平和の主人 血統の主人

まさに、成約時代の毒麦となられたお母様

《 黙示録18章 3-10 節 》

3 地の王たち(幹部たち)は彼女(お母様)と姦淫を行い、地上の商人たち(教会長たち)は、彼女の(高額献金を得た)極度のぜいたくによって富を得た。

7 彼女(お母様)は心の中で『わたしは女王の位についている者であって、やもめではないのだから、悲しみを知らない』と言っている。

10  彼女(お母様)の苦しみに恐れをいだき、遠くに立って言うであろう、『ああ、わざわいだ、大いなる都、不落の都、バビロンは、わざわいだ。おまえ(お母様)に対するさばきは、一瞬にしてきた。

やはり、沈黙かな??  本日は、「ONE TRUTH 有志の会」の記事をお借りしました。


本日は、「ONE TRUTH 有志の会」の記事をお借りしました。


最初に、國進様のメッセージを読んでの感想をあげておきます。


 私としては、國進様のこのメッセージを改めて読み直す機会となりました。率直な感想として、十分に納得する内容でした。単に、國進様が自己を正当化させるための口実としてのメッセージではないということが分かりました。


 アベルとカインが共存するための手段としての武器
  過去六千年の摂理はアベルが犠牲になる道を来ましたが、再臨時代圏に入った以降はアベルが死んで犠牲になるのではなく(だからと言って、反対にアベルがカインを打つ為にいるのではなく)、カインがアベルを殺害できないように、アベルとカインが共存するための手段としての武器であったということです。そのうえ、アベルとカインが一体となる道を模索して一体化を成し遂げるということが國進様の最終結論になります。


 例として、第一次世界大戦、第二次世界大戦を摂理的観点から引き合いに出され、さらに、文先生の世界共産主義との戦いを取り上げられています。また、今のウクライナ問題に関して言え、欧米の武器援助によってロシアは精度の高い武器の底がついているようですが、今後、カインのロシアが後退せざるを得ないことも頷けます。このような観点からみると、國進様のアベルカイン観に対していろいろ評価されることがありますが、再臨時代の時代的な趨勢が現れているのではないでしょうか。


 批判より行動が先
  このような観点からして、國進様のこのメッセージに、私としてはおおいに納得なのです。「ONE TRUTH 有志の会」の皆さんは、このようなアベル思想には反対なのでしょうか。「ONE TRUTH 有志の会」の皆さんが自分たちの正当性を語るために國進様を排斥しているとするなら、勝利された長子にはなり得ないのではないかと思うのです。何故なら、後出しジャンケンのようなもので、一側面からの批判は一番簡単なことだからです。批判よりも、長子である顕進様が國進様と亨進様と一体となる為の理解と行動が先に必要だと思うのですが、いかがでしょう。違いますか。


 「盗賊認定」問題  良心基準の瑕疵 
  更にもう一つ言えば、お父様が言われていた「盗賊認定」問題です。
 この問題を伏せておいて、皆さんが声をそろえて國進様を批判するということは、判断する良心基準に瑕疵があるのではないかと思うのです。いかがでしょうか。


 顕進様の基盤機関には、自殺者、家庭崩壊、嘘、原理違反、モラル違反から生まれた高額献金という問題が背景にあるはずです。違いますか。正当化できるものがあるのなら教えてください。


 家庭連合も盗賊のような高額献金
  現在の家庭連合は盗賊のような高額献金であった為、いま、解散を視野にマスコミから打たれているのではないでしょうか。家庭連合が信教の迫害などと言う前に、自殺者、家庭崩壊、嘘、原理違反、モラル違反という問題を垂れ流しにしていたのです。
 本来なら、摂理に対して、お父様に対して不信したという根本的な悔い改めをしなければならないはずです。しかし、そのようなブログもなく、記者会見も提訴とコンプライアンスを言うだけです。彼らもまた、良心基準に瑕疵があるとしか言えないのではないか。


 顕進様が何を言われるのか
  このような高額献金によって生まれたのが顕進様の基盤機関ではなかったか。この問題に関して、顕進様が何を言われるのか、固唾を飲んで待っているはずです。事によれば、顕進様が本当に第四アダムであったと言えるのではないか。この問題に関しての沈黙を破ってほしいのです。そうすれば、その時、答えが出るのではないでしょうか。
 このような観点をサポートするような記事を、いまだ、顕進様の方たちの誰も書いていないのではないか。あれば教えてください。


 断っておきますが、私は無所属派です。迷える子羊です。





これは2012年時点での4男、文国進氏のスピーチ内容ですが、現在のサンクチュアリ教会を見てもわかるように、文国進氏と文亨進氏にはこれ以前(2006年以前)から、このような原理観で摂理を見ている事がありました。


