平和の主人 血統の主人

まさに、成約時代の毒麦となられたお母様

《 黙示録18章 3-10 節 》

3 地の王たち(幹部たち)は彼女(お母様)と姦淫を行い、地上の商人たち(教会長たち)は、彼女の(高額献金を得た)極度のぜいたくによって富を得た。

7 彼女(お母様)は心の中で『わたしは女王の位についている者であって、やもめではないのだから、悲しみを知らない』と言っている。

10  彼女(お母様)の苦しみに恐れをいだき、遠くに立って言うであろう、『ああ、わざわいだ、大いなる都、不落の都、バビロンは、わざわいだ。おまえ(お母様)に対するさばきは、一瞬にしてきた。

あなたは 答えられますか?  原理基準から見た場合 ☞ 「アダム」とは誰のことですか?  「人類始祖」とは誰のことですか?

 下記の御言葉〔C〕(※3)「その道に誤謬を残した自分の一生だったのであり摂理史だったという事実・・・」とあります。


 お母様がお父様が歩まれた妾摂理、六マリヤ摂理はお母様の為にあったことが理解できれば、この『誤謬』は消え去っていたのです。



 



 この御言葉の中にある自分に関して、「名なしさん」から以下のようなコメントを頂きました。


名なし   2021/07/10 12:15


誤謬のみ言葉を読むと"自分の一生"というのは, お父様ご自身の事ではないように思います。


お父様がそのようなみ言葉を語られたのか~........と私も胸が痛かったのですが,今み言葉を読んで あれっ?!とびっくりしました。



 皆さんは(※3)その道に誤謬を残した自分の一生だったのであり摂理史だったという事実・・・」にある『自分』をどう解釈されますか??


 できれば、下記の注釈入りの御言葉〔C〕を読んでから、考えてほしいと思います。


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 それでは、御言葉〔C〕を読み終わられたとして、御言葉の読み方を少し説明します。このレッスンが正しいかどうか、お考え下さい。これが間違いであれば、このブログは成り立ちません。



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(1) 御言葉にある「アダム」とは、一体誰のことか??
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 下記に御言葉〔A〕を取り上げます。


 この〔A〕から分かりますように、文先生が御言葉で「アダム、エバ」と言われているのは、「六千年前のアダムとエバ」という個人名のことではありません。


 御言葉で言われている「アダム」とは『神様の内在的性稟の半分を実体として展開した表示体』という定義になります。つまり、堕落とは無縁の完成した真の男性であり、真のアダムであり、来られるメシヤをあらわしているということです。


 この定義からして、御言葉の中で単に「アダム」と言った場合は、「文先生」になります。
 六千年前のアダムのことを言うならば「最初のアダム」とか、「第一アダム」になります。また、イエス様をアダムという場合は「第二アダム」となります。


 ところが、文先生が血の涙を流されて歩まれた妾摂理、六マリヤ摂理を隠してタブー化した為、幹部たちは文先生を恣意的に神格化してしまったのです。その為に、御言葉に語られている「アダム」の姿が文先生と一致しない為、この「アダム」の定義を無視して「六千年前のアダム」であると間違いを犯してしまったのです。


 原理講論を無視して新しい聖書講義をしたのではないのです。


 この事により、原理を暗記するほど学んだ古い祝福家庭は原理観が熔解し、文先生の御言葉にあきれ果てしまい、統一教会から半ばリタイヤした信徒の中に理知的な信徒が多くいたのはこの為だったのです。


 分かりますか。


 しかし、それでも、「アダム」と語られた御言葉の中には六千年前のアダムである場合があります。但し、その場合は、御言葉の文脈が原理講論のアダムの堕落の動機と経路と完全に一致していなければなりません。内容が原理講論に似ているが、微妙に食い違っている場合は、この「アダム」は文先生になります。


 そして、これは1992年以降の御言葉に通じる基準です。 


御言葉〔A〕


黒・天聖経 真の神様 第二章 三 1. 


