①「ヨーロッパとは?」 還故郷以降、私は 文先生の御言葉の品格のなさに我慢できなかった ★ ようやく その理由が分かった!!
お知らせ ☞☞ 本日の記事は昨日の記事を再整理して、より理解しやすくしました。
本日は、昨日の記事に取りあげた御言葉《A》を「天の国語」で読むとどうなるかについて考察します。(御言葉《A》は下に取りあげておきます。)
ただし、本日の考察は本論に入る前の、とても重要な考察になります。この考察は初めての記事であり、7年間温めていたものです。この考察で扱っている真意は、多くのリーダーたちがこの真意を知らなかった為、文先生を見下して離れ去って行った理由になっています。
題して・・・
「どうして文先生は自らの品格を貶める語り方をされたのか?」 です。
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御言葉《A》 ☞ (※1)「ヨーロッパ」という言葉の意味を導き出す為に・・・
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本日は、下記の御言葉《A》の(※1)「ヨーロッパ」という言葉の意味を導き出す為に、お父様の言語である「天の国語」の特徴を取り上げることにします。
語ってはならない言葉
本論に入る前に、この(※1)にある「ヨーロッパの食口たちはいませんね? それならよいです。」という言葉を考察します。
文先生の御言葉は「氏族的メシヤ」の推進の為に語られたものです。文先生の言語は真の愛からなる「天の国語」で語られているのが原則です。
その原則に沿ったものとして(※1)の「ヨーロッパ」という言葉を文字どおり解釈すると、この基準から離れている言葉になっていることは誰にも分かります。この言葉は絶対にあり得ない言葉です。
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「ヨーロッパ」とは一体何を意味しているのか??
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「韓国」「日本」「アメリカ」という国名も同様
御言葉の中に出てくる「韓国」「日本」「アメリカ」「ヨーロッパ」という言葉は、そのままの国名の場合も沢山ありますが、もう一方では、その摂理時代を担っていた統一教会の霊的、或いは、時代的な摂理的基準を「韓国」「日本」「アメリカ」「ヨーロッパ」という、「外的な言語」で代弁して用いられています。
分かりますか?
御言葉《A》は「氏族的メシヤ」の推進を語られたもの
もし、あなたがヨーロッパの信徒であったとしたら、この御言葉を聞いてどんな気持ちになるでしょうか。「氏族的メシヤ」を推進する御言葉を語られていた時、真の愛を説く再臨主から仲間外れにされた気分になるに違いありません。
だから、文先生を再臨主であると信じている聞き手の信徒たちに対しては、誤解を与える内容になっています。このような御言葉はあり得ないことですから、文先生はどうして「不信を煽る」ような語り方をされたのか、その理由を原理的立場から明らかにできなければなりません。(後日考察)
文字どおり解釈すれば・・・文先生の品格が落ちる
「韓国」「日本」「アメリカ」「ヨーロッパ」という国名で、ある摂理的目的を代弁して語られた御言葉の場合、重要な特徴があります。
その特徴とは、その国名を文字どおり解釈した場合、再臨主であり、世界的なリーダーであられる文先生の品格に致命的な傷を負わせる内容になっていることです。
沢山のリーダーが離れた
1992年以降、この事が理由で、文先生の御言葉に失望し、文先生の人格、品格に失望し、沢山のリーダーたちが離れていったのです。そして、事実、文先生はこのことを予め知っていた為、南米の摂理の時、沢山の信徒たちが離れていくことを語られていたのです。
何故、このような問題が起きたのかは後に考察します。
この問題の良き例が、御言葉《A》の(※1)「ヨーロッパの食口たちはいませんね? それならよいです。」という言葉です。
この「ヨーロッパ」という言葉を文字どおり理解すると、御言葉の価値が下がっていることが分かるはずです。何故なら、「氏族的メシヤ」の推進の為に語られた御言葉であるからです。
これを聞いたヨーロッパの兄弟たちばかりではなく、他の兄弟たちまでも、文先生に幻滅したはずです。
分かりますね??
大変、重要な考察ですので、次回は、さらに分かりやすい御言葉になっている「アメリカ」という言葉を御言葉から考察します。
前後して申し訳ないのですが、ヨーロッパの考察は、次回からのアメリカ、日本の考察後にします。
《A》
宗族的メシヤ 第四章 第六節 五 2.
(※1)ヨーロッパの食口たちはいませんね? それならよいです。
私たち氏族、私たち氏族と言うとき、もう既に先生が祝福した家庭はどれだけですか? 約二万一〇〇〇家庭になります。二万一〇〇〇家庭を世界に全部派遣したのは、イエス様が再臨してユダヤ教とユダヤの国が一つになった位置、勝利することができるその位置を身代わりして派遣したのと同じなのです。
何のことか分かりますか?
さあそれで世界に行って、先生は今戻ってきました。
どこまで来ましたか、どこまで? 南韓まで来ましたね? 南韓に来たので、南韓にあるすべての統一教会の信徒たちは故郷へ帰りなさいというのです。氏族に帰りなさいというのです。
木は同じ木ですが、種が違います。木々は、緑の色はみな同じですが、種が違います。
氏族が違うというのです。
ところがその故郷の氏族の中に種がありません。真なる種がないというのです。
真なる愛の種がありません。
それを父母を中心として、お兄さんお姉さんの一家が完全に統一教会の一家にならなければならないのです。
そうしてこそ位置を確保するのです。
統一教会の食口だけではできません。一家が故郷に帰って定着しなければなりません。(一九八九・二・五、本部教会)
神様の本然の世界でも、個人が完成したのちには何を探し求めていくのですか?
家庭完成をしなければなりません。
家庭完成をしてからは何をするのですか?
家庭第一主義ではありません。氏族完成をしなければなりません。
生育して繁殖せよと語りましたね? 氏族を率いなければなりません。家庭は、氏族の伝統を残さなければなりません。
氏族は、民族の伝統を残さなければなりません。(一九八九・二・五、本部教会)