平和の主人 血統の主人

まさに、成約時代の毒麦となられたお母様

《 黙示録18章 3-10 節 》

3 地の王たち(幹部たち)は彼女(お母様)と姦淫を行い、地上の商人たち(教会長たち)は、彼女の(高額献金を得た)極度のぜいたくによって富を得た。

7 彼女(お母様)は心の中で『わたしは女王の位についている者であって、やもめではないのだから、悲しみを知らない』と言っている。

10  彼女(お母様)の苦しみに恐れをいだき、遠くに立って言うであろう、『ああ、わざわいだ、大いなる都、不落の都、バビロンは、わざわいだ。おまえ(お母様)に対するさばきは、一瞬にしてきた。

文先生の「アブラハムによるイエスの典型路程」「妾摂理」は最高の文学作品となった!!

下記の御言葉は文先生が85歳の時、2005年に語られたものです。


 文先生が85歳という時点で、この御言葉も文先生とお母様のご家庭は「実体の真の父母」にはなっていません。「理想の夫婦」という表現になっています。つまり、真の父母とは未来線上においての出発点とした事の証左となっているのです。


 そして、この「理想の夫婦」は下記のみ言葉の(※)にあるように、「世界最高の芸術作品にならなければならないのです。それ自体が最高の文学作品であり、それ自体が文学の実体にならなければならない」と語られています。


それでは・・・
最高の文学作品となる要素とは何か??


 それが・・・、文先生ご自身の八定式までのサタンを自然屈服させる路程だったのです。これこそ、40年サタン分立路程において八段階に渡って文先生がサタンに侍ったことをあらわしているのです。


 その中の一つが、怨讐であったサタンを主人として愛する妻を初夜の前にサタンに差し出した「アブラハムによるイエスの典型路程」です。
 二つ目が、「アブラハムによるイエスの典型路程」の為に文先生ご自身が堕落した立場に立たれることを知りながら、堕落したお母様を再び復帰する為に堕落圏に飛び込まれた。これが「レアラケル摂理(妾摂理)」になります。
 三つ目は、凄まじいサタンとの攻防戦という蕩減路程で生まれた子女様たちを文先生はさらに怨讐のように扱って犠牲とし、不信した怨讐(弟子たち・幹部たち)を自分の息子娘以上に愛されたことです。この傷は未だに癒えていません。


 文先生のサタンとの攻防戦を御言葉で聞いては来ましたが、お父様の主管下にある全てをサタンに譲り渡されたという真の愛の本質(「アブラハムによるイエスの典型路程」と「妾摂理」)を誰も理解していませんでした。神様の愛を知らないお母様と子女様たちからも、統一教会の内部(弟子たち、幹部たち)からも、さらには、韓国、日本、アメリカという摂理的国家(為政者たち、メディア)からも、そして、世界的なキリスト教と共産主義者たちからも誤解による迫害を受け、死ぬまで、弁解一つされず、怨讐を恨まず、全身血まみれとなって堂々と恥辱の矢を受け続けられたのです。


 文先生のこのような堕落問題はすでに1959年に「(文先生は)自分たちにすべての目的が結実することを知っていたので、堕落したのです。」と語られていたことからしても、この考察は妥当だと言えるのです。



  虎穴に入らずんば虎子を得ず・・・、神様には不可能であることを文先生がなすため、あえて天の虎子となって死の道に入られたのです。過去の世界的に傑出した文学作品のすべては創作されたものです。しかし、文先生とお母様のご家庭は創作された話ではありません。血で血を洗うほどの血の代価の要素(八定式)をもって勝利された文先生だったのです。まさに、文先生の御生涯が歴史上最高の傑出した文学作品となり得るのです。

新しい時代と新しいみ言葉と新しい実体 2005年10月14日(金)、漢南国際研修院       このみ言葉は朝の訓読会の時にされたものである。


 (敬拝)(シンジュン信俊様に)拍手しなければ。(拍手)マンセー、ウインク。(笑い)さ、これをしよう。(‘天宙平和連合創設記念京畿道大会’勝利祝賀ケーキカットと花束奉呈)(6000家庭祝福23周年記念礼物と花束の奉呈)(拍手)


 「カープ(CARP:全国大学原理研究会)から3百人が来ました、京畿道から百人が来て。」4百人か?「はい、4百人ですが、もちを6000家庭から150人分して来ましたし、京畿道から4百人分して来ました。550人分の餅が来ています。」(場を整理される)さ、訓読会!(『天聖経』‘真の家庭’ 編 ‘第5章 創造本然の男女の愛 4)合いは相対から来る’から訓読)



  統一教会を信じることが簡単でない


 『・・・・・・統一教会で言う理想的な夫婦とはどのような夫婦か?

・・・

最高の理想、世界最高の文化世界に接する前に最高の愛によって夫婦が授受する甘い愛が(※)世界最高の芸術作品にならなければならないのです。それ自体が最高の文学作品であり、それ自体が文学の実体にならなければならないのです。』


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