平和の主人 血統の主人

まさに、成約時代の毒麦となられたお母様

《 黙示録18章 3-10 節 》

3 地の王たち(幹部たち)は彼女(お母様)と姦淫を行い、地上の商人たち(教会長たち)は、彼女の(高額献金を得た)極度のぜいたくによって富を得た。

7 彼女(お母様)は心の中で『わたしは女王の位についている者であって、やもめではないのだから、悲しみを知らない』と言っている。

10  彼女(お母様)の苦しみに恐れをいだき、遠くに立って言うであろう、『ああ、わざわいだ、大いなる都、不落の都、バビロンは、わざわいだ。おまえ(お母様)に対するさばきは、一瞬にしてきた。

文先生とお母様が世界に向かって 【堕落を告白】 ☞☞ (1995年から1997年)世界巡回講演

 下記の御言葉は『祝福家庭と理想天国(1)』です。
 この御言葉は、天聖経が発刊される前に文先生が直接編纂された御言葉です。


 この【 7.アダムとエバの堕落 】の「堕落の動機」に関する御言葉が、もしこれが六千年前のアダムとエバの堕落であるという方がおられるなら、そのお方は原理の堕落論を詳細にを知らない方です。或いは、知っていたとしても、原理を修正できるという修正主義者でかもしれません。


 この【 7.アダムとエバの堕落 】は、あくまでも、文先生とお母様の堕落を語られたものです。ここでは、その根幹にあった「アブラハムによるイエスの典型路程」は語られていませんが、天聖経には詳細に記されています。
 本日は、下記に【 7. 】の一部を抜粋し、原理講論の堕落論と微妙に違っている所を太線としておきますので、参考までにお読みください。


 なお、これに続く【 8.堕落の結果 】と【 9.アダムとエバが堕落しなかったならば 】は後日取り上げます。なお、文先生の御言葉は常にそうなのですが、御言葉の解釈が脈絡のだいぶ後ろにその答えが語られていることが特徴です。この御言葉も、次に続いている【8.】と【9.】に【7.】の堕落が文先生とお母様のことであるという手がかりが語られています。 
 また、この『祝福家庭と理想天国(1)  祝福と理想家庭』の御言葉全体を一つの脈絡として読んでいけば、おのずと、顕進様が第四アダムにはなり得ないことが明らかです。


 ここで一つ特筆しておかなければならないことを上げておきます。
 それは、1995年から1997年まで行われた世界巡回講演が、文先生とお母様が堕落したことを世界に向かって告白する巡回講演大会を兼ねていたということです。



祝福家庭と理想天国(1)

  成約のみ言

   ・救援摂理史の原理観

      一九九六年九月十日から二十九日まで世界二十二カ国四十三都市で講演

      一九九七年三月十三日から四月三日まで韓国二十二都市で講演   

   ・宇宙の根本を探して

      一九九六年八月一日 アメリカ ワシントンD・C

   ・真の愛を中心とした真の家庭と真の宇宙

      一九九七年八月十日 韓国ソウル 新羅ホテル

   ・真の家庭と私

      一九九五年九月十四日 東京 東京ドーム



祝福家庭と理想天国(1)

 祝福と理想家庭 第一章 創造理想と男女の愛

   第一節 創造理想と人間の堕落


 7.アダムとエバの堕落


(抜粋)

 堕落はどこから始まったのですか。家庭で堕落した(という)のは何(をしたの)ですか。善悪の果を取って食べたのですか。家庭的に堕落するというのは愛以外にありません。善悪の果を取って食べて堕落しますか。善悪の果を取って食べて原罪が生じますか。父親が善悪の果を取って食べたことが罪だというのですが、千代万代後孫が罪人になる善悪の果とは何でしょうか。これは血統的関係です。血統的に罪の根を植えておけば、遺伝の法則によって永遠に続くのです。そうであり得るのは愛の問題だけです。誤った愛が堕落の原因です。(72)


堕落は、神様がお許しにならない左右と横に入ってくる不義なる愛の誘惑に引き込まれ、天倫を破壊したところから始まりました。(73)


愛ということを知るようになるときには、すべてのものが通じます。地上世界の平面的な事実だけでなく、霊眼が開け立体的世界までも分かるので、神様を直接見て対することのできる境地に至るようになります。


ところが愛の知覚が発達する前に堕落してしまいました。天使長と不倫の関係を結んだのです。これが宇宙を破綻させた根本原因になったのです。(74)