家庭連合の強権勢力が顯進様に対抗するため、4男の文国進氏と7男の文亨進氏を担ぎ上げ始めたとき、文顯進様が恐れていた事が、統一運動が誤った思想によって神のみ旨から完全に逸脱することでした。しかし強権勢力は、それを承知で、顯進様を追放するという目的を達成する為に、4男の文国進氏と7男の文亨進氏と協力して統一運動全体の掌握に繰り出したのです。


※下記内容は、4男の國進氏が天福宮での名節式典で記念スピーチをされたときの内容です、全部読むと非常に神霊が下がるので、あまり真剣に読まないでください。



■もしアベルがカインより強く銃を持っていたらカインに殺されることはなく、人類の復帰歴史も必要ありませんでした。ですからアベルである私たちは武器を愛さなければなりません。


<2012年天福祭 文国進説教「強い大韓民国?(自由社会)」2012年1月25日(旧暦1月3日) 天福宮>


(映像 1:19:57地点から)

しかし平和は希望的な考えだけでは実現しません。ポピュリズムのような世界から平和は出てきません。平和は私たちが強い時にだけ結実化するのです。私たちが武器を持った時にだけ。武器なくしては平和は有り得ません。それを私たちは理解しなくてはいけません。それでお父様は、私たちの教会の草創期から韓国で国防産業(軍需産業)を育ててこられました。私たち(統一)教会の歴史がそうなのです。皆さんは、それを誇りに思わなければいけません。私たち(統一教会)はM1ライフル銃も製造しましたし、バルカン砲も製造しました。これらの武器を製造しました。


私たちは共産主義と戦い、レーガン大統領を支持しましたが、レーガン大統領は歴史上最大の武器競争を始めました。お父様は自由陣営の力になりました。それで今日、世界に自由があるのです。これは私たちの原理に直接的に関係しています。人間始祖の家庭からそうです。


私たちはカイン・アベルの話はみんな知っているでしょう。カイン・アベルの話はみんな知っているでしょう? そうですよね。その話は、どうなりましたか。神様はアベルを愛して、アベルの供え物を取りましたが、カインの供え物は取られませんでした。カインはそのことに対して怒って、結局アベルを殺してしまいました。


それで、この話は神様の愛を受ける人と、そうでない人との関係について多くのことを教えています。そのような講義をするとき、大部分の講師たちは「アベルがもう少し謙遜になっていれば、多分殺されなかっただろう」とこのように教えるのです。本当にそうでしょうか。アベルが本当に謙遜になれなくて死んだのですか?


アベルが謙遜であったとしてもカインは多分アベルを殺したのではないでしょうか?考えてみてください。カインはなぜアベルを殺したのですか。答えは簡単です。


(カインはアベルを)殺すことができたから殺したのです。そうではないですか?カインがアベルを殺せなかったら、アベルは死ななかったでしょう。それは何を意味しますか?


アベルは多分とても心優しい息子だったと思います。家にいるときは父母をよく手伝い、祈祷もし、勉強も熱心にし、家庭のためにたくさんのことをしたでしょう。そして奉仕活動もし、祈祷もしましたが、運動はあまりできなかったと思います。ですからアベルは太っていて、弱かったでしょう。台所で母親を手伝って料理をするので、そうだったのです。しかしカインは、そのような仕事が面白くないと思うような人間でした。(カインは)外に出て鹿を追ったり、狩りをしたり、石を投げたりして、沢山の運動をしたので、とても強い男でした。石も上手に投げたでしょう。アベルは弱くカインは強かったので、カインはアベルを殺したのです。


ひとつ質問しましょう。

アベルが日常(専業)は孝行息子として神から祝福を受けるような良い行いをしたとしましょう。しかしそれ以外の余った時間(副業・パート労働)では、強い人間ではないのでカインほど強くなれないのではないですか?ところで(アベルは)頭は良かったのです。それで少ない余った時間(副業・パート労働)で発明家として仕事をするのです。そして銃を発明するのです。銃を作るのです。


もしアベルが銃を持っていたら、アベルは果たして死んだでしょうか?

