驚天動地!!・・1967年の御言葉「未だに蕩減条件を立てることのできる真の人間が出ていないのです。ただ出るための、準備がされているだけです。」
あなたは、下記の御言葉をどう理解しますか??
この御言葉は1967年に語られたものです。
初期時代にも、やはり、このような御言葉が多くあります。
「アブラハムによるイエスの典型路程」や「妾摂理」の原理的意義を知らなかった、この時代圏の韓国、日本の古い幹部たちは、このような御言葉を繰り返し聞いて、彼らのメシヤ観はどにような変遷を辿ったのでしょうか。今後、一層、問われることになると思います。
文先生のこのようなメシヤの位置を降りられた立場は、洗礼ヨハネの不信を受けたイエス様にもあったことが原理講論に記されています。
「蕩減が行く道」 (蕩減条件を立てる場は血の涙を流す場) 1967.6.4(日)前本部教会 文鮮明先生み言葉選集(講演文)
蕩減条件は自分自ら(文先生自ら)が立てることができません。そこには神とサタンと真の人間がなければならないのです。
ところがこの地球上には、未だに蕩減条件を立てることのできる(※1)真の人間が出ていないのです。ただ出るための、準備がされているだけです。
神の(※2)蕩減歴史は段階を踏んで、一番下から始まってきたのです。
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コメント
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(※2)蕩減歴史は段階を踏んで、一番下から始まってきたのです。
この「蕩減歴史は段階を踏んで」とは、「アブラハムによるイエスの典型路程」と、この典型路程によって失ったお母様を取り戻すためにあったエバの分立摂理(レアとラケル、崔元福女史とお母様からなる「妾と本妻の摂理」)のこと以外にありません。
この典型路程はお母様の前に、既に、第一夫人にも適用されました。
お母様が三次目の母であった為に替えることができなくなり、そのお母様と家庭を持たれたことが、文先生が堕落した立場に立たれた原因となった一つであると考えられます。さらに、二つ目の理由は、蕩減の為であったとは言え、「アブラハムによるイエスの典型路程」が非法の愛であったことです。三つ目は、お母様を取り戻すためにあった妾摂理もまた、非法の愛による蕩減であったことが考えられます。
何故なら、たとえ、神に帰る為の蕩減法であったとしても、本然の世界には、この蕩減法を持ち込むことができない為です。あくまでも、蕩減法はサタン圏に属するものだからです。
このように、「アブラハムによるイエスの典型路程」によって、文先生とお母様が堕落した立場に立たれた為、「一番下から始まってきたのです。」と語られたのです。それが(※1)で「真の人間が出ていないのです。ただ出るための、準備がされているだけです。」と語られた真意になります。
今後も、これに関する御言葉をとりあげていきます。