愛のゆえに堕落が起こりました。愛の起点は目や口ではありません。男女が共にする愛の器官を通して堕落しました。堕落のゆえにすべてのものが壊れてしまいました。


愛の結合点はすべての感覚を総合した所だといいます。ところが堕落によってその基準が壊れて、宇宙に被害をもたらすようになりました。(75)


愛を中心に成長しなければならないのに、愛によって故障したときに、神様は後ろに退くようになります。このように見るとき、愛の事故以外には堕落があり得ないのです。ゆえに神様にも問題となり、人間にも問題となり、歴史に問題となり、宇宙の大事件として衝撃を与えるのは愛の事故しかありません。(76)


サタンと愛の因縁を結んだのが堕落です。(77)


堕落はサタンと一緒に堕ちて出ていったことです。(78)


堕落は血統の不貞的動機から始まった事件でした。それゆえに堕落の結果が今日まで原罪として遺伝してきているのです。(79)


先生のときになって、堕落が愛によりもたらされた結果であるという事実を明らかにしたことは、驚くべきことです。これは、歴史的背景を通して理論的に体系化されたものであり、否定することのできない内容です。(80)


全知全能であられる神様が、アダムとエバの堕落を防ぐことができなかった理由は次のとおりです。


アダムとエバは彼らの愛を、神様が願われる基準まで成長させなければならなかったのに、その成長過程で堕落したため、愛を絶対視しなければならない神様は、彼らの堕落を防げなかったのです。今日でも私たち人間が思春期という過程を経て青年期に入るのと同様に、アダムとエバも必ずある過程(成長期間)を経て完成し、そのとき神様の愛と一致できたのですが、その位置に到達する前に堕落したのです。(81)


 神様の前に立っていたアダムとエバ自身が神様の内情を察することができたなら、堕落しようにもできなかったでしょう。父母は父母として、子供に対して愛の心をもっていますが、子供は父母の深い心情までは分からなかったのです。もちろん幼くして堕落しましたが、その年齢のまだ及ばないことが堕落の動機になったのではなく、心情の未熟さによって堕落したのではないでしょうか。「あの方は私に対している。あの方は私と離れようにも離れられない」と言いながら、神様が一切のあらゆる問題に関係しているということを、もしアダムとエバが感じたならば、彼らは堕落できなかったのではないでしょうか。結局堕落(が起こったの)は心情の一致点をもてなかったからです。天の願いと自分たちの願いが食い違ったために、自己の考える方向が天の考えと食い違ったために、起こったのではないでしょうか。(82)


 堕落とは何でしょうか。天を見忘れ、地を見忘れ、神様を見忘れ、人を見忘れたことです。堕落は天と地を見忘れ、人を見忘れ、神様を見忘れ、人間を主とした愛を行ったところから始まったのです。それゆえに、どの社会でも、淫乱が膨脹した社会は滅びるのです。(83)


 堕落は天使長とエバが合わさって夫を滅ぼすようにしたことです。(84)


 堕落は男と女が別々になり、アダムとエバが怨讐になったことです。(85)


 罪の中で最も重いのは神様の愛を破綻させた罪です。そのような天理を私たちは知らなければなりません。明らかに、アダムは兄としての本分を誤り、エバは妹としての本分を誤りました。天使長が誘惑すればエバはアダムに尋ねなければならず、アダムは神様に尋ねなければなりませんでした。ところが、自分たちなりに判断して、堕落の道を行ったのです。(86)


堕落とは何だと思いますか。堕落とは本然の理想的人間として、神様が願われた真の愛の夫婦となり、神様とともに愛を中心にして生きることができないことです。(87)


 堕落は、神様を中心としてアダムとエバが一つにならなければならないのに、神様の僕である天使長と一つになったことをいいます。神様の血統を受け継がなければならない人間が僕の血を受け継いだことです。ですから堕落した人間がいくら神様を「父」と呼んでも実感がわかないのです。


 これは、神様であろうと何であろうと関係なく、すべてを自己中心にだけ連結させて考える堕落性本性が遺伝したからです。それですべて相反した存在になり、氏族、民族をなしたとしたら、少しばかり時がたてば全部分かれるようになります。このようにして立てられたのがサタン文化圏です。二つに分かれ三つに分かれ、すべて分かれるのがサタン圏に属するものです。


 神様は分立した文化圏を一つにする統一摂理を展開してこられました。人間は誰でも、宇宙の中心存在に属そうとする本性をもっています。しかし、この世界の中心存在が神様でなくサタンとなっているので、中心を求めていけばいくほど幸福になるのではなく不幸になる、そんな悲惨な歴史が広がるようになっているのです。(88)

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