかが分かります。


ここで問題となるのは、これほど被害を与え続けた「ちゃぬ」に対して、韓国と日本統一教会本部は放置したまま、一言も反論できなかったことです。「ちゃぬ」の登場はエバ国家の代表的女性たちが不信したことによる落とし子だと思います。




(2)本部はどうして「ちゃぬ」に反論できなかったのか?


 たしかに、統一教会は拉致監禁問題に関して「信仰の自由」という観点から、法廷闘争としては勝利しました。

しかし、考え方を換えれば、この勝利はサタン側の法の力を借りて「信仰の自由」という問題を解決したに過ぎず、肝心な問題が残されたままになってしまったのです。


その問題とは、私たちの親である文先生が「ちゃぬ」から冤罪問題として扱われたことです。にもかかわらず、本部はなす術もなく放置したままになってしまったのです。つまり、統一教会の幹部たちは文先生が歩まれた非法の愛による蕩減路程を知りながら、内的に不信し、文先生に対する冤罪を見て見ぬふりをしたのです。つまり、日本統一教会にサタンが侵入したということを証左するものになったのです。




(3)文先生の冤罪問題とは何であったのか?


この冤罪問題こそ、文先生と統一教会が1945年のキリスト教の失敗を非法の愛によって蕩減しなければならない為に起こった核心的問題であったのです。


この問題は「真の御父母様の生涯路程全巻」と「訪韓修の御言葉」から分かります。

1960年代にあった韓国祝福家庭の女性達の不信を蕩減する立場にあったのが日本祝福家庭の女性達でした。しかし、日本祝福家庭の女性達は韓国から主管されて反対に不信を再現してしまったのです。




(4)日本祝福家庭の女性たちは不信を自己正当化した


非法の愛による蕩減を行かれた文先生。これを目の当たりに見た日本祝福家庭の代表的女性たちは、「時の時に時のことを成した」タマルやマリヤのような絶対信仰の「一日」を捧げることができませんでした。

 そして、その女性たちの夫であった幹部のヨセフたちも落日のように不信したエバ側に落ちたのです。

この問題は御言葉から考察している「777」からして、決して否定できない事実であると思います。




(5)それでも日本女性達を愛された文先生


 韓国と日本祝福家庭の女性達は、不信から摂理的無知に陥ってしまったにもかかわらず、文先生は彼女たちを許し、深く愛されました。その為、祝福家庭の女性達は、ただただ、文先生をメシヤとして、真の父母として盲目的に仰ぐようになったのです。




(6)盲目的信仰が生んだ次の悲劇


統一教会の女性達が陥った盲目的信仰は、彼女たちが「時の時に時のこと」ができなかったにもかかわらず、お父様から許され愛されたことにより、日本女性達の心の中に自虐的な贖罪意識が生まれたのだと思います。

これ以降、日本女性達は文先生とお母様に対して、ただただ、「真の父母である、再臨主である」として、一方的に神格化する時代が始まったと言えるのです。




(7)サタンがお父様とお母様を神格化した


お父様とお母様が神格化の頂点に達したのが2001年の神様王権即位式です。

この即位式以降、サタンは私たちに次のような御言葉でささやいたのです。  

『(再臨主が語る)真理は、・・・だれしもが共通に理解できるように、「あからさまに」解いてくれる(ヨハネ一六・25)。(原理講論 総序)』


 この『「あからさまに」解いてくれる』という言葉をもって、サタンは何を仕掛けてきたのかが問題です。残念ながら、この仕掛けられた落とし穴に全家庭連合全体が落ちてしまいました。


(つづき)

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