平和の主人 血統の主人

まさに、成約時代の毒麦となられたお母様

《 黙示録18章 3-10 節 》

3 地の王たち(幹部たち)は彼女(お母様)と姦淫を行い、地上の商人たち(教会長たち)は、彼女の(高額献金を得た)極度のぜいたくによって富を得た。

7 彼女(お母様)は心の中で『わたしは女王の位についている者であって、やもめではないのだから、悲しみを知らない』と言っている。

10  彼女(お母様)の苦しみに恐れをいだき、遠くに立って言うであろう、『ああ、わざわいだ、大いなる都、不落の都、バビロンは、わざわいだ。おまえ(お母様)に対するさばきは、一瞬にしてきた。

お母様の堕落は1960年、お母様の堕落が確定した後、これを原理講論に記し、初版が1966年に出版されました!

5月4日の記事をもう一度取り上げました。


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原理講論が出版されたのが1966年
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下記の原理講論に記された紫色の御言葉に『このようなアブラハムの路程は、後日イエスが来て歩まなければならない典型路程となるのである。』とあります。しかし、イエス様は妻を持つことができずに殺害されましたから、これはイエス様の再臨となられた文先生が歩まなければならない典型路程となったのです。この類の御言葉は沢山存在しています。


一度目は1945年頃に第一夫人に適用されました。これに該当するのが下記の原理講論の御言葉です。この時代は、キリスト教の失敗により文先生の新婦圏がサタンに奪われました。六千年の復帰摂理の恩恵は完全に喪失し、文先生はどん底に落ちたのです。その一つが興南刑務所であり、もう一つが、興南刑務所よりも苦しいお母様に対する典型路程だったと思います。


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お母様の堕落は1960年
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1960年、文先生とお母様の約婚期に昨日の記事の御言葉になる二度目の典型路程が適用されました。お母様は原理も聞かされず、一週間断食もさせられず、開拓伝道にも行かされず、三年間の他人部屋暮らし、信仰教育は全くされず、サタンが喜ぶ条件を満たして17歳のお母様は差し出されたのです。
この時、お母様は堕落したのです。いや、典型路程によれば堕落させられたのです。


原理講論は、この典型路程によってお母様の堕落が確定してから、1966年に初版が出版されました。お母様は三次目の母である為、一次の母の失敗、二次の母の失敗、祝福家庭の失敗・・・、これら全てを蕩減しなければならない立場で、清純だったお母様は生贄としてサタンに差し出され、どん底からの出発になったのです。


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統一教会に多い、良心家、道徳主義者、空想的キリスト教者、常識人には理解できません
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文先生は何の為にお母様を堕落させたのでしょう
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サタンを自然屈服させて復帰する為です。つまり、サタンが要求するものを差し出したということです。イエス様が「右の頬を打たれたら、左の頬を出しなさい」と言われたことです。サタン復帰が最優先です。


サタンを完全復帰しなければ、その次のアダム復帰ができないのです。そして次がエバ復帰、そして、真の父母が立ち、サタンの匂いが完全になくなった時、その時が神様の解放です。


憶測で言っているのではありません。その御言葉を公開していきますが、それに見合た御言葉が沢山見つかっています。

原理講論 後編 第一章 第三節 (一) (2) ①


「アダムとエバが未完成期において、まだ兄妹のような立場にいたとき、天使長がエバを奪ったので、その子女たちと万物世界のすべてが、サタンの主管下に属するようになった。したがって、アブラハムがこれを蕩減復帰するための条件を立てるためには、既に明らかにしたように、兄妹のような立場から、妻サライを、いったんサタンの実体であるパロに奪わせたのち、彼の妻の立場から、再び彼女を取り返すと同時に、全人類を象徴するロトと、万物世界を象徴する財物を取り返さなければならなかったのである(創一四・16)。

このようなアブラハムの路程は、後日(※)イエスが来て歩まなければならない典型路程となるのである。アブラハムは、このような蕩減条件を立てたのちに、初めて、鳩と羊と雌牛でもって「象徴献祭」をささげることができたのである。」


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(※)「イエス」とは・・・イエス様は妻を持つことができずに殺害されましたから、この「イエス」とは、イエス様の再臨となられ文先生になります。


この摂理は第一夫人にもなされた摂理でした。

そして、お母様にもなされた摂理であり、この摂理でお母様は堕落したエバの立場に立たれました。


お母様は三次目の母であった為、この母をとおして蕩減する以外に道はなく、お父様は堕落したお母様と家庭を出発したのです。これが、お父様も堕落した立場に立たれることになったのです。


原理基準によって、アダムとは文先生であり、人類始祖とは文先生であることを知って天聖経を読めば、黒・天聖経も、赤・天聖経も、堕落した立場に立たれた文先生とお母様が浮かび上がります。


文先生とお母様が、どうして、このような典型路程を行かなければならなかったのでしょうか。



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