6マリヤは6人の聖女だったのです。 文先生の妾ではない!!
この内容は初めて記事にしました。
これは二つ目の質問です。
addiction 22時間前
>777さん
質問・・・
失礼ついでに、また質問させてください。
妾摂理は2名の女性で?、そうなると6人が必要な意味は何でしょうか?。
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答え・・・
御言葉には妾は三人までだったか、四人までなら神様が許してくださると語られていた御言葉があったことを記憶していますが、今、それを探し出せません。
誤解を与えたようですが・・・
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私は6マリヤ摂理を妾摂理だったとは思っていません。
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何故なら、妾摂理はあくまでも子供を生まなければない摂理のはずですから、6マリヤには子供がいません。
また、6マリヤは文先生の肉的な欲望をもてあそぶ為にあった摂理ではありません。
どうしてでしょうか。
私は、この6マリヤは文先生と肉体的な妾の関係はなかったのではないかと考えています。たとえ、その中の誰かがあったとしても、何らかの摂理的理由からではないかと思いっています。
新婦宗教・キリスト教の2000年の蕩減の基台に立つ6マリヤ
あくまでも、19455年のキリスト教の失敗により、アダムとエバの堕落の蕩減復帰をやり直さなければならなかったのが6マリヤ摂理であったと考えています。
堕落は夫婦になる前に戒めを破って堕落しました。これを復帰する為に、文先生は、アダムとエバが堕落する前の基準である新郎と新婦、兄と妹という、裸であっても恥ずかしくない水入らずの基準を復帰しなければならなりませんでした。
たとえ、6マリヤが裸になって文先生を取り囲む場があったとしても、文先生はこの女性たちを絶対にもてあそんではならないのです。
新郎と新婦、兄と妹の関係を取り戻す為の摂理
煩悩のある堕落人間には理解し難いことですが、メシヤという真のアダムの位置にあった文先生が6マリヤに対して、新郎と新婦、兄と妹の関係を取り戻す為の摂理であり、この6マリヤを霊界の6人の聖人・哲人に捧げる為であったと、御言葉から理解するようになりました。この6人の女性によって、再臨摂理が展開される原動力になったのだと思います。
教会ではよく見かける光景なのですが、男の教会長が女性を牧会する時、個室で「1対1」ならないように、様々な工夫をしています。これは、男の教会長と言っても堕落人間ですから男女問題に発展することを防止するための工夫をしているということです。(この問題は対策を怠れば、後を絶たないほどに起こるとも言えるのです。)
これが、韓国の初代教会時代の文先生と女性たちとの関係はどうだったのでしょうか。このような対策的工夫はあり得ない時代でした。ましてや、教主の文先生でしたから、文先生の為すがままに成されたことと思います。
文先生を独占したいという女たちの情念が燃えた時代
文先生に対して男までも嫉妬の情念に燃えた時代
そして、この時代は年齢に関係なく、女性なら誰でもが文先生の花嫁になりたいと争いが起こった時代です。文先生の部屋に裸になって誘惑する女性があらわれたり、花嫁が叶わなければ文先生を毒殺しようと考えたり・・・、そのような時代圏の6マリヤ摂理です。
また、この時代は女ばかりではなく、男たちまでも、女を独占しているように見えた文先生に対して燃えるような嫉妬心を持ったのです。この頂点に立っていた男はユダとなって先生を裏切り、自分の罪を正当化して既成教会に嘘と誤解の情報を流したのです。
私は、このような時代圏に合格した花嫁が6マリヤであったと考えるようになりました。そして、6マリヤは文先生とは肉体関係がなかっと考えるようになりました。
その環境で文先生が天宙の女性を代表する6マリヤをつくり、この6マリヤが生涯をその使命に捧げるということは、とうてい不可能なことです。
ここで問題となったのは、文先生がこの6マリヤをつくる為にあったその過程で起こった誤解です。
文先生は女性の前に新郎でありますが、さらに、神様を代身した真の親の立場でもあり、また、アダムとエバが堕落する前の兄と妹の関係であり、裸でいても恥ずかしくないという、水入らずの関係であったという、その関係を復帰しなければなりませんでした。
そこで、文先生は兄の立場になりますから、天宙の女性を代表する6マリヤが新婦基準を満たす為に、一人の娘として、一人の妹としての心情を復帰しなければならない立場でした。
6人は地上で結婚しないで、生涯を新婦の使命に順ずる女性をつくることは文先生にしかできないことです。この時、文先生と6マリヤに肉体関係があって完成したとは私には思えないのです。反対に、これは堕落行為であると思えるからです。
統一教会の初代教会時代は、文先生を自分の夫にしたいという女の戦争が激しく起こっていた真っただ中で、文先生は、この欲心に走った女性達とは全く反対の女性摂理をされていたということです。
逆境の環境圏で開かれる摂理
分かりますか。摂理というものは、このようなとてつもない逆境の環境圏でなされるものです。この問題が文先生の生涯の苦難に繋がったのです。
この6マリヤから一人一人の女性をつくる為にあったのが、文先生が持っておられた神様の親の愛であり、兄の愛であったということです。この愛によって感化され、メシヤに命を捧げる一人一人の女性が生まれたのだと思います。
文先生の夜を徹した牧会