アダムとは何でしょうか。神様の内在的性稟の半分を実体として展開した表示体です。エバは何でしょうか。女性の性稟を実体として展開した表示体であり、表した存在です。表したと言うとき、表したということは実体をもっている、表示体であるということです。表れる前に、表れていない動機があって表れたということです。その表れていない動機が何であるかというと、私たち統一教会では無形の実体である神様です。このように見るのです。



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(2) 御言葉のなかにある「人類始祖」「人間始祖」とは、一体誰のことか??
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 重要な御言葉〔B〕を取りあげます。


 〔B〕から分かりますように、ここでの「第三アダム」とは「文先生」のことです。さらに、「第三アダム」が「人類祖先」とあります。つまり、「文先生」は「人類始祖」「人間始祖」となられるお方だということです。


 下記の〔C〕にはありませんが、天聖経には「人類始祖」「人間始祖」と語られている御言葉が沢山存在しています。これは全て「文先生」になります。
 そして、これも1992年以降の御言葉に通じる基準です。


御言葉〔B〕


祝福家庭と理想天国(1)  祝福と理想家庭 第二章 第一節 1. 


第三アダムとは誰でしょうか。この地上に人類祖先(人類始祖、人間始祖)の名をもってこられる三番目の方(再臨主、お父様)です。(15)



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文先生は「アダム」「人類始祖」の名の下にご自身を隠された
    改ざんから御言葉を守る為
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 それでは、文先生はどうしてご自身を「アダム」とか、「人類始祖」と語られて、ご自分の名を隠されたのかが問題です。


 この問題は、お母様と幹部たちの不信が日増しに強くなったことに理由があります。先生が先に聖和するようになれば、彼らは自分たちの時代をつくろうと、都合の悪い御言葉の改ざんをすることを知っておられたからです。
 事実、彼らは先生の聖和後、御言葉の改ざんを行った形跡が残っているのです。それが「平和の主人 血統の主人」の出版です。さらに、韓国の国会図書館に寄贈した御言葉集に都合の悪い御言葉が載っていた為、お母様と幹部たちはこれを回収して改ざんし、改めて寄贈したという話があるほどです。


 前置きが長くなりましたね。でも、仕方がないのです。ご理解ください。


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それではいよいよ本題です。
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 それでは、下記の〔C〕、「(※3)その道に誤謬を残した自分の一生だったのであり摂理史だったという事実・・・」とある「自分」とは、一体誰のことなのでしょうか。


 私は、この「自分」とは文先生であるとした記事をアップしましたところ、「名なしさん」から、この「自分」という言葉は文先生のことではないと頂きました。


皆さんはどう判断されますか。


 私は、上述したように、アダムを文先生として読んでいます。そればかりではありません。下記の注釈入りの御言葉のように、文脈全体からしても、この「自分」はお父様であるとしか判断できません。
 さらに、〔C〕の「イエス様」とは(※2)(※3)から分かりますように、「イエス様」に「文先生」を重ねて語られています。


 このことにより、私は(※3)は「文先生の生涯が誤謬となってしまった」としか読めなくなります。さらには、(※3)自分(文先生)の一生だったのであり」「摂理史だった」と、「文先生の一生」と「摂理史」を同じ軸として語られたのは、「自分」が文先生であるからです。


御言葉〔C〕


2003.08.15(文先生が83歳の御言葉)


㉝「再創造の主人」(ソウル宣言) 


(「アダム」は文先生、「イエス様」も文先生としてお読みください。そうすれば、下記の赤文字の「レバレンド・ムーン」が御言葉全体を包み込んでいることが分かります。)



 レバレンド・ムーンが再創造摂理をしていくには、神様が創造された世界をすべて失ってしまい、神様まで失ってしまった人類なので、堕落していないアダムの位置に責任を持って、神様が創造して失ってしまわれた世界を再びつくらなければなりません。恨の神様を幸福の神様に解放してさしあげなければなりません。


(需要な観点は、文先生が83歳の時の御言葉であることです。このお年になられても、「再びつくらなければなりません」と語られています。


つまり、文先生の成すべきことが、8/3歳になられたとしても、まだ、なされていないということになります。これ以降、成されたという御言葉があるとするなら、文先生がお母様という真の相対を失った為に死ななければならなくなった、聖和の前に成された最後の祈りにあるだけです。


