★(0-1)本然のカイン・アベル 『実体サタン屈服儀式』(一九六四・六・九〔
「平和の主人、血統の主」の本、13ページです。
お父様はこのみ言を最初っからエンジン全開で、前置きも何もないように核心となる内容から入っています。
↓ーーーーーーーーー原文 はじめ
(0-1)
これからは先天時代から後天時代、本然のカイン・アベルの時代へと超えるので、新しい歴史を編成して、重要な時代に入る時であるということを、皆さんは知らなければなりません。
↑ーーーーーーーーー原文 おわり
↓ーーーーーーーーー解説入り はじめ
(0-1)
これからは先天時代から後天時代、(闘争分裂を続けてきたカインアベルから)本然のカイン・アベルの(一体圏となる)時代へと超えるので、新しい歴史を編成して、重要な(後天)時代に入る時であるということを、皆さんは知らなければなりません。
↑ーーーーーーーーー解説入り おわり
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(解説です)
上記太文字「本然のカイン・アベル」とは、平和の主人からみて如何なることでしょうか。
まさに、復帰摂理は常にカインアベルの闘争の歴史でありました。過去の復帰摂理でカインアベルが一体のなったというのは三度だけありました。
一度はヤコブの21年苦役路程の末にエソウと一体となりました。
二度目は、ヨシュアとカレブが一体となり、更には荒野で生まれた二世が一体となってカナンに入りました。
三度目は、十字架で逝かれたイエス様がマグダラのマリアの前に復活して、その後、裏切ったペテロが悔い改めて一体となりました。
しかし、この一体化は一次摂理ではなく、アベル側が蕩減条件を立てることによって可能となった、最後の摂理においての一体化でした。
神側が一次、二次の失敗によって好機を失ってしまった為に、サタン側の基盤拡大が進むことになり、メシヤ降臨は気の遠くなるような期間を要してしまいました。
この様に、過去に三度あったカインアベルの一体化には摂理の延長を物語っていましたが、お父様はここで「本然のカイン・アベル」と語られているのは、何をあらわしているのでしょうか。
お父様をアベルとして、カインの立場に立つ摂理的人物は以下です。
①お母様(本妻と妾摂理)
②金補佐官(一次は金百文牧師)
③子女様
④36、72、124家庭
⑤幹部たち
⑥16万人女性
⑦信徒達 祝福家庭
これらのカインアベルが数珠つなぎにつながります。
① お母様です。そのみ言が次の『創立以前の内的教会史』です。ここでは要点のみをあげます。
『創立以前の内的教会史』
『・・・同様に再臨主の時には、エバ(女性の代表者=お母様)が洗礼ヨハネの役割を果たさなければなりません。しかも二〇〇〇年前には国家基準においてでしたが、再臨時代においては天宙的基準においてその使命を果たさなければなりません。』
② 金補佐官です。
60年間、お父様が一切語られませんでした。それが(◆◆ 第6弾(7-2))に登場する人物、金補佐官です。
この事実をあらわしていると思われる貴重なみ言を見つけましたので紹介します。(詳しくは後日ブログで紹介します。)
『実体サタン屈服儀式』(一九六四・六・九〔陰暦四・二九〕、前本部教会)
(一九六四年六月九日、青坡洞前本部教会で、「実体サタン屈服儀式」が三次にわたり挙行された。第一次では心情審判の条件を立て、第二次式で、み言を中心として分かれた天と地を合わせるようにする条件を立て、第三次式では人格審判の条件を立てる式が行われた。)
〈第一次儀式(七:○○)〉
『今日、三次にわたって行う実体サタン屈服儀式は、本然の世界の全権をもって善の主権を立て、心情を中心として統治することを意味する式です。今や、僕と息子を立て、父の使命と母の使命をなす父母を立て、神様が被造世界を直接主管できる基盤を準備しなければなりません。・・・』
上記の「今や、僕と息子を立て、父の使命と母の使命をなす父母を立て、・・・基盤を準備しなければなりません。」は中心家庭に登場する局面的人物が整っていないにもかかわらず、既に今よりはるか前となる、1964年に、人物名ではなくみ言として語られました。
「今や、僕と息子を立て、父の使命と母の使命をなす父母を立て、・・・基盤を準備しなければなりません。」のみ言には驚きを隠せません。
お父様の初期の七年路程で語られたみ言です。
これはノアが箱船から放ったカラスの摂理と同様に、この七年で行われたこと、語られたことが今後の実体路程として展開する重要な意味を持っていました。
1964年に「今や、僕と息子を立て、父の使命と母の使命をなす父母を立て、・・・」に登場する「僕」が金補佐官であったという、初めて、60年の沈黙を破って語られたのが平和の主人(7-2)だったのです。
金補佐官はキリスト教を失うことによって登場した二次的人物です。愛の問題でイエス様を裏切ったユダと重なる人物です。
金補佐官は一次的人物の金百文牧師が洗礼ヨハネ役の使命と責任を果たしていれば、登場することはありませんでした。また、金百文牧師は順理であった為に洗礼ヨハネのようにその責任を果たさなければ、直ちに摂理から外されましたが、金補佐官は好機を失った二次摂理の逆理として登場する為に、摂理に対して逆行するような立場で登場します。
事実、金補佐官は中心家庭に対しては如何なる悪事を成しても、誰も罰しません。お父様が歩まれた「40年間のサタン分立路程」に対して、もう一方の「サタンを自然屈伏させる路程」としてのサタンの実体として存在した人物です。
そのような摂理的局面の究極的展開が(10-4)です。詳しくは第11弾をお読みください。
(10-4)
『文総裁の家庭はなくならないので、血筋を中心として同族圏をつくるのです。【韓国とモンゴルは同じ種族です。モンゴルのラマ教(チベット仏教)が、どんな主義か知っていますか。 外部からお客が来ると、妻と関係して子を生むことを望む思想があります。ラマ教では、夫が自分の妻をお客に譲り渡すのです。譲り渡して生んだ息子を自分の国の王に立てるという思想があるので、堕落していない伝統の血筋を中心として上がっていくのです。』
この様なお父様のみ言からも分かりますように、お父様をアベルとして立つ二人のカインは①お母様であり、②金補佐官です。
本日は、平和の主人の冒頭のみ言、『本然のカイン・アベルの時代へと超えるので、新しい歴史を編成して、重要な時代に入る時である』の解説ですが、この続きは次回にします。