平和の主人 血統の主人

まさに、成約時代の毒麦となられたお母様

《 黙示録18章 3-10 節 》

3 地の王たち(幹部たち)は彼女(お母様)と姦淫を行い、地上の商人たち(教会長たち)は、彼女の(高額献金を得た)極度のぜいたくによって富を得た。

7 彼女(お母様)は心の中で『わたしは女王の位についている者であって、やもめではないのだから、悲しみを知らない』と言っている。

10  彼女(お母様)の苦しみに恐れをいだき、遠くに立って言うであろう、『ああ、わざわいだ、大いなる都、不落の都、バビロンは、わざわいだ。おまえ(お母様)に対するさばきは、一瞬にしてきた。

◆◆第13弾 (10-4)を何故、削除したのか? 4

いよいよ、平和の主人の最も本質となるみ言に迫ります。
どんな大先輩家庭であっても、お父様が分からなくなってしまう理由がここにあります。


もう一度(10-4)の原文を紹介します。


【 】は本から削除されているみ言です。このヶ所をピンポイントで削除したのは 、削除(を指示)した人間がサタンの遣いであることを最も証明しています。


↓ーーーーーー引用はじめ


(10-4)原文


『文総裁の家庭はなくならないので、血筋を中心として同族圏をつくるのです。



【 韓国とモンゴルは同じ種族です。モンゴルのラマ教(チベット仏教)が、どんな主義か知っていますか。 外部からお客が来ると、妻と関係して子を生むことを望む思想があります。


ラマ教では、夫が自分の妻をお客に譲り渡すのです。譲り渡して生んだ息子を自分の国の王に立てるという思想があるので、堕落していない伝統の血筋を中心として上がっていくのです。


アロンの芽の出た杖のように杖を挿しておき、そこから反対に大きくなれる既婚者の血筋でなければ、天に帰ることができないのです。 


↑ーーーーーー引用おわり



次に上記の原文に解説を入れます。


原文は黒文字、解説は青文字になります。
【 】は本から削除されているみ言です。


↓ーーーーーー解説はじめ
(10-4)


文総裁の家庭はなくならないので、(真の愛の)血筋を中心として同族圏をつくるのです。 


【 韓国(=天一国、復帰された韓国)とモンゴル(神様の救援摂理の中心となっている選民)は同じ種族(=第三イスラエル)です。


モンゴル(=選民)のラマ教(チベット仏教)(=統一教会の)が、どんな主義か知っていますか。


(※1)外部からお客(=サタン側の天宙的カイン、金百文牧師、金補佐官・・、ここでは金補佐官)が来ると、妻と関係して子を生むことを望む思想があります。


ラマ教(=統一教会)では、夫(=お父様)が自分の妻(=お母様)をお客(=サタン側の天宙的カイン、金百文牧師、金補佐官・・、ここでは金補佐官)に譲り渡すのです。

ーーーーーーーーーーー


〔ここで、(※1)を茶文字で解説します。〕


前々回のブログで紹介した二つのみ言をもう一度アップします。
(※1)と重なってくる内容ですので、ご確認ください。


① 七七七双聖酒式後の御言 (ユダ、皆さん、聖進様のお母様)
② 第3回 聖進様の母親 「七・八節」の御言 


次のみ言は、お父様が何故その様な道を行かれるのかについてのみ言が次のみ言です。
 後天時代の生活信仰  


③のみ言は神様には怨讐という概念すらないのですから、お父様はサタン圏に来られてどのような道を歩まれるのかについて語られています。
つまり、サタンが求めるものは無条件で何でも与え尽くすということです。お母様も、子女様も、祝福家庭も・・・、最も愛する者から順番に無条件で供え物になると言うことになります。


もちろん、他に対して犠牲を強いる時に、供え物になるべき人物(達)が不平を言って逃げ出したりしたら、お父様は次の供え物を捧げます。それでも不足ならご自身の命を惜しみなく捧げられる覚悟でおられることは、メシヤですから言うまでもないはずです。


その証明がお父様の自叙伝であり、最期となった聖和でした。


(もう私にはため息しかありません)


ーーーーーーーーーーー



((10-4)のつづきです。)


(※2)(恩讐を愛するために妻を)譲り渡して生んだ息子を自分(=メシヤ)の国の王に立てるという思想があるので、(お父様の)堕落していない伝統(サタンに勝利した条件)の血筋を中心として(長成期の完成級から完成期の期間を)上がっていくのです。