 それ以外にも「赤・天聖経 第十二篇 第一章 第二節 8-9」などに存在ししていますが、それとても、1945年にキリスト教の失敗により真の父母を失う以前を「還元式」してなしたという条件的なものです。

家庭連合の幹部たちは自分に都合のいい御言葉を探し出そうとして、御言葉をぶつ切りに死、部分的に拾っているのです。彼らは御言葉全体を俯瞰して読むことができなくなっているのです。)



・・・・



尊敬する貴賓の皆様!



 レバレンド・ムーンが家庭堂の創堂式で宣布したみ言の主要な内容が何かご存知ですか? 婚姻届と出生届に関するみ言です。レバレンド・ムーンの婚姻届ではなく神様の婚姻届、神様の出生届のことを言っているのです。



神様は、アダム(文先生)と共に結婚式をすることができませんでした。婚姻式をすることができなかったというのです。神様ご自身が宇宙創造の主人としてアダム(文先生)と共に出生届をすることができませんでした。誰のためですか? 堕落したアダム(文先生)のためです。


(これもそうです。文先生が83歳になられての御言葉です。1960年に敢行された「アブラハムによるイエスの典型路程」によってお母様が堕落し、そのお母様と家庭を持たれたことが文先生の堕落となり、この堕落問題が完全に清算されていないためです)


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 わたしが暮らしたい本郷の地、故郷の地を建設するための主人にならなければなりません。万物にまでも真の愛を施す皆さんにならなければなりません。万物、すなわち植物も動物も再創造しなければなりません。


(文先生は未だに故郷の主人になっていないということです。)



彼ら(文先生とお母様)は、堕落のために真の愛の相対圏を失ってしまいました。


(真の愛の相対圏を失った立場にあるお方は文先生だけになります。これ以外に真の愛の相対圏を失ったというアダムは誰もいません。


六千年前のアダムは未完成段階までは成長しましたが真の愛には至っていません。二千年前のイエス様は結婚もしていませんから真の相対を持ちませんでした。分かりますね。)


アダムとエバが十六歳(文先生はキリスト教が不信して失敗した1945年から、興南刑務所苦役が第一アダムの蕩減時代であり、北から南下されて旧約時代の蕩減時代を過ごされました。それが1960年までの16年です。そして、お母様は16歳)になる時までは存在しましたが、それ以降は(お母様がアブラハムによるイエスの典型路程によって堕落した為)分割されてしまったのです。


(つまり、神様を中心とした文先生の家庭は、サタンに差し出されたお母様が共に暮らしているのです。国進様はこの事を「お父様が私の家はサタンが共に生活していると言われた」と語られたことがある。

この分割は、「成約時代は父母が裂かれる」と原理講論に記されていたことが成就したのです。)


これを今からわたしたち(お母様を中心とした家庭連合)が責任を持ち、世界全体をわたし(文先生、或いは、祝福家庭)が失敗して滅ぼしてしまったと考えて、わたし(文先生、或いは、祝福家庭)が責任を持って復帰しようというそのような祝福家庭(文先生とお母様も祝福家庭の一つです)であってこそ、天一国の主人になるのです。(最初に天一国の主人になるお方こそが文先生です。)



・・・・



 家庭堂というものが出現しなければならないという事実は、どれほどぼうぜんとすることでしょうか? 


(家庭堂は本来ならいらなかったという御言葉があります。お母様がお父様に絶対服従せず、堕落圏から復帰されない為に家庭堂が出現したのです。これはお母様を教育する堂のことです。)



重要・・(下記の(※1)(※2)にあるように、以下の御言葉は同時性の観点からイエス様と重ねて文先生ご自身を語られた内容です。)


イエス様(1952-1992年までの文先生)が蕩減復帰を終え、結婚して家庭を築き(完成基準の結婚式、小羊の婚宴を終えて)、イスラエル民族(第三イスラエル)を一時に天国に隷属できる祝福結婚を越えて、ローマ(アメリカ)まで祝福をしてあげたならば、イエス様(文先生)の四十代(40年サタン分立路程後の1992年)までに地上天上天国をすべて成していたというのです。