そこに捧げられた文先生の努力と時間はどのようなものであったのでしょうか。一人の女性と文先生が牧会すれば、数時間では終わりません。一つの部屋で、時に、一日、二日、夜を徹して、牧会されました。
ここに文先生が誤解をうけた問題の本質があったのだと私は考えるようになりました。夜を徹した一部屋での牧会を周囲で見ていた男や女たちが、大なり小なり、嫉妬の炎が燃え上がったのだろうと、十分に想像できるのです。(古い祝福家庭の方なら、容易に想像できるはずです。)
更に問題は、この時代の共産党が地下運動していた時代でしから、そのような人物が統一教会内に入り込んでいたであろうことは十分に想定できることです。
そのような環境下で、文先生の誤解が燎原に放たれた火の如く広がったと言えるのです。しかし、全てが無罪であったのです。これによって、世界的屈辱を延々と受けたのが統一教会と文先生であったのです。
この生涯背負われた天宙的次元の誤解に対して、文先生は一切、弁解一つされていません。これこそ文先生が常人ではない証しではないかと思います。
堕落した男性と女性は相手の愛を独占しようとします。その独占しようとする愛が統一教会の初代教会時代であった、文先生の周囲に吹き荒れていた時代のことです。
統一教会内も国家も、全てが反対する環境圏で、この時代に堕落直前のエバを6人つくり、この女性が生涯を新婦基準でメシヤに捧げたということです。
そして、文先生は、この6人が霊界の聖人・哲人の相対となる基台をつくられたことにより、地上と霊界の再臨摂理を開く源泉になったと私は考えるようになりました。
6マリヤは6人の聖女だったのです。
最初の質問が以下でした。
一昨日の記事の質問とその答えを取り上げました。
質問・・
addiction 1日前
よくわかっていないので、質問させてください。
6マリアがいた事を前提として書かれているようですが、そもそも 6マリアが必要な天の事情というか、根拠でもあるんでしょうか?。人類が救われるのに、代表者は6人の妻が必要ということですか?。
私たち一般人は、どうすべきなのでしょうか?。
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答え・・・
777 id:heiwanosyujin 1日前
>addictionさん
6マリヤの存在がどのような摂理であったのかという御言葉が存在していないと思いますので、私は、明確には答えられません。
ただ、記事に載せたように、文先生は写真まで公開され、教会月刊誌にも公開されました。その中のお一人であった崔元福先生はレアとして、お母様をラケルとして、1974年くらいまでだったか、統一教会に二人のお母様時代がありました。
私はこれを妾摂理と位置付けています。
何故、文先生に妾が必要であったのか??この考察は、御言葉から想定する以外方法がありません。
ただ、6マリヤについては、七男の亨進様が語られている説教がありますので、サンクリチアリ教会のブログから検索すれば見つかるはずです。
私個人としては、文先生の人格と御言葉からして、6マリヤ摂理が蕩減摂理として存在していたとしても、今は、躓きません。かえって、文先生が受けた屈辱が理解できます。
問題は、反対派がありもしないことを捏造していることは間違いないと思います。ましてや、嘘を百辺言えば本当になるという共産党が中心となっての捏造でしたから、それを鵜呑みにすること自体、愚かと言えると思います。
特に、文先生の直近の弟子が女性問題で裏切り、自分の生活の為に多くの誤解する情報を捏造し、本を出版しています。
カインアベル摂理は父復帰の条件であると原理講論にあるます。これに対しt、原理講論にはありませんが、レアとラケル摂理は母復帰の条件の為であるに違いありません。
つまり、原理講論にある「アブラハムによるイエスの典型路程」の時のお母様の堕落により、その堕落したお母様をもう一度世界基準で取り戻すためにあったのが、妾摂理であり、それが6マリヤ摂理だったと私は理解しています。
お母さまは人類の女性を代表した立場です。そのお母様は原理を聞かされず、一週間断食もさせられず、開拓伝道にも行かせられず、そのお母さまが堕落して、世界基準で嫉妬心を超えることが必要だったのですが、それが、できなかったと理解しています。
しかし、これで全てが終わったのではなく、実は、ここからが文先生存命中の最終章とも言える摂理が展開されたのです。私は御言葉からこれを知るようになって、非常に驚きました。
それが、文先生はお母様と幹部から逃げられないように周到に追い詰められ、まさに、背後にサタンがいることが分かります。
先生は真の母となりべき相対を失ったため、存在基台を喪失し、イエス様と同じように、先生自ら生命の供え物になられたのです。
それが聖和です。
聖和によって、初めて、文先生は真のアダム基準をこの地上にその種を植えつける条件が立ったのです。つまり、サタンに主管されたお母様の介添えによって初めて、アダムの再創造摂理の条件が文先生によってこの地上に立てられたのです。
これこそが、エバによってアダムが堕落したという六千年前の蕩減復帰が、聖和によって、初めて完了したのです。
これによって、真のアダムが地上に、地上の条件さえ整えれば、いつでも、短期間にて再臨することが可能にになったのです。それが第四次アダム圏時代の到来になります。過去にない、全く新しい時代に入ったのです。
そして、第四アダムの到来が文先生の聖和から100年後となると私は御言葉から予測しています。記事の総観図をご覧ください。
一般人?の貴殿には、全く理解できなかったかも知れませんが、こんな答えですみません。以上です。
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