③「韓国(語)とは?」【その1】 この記事を読めばわかる!! 『天聖経』の御言葉に ☞☞ 誰もが 文字の奴隷 になってしまった!!
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韓国語を覚えた日本人信徒にはこの記事を受け入れられない?
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どうして受け入れられないのでしょうか??
信徒たちは、文先生が「韓国語をマスターしなさい」と語られた「韓国語」という言葉に従って、日常生活で使っている韓国語のことであると、誰もが、そのまま理解してきた為です。そのようなお方は頭を冷やして、振出しに戻ってお考え下さることをお願い致します。
1992年の時、お母様と幹部たちが文先生と一体となれば、その時から実体的な天一国の建設が始まったはずでした。そうすれば、その時から、韓国語という外的な言語が、内的な天一国の言語となったはずです。そうすれば、当然、「天聖経」は登場せず、誰もが韓国語で内的言語である御言葉を学ばなければならなくなったと言えるのです。
そうすれば、1992年以降、韓国語をマスターした信徒たちは世界のリーダーとして世界中に赴いたはずでした。
しかし、お母様と幹部たちが不信した為、彼らの責任が延長されました。それでも文先生は彼らの責任分担が残っている為、いずれ全うされるものとして、しかし、イエス様と同じように、お父様も1992年以前のように直接表現で語ることができなくなり、天一国の内的言語をサタン圏の対応する外的な言語に置き換えて語られたのです。
パリサイ人と同じように、お母様と幹部たちは文字どおり解釈した為、一層、不信が不信を呼んで、不信の溝が拡大されたのです。これが、「右の頬を打たれたら 左の頬を出しなさい」という真の愛の蕩減法によるものであり、避けることができませんでした。
統一信徒たちも、これを知らなかった為、写真のように、末端の私たちまで30年間に渡って文字の奴隷になっていたのです。
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ところが、ここで問題起こったのです。
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その問題とは、お母様と幹部たちの不信が決定的になってしまったことです。
その為、これまで語られてきた御言葉の多くが、文字どおり解釈すると『誤謬』となってしまったということです。 (『誤謬』を語られた御言葉があります。)
ですから、この記事を読まれるあなたが理解しようがしまいが、天聖経を読む場合、外的な言語を対応する内的な言語に置き換えて読まなければ、意味不明、曖昧、御言葉の効力がゼロになっていると言っても過言ではないのです。
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以下は、昨日の御言葉の出だしの所【その1】を抜き出しました。
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ほんの一部ですが緑文字で抜き出しました。
これを対応語に置き換えて理解したものを是非お読みください。その違いが歴然としています。それでもあなたは、置き換えないで読みますか??
《A》
天聖経
➁真の父母 七 三)真の父母の言語を習え
【その1】
何よりも言語がいちばん問題なのです。
ここの(※1)ドクター・ダーストがですね、今韓国人たちが来ていれば、じっと座ってばかりいるので、それは実にあきれるのです。かわいそうに見えます。
ですから、言語が一つになれば、どれほど良いかというのです。そうなればどれほど良いですか? 先生もアメリカに初めて来てですね、本を通じて勉強しましたが、何、(※2)イエス、ノーしか知りませんでした。(笑い)ですから、どれほどもどかしかったでしょう? 言語統一がどれほど必要か分かるでしょう。
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対応語に置き換えて読むと次のようになります。
御言葉の深みが全く違います
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お父様は青年時代に韓国語、日本語が英語の三つの聖書を持ち歩いて、小さな文字でびっしりとメモ書きしたと語られていますから、(※2)イエス、ノーの二つの言葉しか知らなかったということはありません。
文先生が本で勉強されたというのは、神様によって再臨時代の為に準備されたアメリカの歴史や文化とを学んだことを、天使長の言語である英語を学んだと言われているのです。
(※1)ダースト氏が、韓国からやって来た韓国人と言語が違うことを言っているのは、文字どおりの外的な韓国語や英語の違いを言っているのではありません。
この言語とは、もっともっと深刻な分断問題である内的な文化や価値観、心情、思考の違うことを言っているのです。それを「かわいそう」と言っているのです。
(この御言葉の下でも「文化」のことが語られていますので、確認してください。)
お父様が言われていた韓国語が文字どおりの外的な言語なら、文化という内的な言語よりもはるかに易しいはずです。これは韓日、日韓祝福家庭の方たちは誰よりも体験しているはずですが・・・。
確かに、外的な言語の違いが不便さを与えていることに間違いないことです。しかし、文先生との内的な言語である、文化や価値観、心情、思考の違いに比べれば大きな問題ではないはずです。実際に、この世の中でさえ、言葉の違いをクリアして世界経済が発展しています。現在では、自動翻訳機が登場しているほどです。
ましてや、(※1)で、韓国からやって来た人たちの幹部達の中には英語が堪能であった人もいたのですから、ダースト氏に対して、お父様が言われている言語とは、外的な言語の違いを言っているのではなく、文化、価値観、心情、思考の違いを言っているのです。
(もちろん、私も長い間、この言語を外的なその国の言葉のことを言っていると思い込んでいました。そうでなかったのです。)
しかし、天聖経を丹念に文脈を辿りながら、一つ一つの言葉を文字どおり解釈すると、原理から脱線してしまうことが多くあります。特に、原理講論の堕落論の堕落と動機は書き換えなければならないほどです。
傲慢に聞こえるかも知れませんが、文字どおり解釈すると、もっともらしい御言葉なのですが、原理と違っている為、心情に響かない、実効性の乏しい空砲のような御言葉に私は思えたのです。
あくまでも天聖経は次の新しい時代に向けた指標であり、第二の聖書です。ぜひ、文先生は不信していたお母様と幹部たちに対して、外的な対応する言葉を用いて内的なことを語られていたことを知ってください。
この御言葉の下の方も、この方法で深淵なる御言葉を読み取ってください。