これは笑い事ではありません。これはとても深い神学的な問題です。そして実はここに韓国的な世界平和を現実化する秘訣が隠れているのです。


アベルが銃を持っていて、カインがまさにアベルを殺そうと近づいて来ます。それでアベルは銃を抜いて、これ以上近づくな、近づけば撃つぞと。

それではカインはこのような状況でどうするでしょうか。カインも馬鹿ではありません。死にたくはありません。死ぬのは嫌でしょう。ただ自己中心だという、利己主義という問題だけあるのです。それでそのような状況ではカインは当然逃げるでしょう。ですからアベルが銃を持っていたならば、アベルも生きて、カインも生きて、二人とも生きたはずです。二人とも生きているので、その後は地上で、二人の間のさまざまな感情的な問題を解いて、その家庭で平和を実現したでしょう。


そうなっていたら、その周囲に起こる世界の復帰歴史が必要ないのです。すでにメシアを迎える基台はアダム家庭で実現していたはずです。私たちが数千年間の人類歴史の苦痛の歴史を経験したのは、結局、アベルが銃を持っていなかったからなのです。


(映像 1:29:00から)

それがどれだけ深い意味があるのか考えて見てください。

原理では、一次、二次、三次世界大戦の必要性について、それが神様が下さった三大祝福を復帰するために必要な内容があります。それは世界的な次元でのカイン・アベルの状況でした。ところでこのような戦争を(武器等の)製造業の観点から研究することができます。第一次世界大戦は、どの側が勝ちましたか?カイン側が勝ちましたか、アベル側が勝ちましたか?アベル側が勝ったでしょう? なぜアベル側が勝ったのですか?


そうです、カイン(側)よりもずっと多くの武器を持っていました。ただ相手の敵に石を投げて勝ったのではありません。実は第一次世界大戦は、そのような(武器等の)製造業、そして生産次元で研究することができます。武器と・・・。特に第一次世界大戦にアメリカが介入後、アメリカは生産力が高かったため、ドイツは全く相手になりませんでした。結局、ドイツは製造業、生産力において下回っていたために負けました。


ですから第一次的な(摂理である)第一次世界大戦はアベル側が勝ち、そして摂理が発展しましたが、それは何故かというとアベルがパート労働を有効に使って武器をたくさん持ったからです。自由陣営で暮らしているすべての人たちは、専業があります。それは何かというと自由な環境で生活し、私たちが社会生活でさまざまに活動するのに専業がありますが、パート労働もあります。軍人や武器を製造するパート労働もあることを忘れてはいけません。


それでは第二次世界大戦はどうでしたか? 第二次世界大戦では、やはりアベル(側)が勝ちましたが、アベル側がなぜ勝ちましたか? 同様の内容です。アベル側が、(カイン側)より多くの銃、より多くの飛行機、より多くの船、より多くの軍人、より多くの武器、より多くの爆弾、さらには原子爆弾まで持っていました。カイン側より多くの武器を製造したので、アベル側が勝ちました。ドイツ軍は第二次世界大戦時に何人死にましたか? 第二次世界大戦時にドイツ軍は600万人の軍人が戦死しました。ロシアは当時、アベル側にいましたが、ロシアは軍人が何人死にましたか? 2000万人の軍人が戦死しました。米軍は70万人、英国数十万人、ほかの国も数十万人死にました。ナチのドイツよりも連合軍(米英仏)の死亡者数が三倍ほど多かったのです。


ところがアベル側は勝ったのです。より多くの銃を持っていたので。より多くの武器を持っていたので勝ったのです。このような歴史を通して神様が人類になにかの教訓を授けようとしているのです。「弱いアベルは死ぬのだ」

「強いアベルは勝ち、そして神様の摂理を発展させるのだ」ところで21世紀になって、世界が大きな局面を迎えているようです。もう第三次世界大戦の可能性が見えて来ています。なぜなら(神様が下さった)このような教訓をまだ私たちが学んでいないからです。(武器を作るための)パート労働をよくやらないアベルは死ぬのです。弱いアベルは死ぬのです。強いアベルだけが神様の摂理を発展させられるのです。強いアベルだけが永久的に平和を維持できるのです。


世界の問題は、悪い人がいること、カイン的な人がいること、そこにあるのではありません。理想世界でも多分カイン的な人はいるはずです。今日の世界の問題点は、アベル側の人たちが弱くなっていることなのです。それで悪が世界を支配するのです。私たちが地上天国を作って、平和と自由が絶対にこの地上からなくならない、そのような世界を作るためには、必ずアベルは常に永久的に強くなければなりません。そのような世界は、カインが武器を愛する以上にアベルが武器を愛するときにだけ可能です。愛の問題なのです。アベルが神様のすべての創造物を愛するという責任を全うしていません。特に神様の創造物の中では一番重要である武器を愛さないのです。それがアベルの問題です。


ですから世界が悪なる環境になるのです。愛の問題です。神様が下さろうとしている教訓を世界が早く学ぶことを期待します。


アベル陣営(自由陣営)で暮らしている人たちが、神様は「強いアベル」を願っていることを早く気づくように願います。

そのような教訓を学んでいくことで、私たちが永久的な世界平和を作れるのです。力(武器)を通して。


ありがとうございました。


<2012年天福祭 文国進説教>

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