神山先生を 私が誤解していたこと・・・「 ✖ ボート会議 」
私が顕進様に誤解していたところを、下に抜き出しました。
私は、当時問題となっていた、 顕進様・国進様のこと、そして ヨイド裁判の件など、私が知る限りの事を、直接お父様に報告をしました。それに対しお父様の考えておられることをいろいろ話してくださり、ご指導も受けました。
また、私も涙ながらに「お父様はどうして間違った情報や、それを報告する人を信じるのですか?」と真剣にお聞きしました。お父様はこう言われました。「先生は疑って人の話を聞くことができない。疑うということは堕落圏でのできごとだ・・・。騙された人、騙した人。神様からみたらどちらが正しいか!正しい立場の人を騙したらかならず審判をうける。蕩減しなければならない・・・」と。
私が「お父様に間違った報告がなされ、お父様から叱られると嫌な思いをしますが」と正直に尋ねますと、お父様は、「その環境を受け止めておけ。いろいろな問題を解決する蕩減条件と思って・・・。時が解決するから・・・。」と言われたのです。
それで私は、顕進様に対する誤解も、「時が解決する」と納得したのです。
一言コメント・・・
お父様を利用してしまう
やはりお父様の御言葉、天聖経を中心としなければ分派相互間の誤解は解けませんね。仮に、私がどちらか一方に属するということは、他を排斥することでもありますから、それではお父様を利用する立場に立ってしまいがちです。
お母様、顕進様、亨進様が語る言葉を『御言葉』として奉ってしまう
お父様の御言葉を第一としてお母様、顕進様、亨進様をお支えになる道もあるのでしょうが、お母様、顕進様、亨進様が語る言葉をそれぞれが『御言葉』として奉るようになって、それを自分の拠り所とするようになりかねません。そうなると、(最終的にお父様の時代が終わったとして)お父様から離れてしまう。その兆候を強く感じます。
自分の拠り所、寄らば大樹の陰ということでは、お父様の天聖経を第一とすることが困難になります。ましてや、分派トップの三者ご自身が天聖経第一から離れていては天運を得ることはできないと思います。私たちの拠り所は、あくまでも、お父様が遺された統一原理、天聖経、八大教本です。
成約時代の経典 天聖経が拝読されていない
肝心の天聖経が、過去の統一教会の摂理的位置では理解不能になっていることが問題だと思います。この理解不能という問題が信徒たちの霊的枯渇を生み、さらに、成約時代に対する摂理的無知を生んでいます。その為、既にお母様は離れてしまっていますが、顕進様も亨進様も天聖経から離れてしまいかねないことを案じています。現に、成約時代を迎えている今の説教で天聖経が拝読されていないこと、天聖経を中心とした説教になっていないこと、この二つがこれを意味していると思うのです。