 (お母様と幹部たちが)イエス様を殺した(文先生を霊的に無視して殺した)罪でイスラエルとパレスチナが闘っているのです。兄弟(子女様のカインアベル、この時は顕進様と国進様、国進様が殺された立場に立たれた)が一つになれませんでした。

(下にも、「真の父母」を殺したと語られている)



そこ(先生の家庭)で一つの宗教、一つの文化圏、一つの国、一つの心情圏になっていなければならなかったのですが、その(先生の家庭の)場にイスラム教(顕進様派)が生じ、ユダヤ教(お母様派)が生し、キリスト教(亨進様派)が生じたという恨めしい内容を知らなければなりません。




 最近アメリカでは、十字架を除去する運動が展開されているのですが、それが問題ではありません。

(統一教会は1992年の時と2001年の時に)イエス様(文先生)を殺しました。

真の父母を殺した罪は、人類が滅亡しても、イスラエル(第三イスラエル)が千代万代犠牲になっても赦しを受けることができないのです。


(ここで「真の父母」という言葉が出てきますが、これが この御言葉を読み解く鍵になります。

 イエス様時代には「真の父母」という概念はありません。「真の父母」という概念は統一教会になって初めて登場した概念です。

 ですから、「真の父母」を殺したということは、統一教会のトップに立たれたお母様と幹部の不信により霊的に殺したということです。)


(御言葉をぶつ切りで読んでは意味をなしません。文脈全体を俯瞰しながら読まなければなりません。)


イスラエル民族が罪の量をすべて満たしたのではありません。ヒットラーが、イスラエル民族をあれほど殺すことができますか? 天の許諾を受けて罪の量を蕩減することのできる量が満ちていなかったのです。


(※1)同じように、今日もそのような歴史的同時性の時代に入ってきているというのです。

第三イスラエルと世界が悲劇的運命の時代に入っていることを言っているのです。)


・・・・


 歴史的にユダヤ教とイスラム教とキリスト教が分かれたことを、今統一教を中心として、ユダヤ教、イスラム教、そしてキリスト教が全世界的に一つになるべき同時性の時代が来たというのです。

(2012年の聖和以降、お母様・顕進様・亨進様の三つに分裂し、これが一つになる同時性の時代が来た)



蕩減復帰は、同時性圏によって完成されるのです。この時代は、世界的な同時性圏時代ではなく(※2)天宙的な同時性圏時代です。

(「同時性圏によって完成される」は、下記の総観図が参考になります。)



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 ですから、生きている間にすべてのことを清算するために、あらゆる至誠を尽くさなければなりません。


皆さんの五官、十官を百回、千回燃やしても越えていくことができない(※3)その道に誤謬を残した自分の一生だったのであり摂理史だったという事実に、だれが責任を持つことができるのかというのです。


(「誤謬を残した自分の一生だったのであり摂理史だった」とあるように、文先生は「自分」と「摂理史」を同一軸で語られています。)



神様が責任を持つことができますか? 神様が責任を持つことはできないのです。神様が責任を持つことができるならば、(※4)アダムとエバを最初から堕落させなかったのです。



(さらに、「神様が責任を持つことができるならば、(※4)アダムとエバを最初から堕落させなかったのです。」とあるアダムとは六千年前のアダムではありません。

(※4)の「アダム」とは文先生になります。文先生がお母様に対して避けられない蕩減法であった「アブラハムによるイエスの典型路程」によってお母様が堕落し、そのお母様と家庭を持たれたことが文先生の堕落となったのです。

 「堕落したのだから堕落から始めなければならない」と訪韓修で語られたように、文先生は堕落した立場から勝利して真のアダムの位置を再び復帰しなければならなかったことを言っておられるのです。)


( 文先生の生涯がどうして誤謬となってしまったのでしょうか。その原因は何処にあるのでしょうか。
 これは次回にします。この理由から、文先生と摂理の秘密が見えてきます。)

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