平和の主人 血統の主人

まさに、成約時代の毒麦となられたお母様

《 黙示録18章 3-10 節 》

3 地の王たち(幹部たち)は彼女(お母様)と姦淫を行い、地上の商人たち(教会長たち)は、彼女の(高額献金を得た)極度のぜいたくによって富を得た。

7 彼女(お母様)は心の中で『わたしは女王の位についている者であって、やもめではないのだから、悲しみを知らない』と言っている。

10  彼女(お母様)の苦しみに恐れをいだき、遠くに立って言うであろう、『ああ、わざわいだ、大いなる都、不落の都、バビロンは、わざわいだ。おまえ(お母様)に対するさばきは、一瞬にしてきた。

⑦「アメリカとは?」 天聖経の理解には対応語が必要!  「真の父母宣布」以降・・・「キリスト教会(の不信)」=『統一教会(の不信)』が同時性であった

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下記に・・・記事の正当性を証明する御言葉を『天聖経』から二つ取り上げました。
       『キリスト教会』という言葉が「統一教会」を意味している
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    第二の聖書である『天聖経』

 『天聖経』には『キリスト教』『既成教会』という言葉が沢山存在しています。この『キリスト教』という言葉が直接的に「統一教会」をあらわしていることが分かる御言葉があります。

 


 それが下記の《A》《B》です。


 どちらも「①真の神様 第一章」の御言葉です。《B》だけでも十分ですが、確証を得る為、《A》《B》を一つに合体させてお読みください。読まれれば、「キリスト教会」が『統一教会』と同義語で語られていることが分かるはずです。


     「アメリカ」=「第三イスラエル」

 これによって、「キリスト教会」と同じカテゴリーの「既成教会」という言葉も「統一教会」のことであり、「アメリカ」は『第三イスラエル(統一教会の内的国家)』に該当し、「牧師」は統一教会の『教会長』に該当し、「青少年」は統一教会の『二世たち』に該当することになります。(現時点では、1992年以降とする。)


    過去の記事が妥当であった

 従って、以前にアメリカを扱った記事《      》が妥当であることが分かります。


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対応語をもって読まなければならない必然性

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    あからさまに語られていた

 天聖経に載っている「キリスト教会」「既成教会」「アメリカ」「牧師」「青少年」という外的な言葉には、それぞれの内的な対応語が存在していることが分かりました。

 今まで、これを知らなかった為に天聖経が曖昧であったのです。しかし、対応語を知って読むようになれば、実にあからさまに摂理が語られていたことが分かるのです。



    語らざるを得なかったお父様

 お父様は不信した幹部たちに対して、「右の頬を打たれたら 左の頬を出しなさい」という真の愛と蕩減の法則により、彼らがさらに不信することを知りながら、統一教会の内的な摂理を、外的な対応語をもって語らざるを得なかったのです。



    正しさを裏付ける御言葉

 なお、この対応語の必要性については、既に、2004年5月5日、『双合十勝日宣布』の御言葉で明らかにされています。この御言葉は本考察の正当性をさらに裏付けるものです。

 この『双合十勝日宣布』の御言葉からすれば、他の対応語を見つけ出すのは時間の問題であると言えるのです。ようやく、その時が来て、私たちはお父様が語りたかったことを、直接知ることができるようになったのです。



    今後も取り上げます

 ここで取り上げている対応語は、まだほんの一部にすぎません。今後、韓国、日本という国名も考察します。他にもありますので、随時、記事として取り上げます。そうなれば、摂理の多くが明らかになるのは時間の問題だろうと思います。



    失った30年 『天聖経』が今問われている

 1992年の真の父母宣布の失敗以降、今日までの失った30年、おそらくは、誰にも見えていなかった摂理の真実が、30年の歳月を経て、第二の聖書と言われる天聖経から明らかになる時が来たのです。『天聖経』とは何であったのかが、今、全人類的に問われているのです。


    「私は何も知らなかった」
 天聖経から真実が見えてくるようになって、私の知らなかった中心家庭が浮かび上がるようになりました。あまりにも痛々しい姿となって私の前にあらわれたのです。
 しかし、それはまだ一部にすぎません。既に、私はその一部を知ってから、七年間、心情がえぐられるような体験を繰り返しました。そして、過去にはなかった日々を過ごすようになり、結局、「私は何も知らなかった」という結論に到達したのです。
 いつ死ぬか分かりませんが、命ある限り、研鑽した考察をブログで明らかにしたいと願っています。



天聖経  ① 真の神様 


《A》  第一章 二 2.


神様は愛を共にするために天地を創造したのです。ですから男性と女性を、無形の神様が永遠の愛の実体として登場させるのです。


愛の中心の実体として登場させるのが人類の善なる真の先祖、真の父母なのです。


皆さんは真の父母をもてませんでした。

しかし今日、統一教会には真の父母の教理があります。


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《B》  第一章 三 2. 


今日、数多くの道がありますが、心情を通過することができる一つの道が歴史路程において現れませんでした。そのような道は必ず現れなければなりません。

もしそれが現れないとするならば、神様はいらっしゃらないのです。人間が守らなければならない社会的倫理と道徳を教えてくれる道もあり、無限な霊界を教えてくれる道もありますが、倫理道徳と無形世界に対する教えを統合し、一つの心情の骨子の上にあげられた宗教がなければなりません。


そんな宗教を探してみると、キリスト教だったというのです。

キリスト教は心情の宗教です。


人間は堕落することによって神様を失ってしまい、神様が私たちの父だということが分からなくなったのです。


実体をもった真の父母を失いましたが、キリスト教はその真の父母を紹介することができる宗教です。



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