ーーーーーーーーーーー


〔ここで(※2)を茶文字で解説します。〕


皆さんは「お客様に妻を譲り渡して」という表現をどのように理解しますか。


お父様に対してサタン側に立つ天宙的カインが、お父様の奥様に対してちょっとでも奪おう(愛そう)としているなら、潔く自ら進んで差し出すということです。


いや、もう既にその前に差し出しているということがから分かります。
②→『先生も、聖進様の母親をそのような位置に立てようとしました。「どのような怨讐にでも会いなさい」と言うことができ、紹介してあげることができたのです。だからといって、そのように行動するのではありません。そのような心情圏を通過するということです。
自分の最愛の人が男性たちと仲良くしていても目をつむり、「神様がエバの喜びの日を迎えられることができなかったことを、自分の家庭において神様が喜びの日を持たれることによって、解いて越えていかなければならない」と考えた人なのです。何のことか、分かりますか?』


真の愛には無条件で惜しみなく与えるだけで、奪われるという概念がないということです。


天宙的カインとは昔はに登場する金百文牧師であり、平和の主人では金補佐官になります。


聖書にも同じ、惜しみなく与えるという概念があります。
それがマタイによる福音書5章38~48です。

「5:40 あなたを訴えて下着を取ろうとする者には、上着をも取らせなさい。
 5:41 だれかが、一ミリオン行くように強いるなら、一緒に二ミリオン行きなさい。」



上記「下着をとろうとする者には、上着をも与えなさい」という聖句は、(10-4)の「お客様に妻を譲り渡して」と同じ意味を持っています。


しかし、個人レベルの自己犠牲は称賛されるべきことでしょうが、これが夫婦間にも適用されることになると、驚天動地、私たち堕落人間には理解を超えてしまいます。


この概念をもって再臨時代の初期に現れたのが混婬派と言われるキリスト教でしたから、大いに参考になります。


(10-4)にある「お客様に妻を譲り渡して」というみ言が前述のとも整合性がとれて解読できたときが昨年11月でした。
あまりにもの驚きで、このみ言の前に数ヵ月間、立ちつくしてしまったというのはこの事だったのです。


皆さん、如何ですか。


神様の真の愛の概念が理解できましたでしょうか。(深いため息でしょう 。)


神様には敵とか怨讐という概念がない為に、「お客様」と呼んでいるのですね。堕落人間にはない概念、国語です。


「お客様に妻を譲り渡して」を堕落人間が自分の為に実行するとするなら、これはフリーセックス、混婬になってしまいます。


「お客様に妻を譲り渡して」という夫がいるとするなら、堕落世界の女性にはとても受け入れられる概念ではありません。上記のによると聖進様のお母様に対してお父様はそのような道を通過したと語られていますが、現在のお母様にもその様にされたと言うことが平和の主人で語られたのです。


お父様の「闘わない戦法」によるこの姿にこそ天国の概念(上記の)が見えてくるのですから驚きなのです。自分の妻を奪おう(愛そう)とする敵に敵対するな、受け入れて「お客様に妻を譲り渡して」しまうのです。


お父様は人情のない、愛情のないサタンなのでしょうか。妻ばかりではありません。お客様(サタン)が子女様をも奪おうとするなら与えるのです。祝福家庭をも奪おうとするなら与えるのです


もちろん、サタンと言えどもサタンが狙いをつけた人物に対して、信仰条件を失うように誘導することができても、無条件に強制的には奪うことができません。しかし、その人物が信仰条件を失うようになればサタンは一気に飲み込んでしまいます。


そして、捧げるものがなくなってしまって、お客様(サタン)が自分の命をも奪おうとするなら惜しみなく与えるのです。サタン世界で神様の愛を顕そうとするとこの様な反転した姿で顕れるのです。


だから・・・、どんな大先輩家庭であっても、お父様が分からなくなってしまう理由がここにあります。たとえ、イエス様の3弟子にあたるような大先輩家庭のお方であってもお父様が分からなくなってしまうのです。


もしお父様がサタンの愛で敵にこのような行動を起こした場合は、妻を売った、子女を売った、祝福家庭を売ったことになりますから、言語道断、絶対に許されるものではありません。


もしそうなら・・・、お父様はサタンの化身になります。



本日はここまで・・・。


次回は・・・、


お父様が神様の愛で「お客様に妻を譲った、子女を差し出した、祝福家庭を差し出した」とするなら、譲られたお母様、差し出された子女様、差し出された祝福家庭はどうすべきなのでしょうか。


そして、「お客様に妻を譲り渡して」という概念の目的となる動機は何処にあるのでしょうか。


これについて考察します。



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