⑤ これが現実だった・・統一教会・・みんな(私も) 無知の集団だった・・・原理講論の間違いを知らなかった これは間違い ☞ 「韓国民族は・・・一度も他の国を侵略したことはなかった。」
昨日の記事の御言葉三つ(【A】【B】【C】)を短く要約しました。
【A】
「原理講論」第六章 再臨論 第三節(三)(3)
「韓国民族は・・・一度も他の国を侵略したことはなかった。」
【A】の間違いに対して、【B】【C】では「間違わなければならない理由がある」と語られています。
注:【C】の赤文字の注釈は原文の要点を書いています。原文は昨日の記事にありますので、注釈が心配な方は確認してください。
【B】
〔 第38回『真の神の日』真の父母様の勝利圏を相続しよう(ファミリー 1995年 P.263) 〕
「原理講論は・・・間違がっていたとしてもそれを知らないのではありません。間違っているところ何か所かを、そのままにしておかなければならないのです。」
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【C】
〔 御言訓読と霊界動員 p.93 (33-101, 1970.8.9)〕
『(原理講論に間違がある理由をしならなければなりません)何のためにそのように書いたのかを知らなければなりません。経典は、(間違っていても、その理由がある為、)絶対視しなければならないのです。
・・・・
(間違っているように)書くべきほかの事情があり、飛躍せざるを得ない内容があったということを知らなければなりません。
・・・・
(間違っているように書くべき事情がある為、)原理は千年たっても変わりません。』
ここからが本日の本題になります。
どんな理由があるのか??
【A】の間違いをそのままにしなければならない理由があると文先生は言っているのです。
果たして、どんな理由があるというのでしょうか。
皆さんは考えたことがありますか。私は考えました。しかし、つい最近まで、まったく分かりませんでした。
そこで、10日前くらいに、パソコンに入っている3万ページの御言葉に「侵略」という言葉の検索をかけました。
理由が分かった
そこで出会った御言葉からヒントが生まれ、その理由を解くことができたのです。その御言葉が下記です(2/9の記事に取りあげた)。
【D】
文鮮明先生のみ言集 訓教経(下) (2000年書籍)
14.興亡の分岐点 一九七一年三月二十一日 韓国前本部教会
『文鮮明先生み言選集第四十二巻』
「言い換えれば、イエス様は自分のために祈ったのではなく、国のために祈り、(※1)国の代表者格の三弟子のために涙を流して祈ったというのです。しかし、それがみな駄目になったとき、十字架への道が決定されたのです。そうしてイエス様は、自分の責任として十字架の談判をせざるを得なかったというのです。こういう問題を考えなければならないのです。
それゆえ、人のために生きる人、すなわち十人のために生きれば、九人が反対しても一人は自分の味方になってくれます。十人中の半分の人が自分に反対しても、残り半分は自分の味方になってくれるのです。いつも垣根になってくれるというのです。
(先生もイエス様と同じ世に)
(※2)私(文先生)が侵略されることがあれば、(※3)私を保護する責任が(三弟子に)あるのであり、私が苦労をしてあげたならばそれに責任をもつようになるというのです。なぜなら慈しみを受けたからです。」
「侵略」とは「苦難」のこと
文先生は上記【D】の(※2)で「私が侵略されることがあれば・・」と語られています。
ここでの「侵略」とは何を意味するのかです。この【D】の(※1)と文脈全体からすると、この「侵略」という言葉は文先生の「苦難」のことを言っていることが分かります。
しかし、一般的には、「侵略」という言葉は国家間の戦争で用いる言葉です。
どうして言葉を換えたのか?
それで問題は、文先生はどうして「侵略」という言葉を「苦難」という言葉に置き換えて語られたのかです。
この御言葉は1971年のものです。この時代の摂理は、文先生が国家基準から世界基準に拡大される時でした。
文先生は三弟子の一人であった劉教会長を失い、【D】の(※1)にあるように、三弟子の基台を失ったままになっていることにより、苦難の道を余儀なくされている御言葉です。
その為、文先生はご自分が苦難の道を行かれることよりも、文先生を中心とした「第三イスラエル国」がサタンから「侵略」を受けて困難に陥っていることを嘆いておられるのです。
その為、第三イスラエル国の中心である文先生は、(※3)で「私を保護する責任が(三弟子に)ある」と語られたのです
第一の鍵
ところで、ここで問題となるのは、【A】の原理講論の間違いには理由がるので、その理由を知らなければならないと言っている、その理由を解かなければならないことです。
私にとって、その理由を解く第一の鍵が【D】の(※2)「文先生が侵略される」という御言葉になり、これが第二鍵を見つけるヒントになりました。
第二の鍵 キリスト教の失敗
さらに、第二の鍵があります。それはキリスト教の失敗です。
つまり、文先生が最初に「侵略された」のはキリスト教の失敗が原因でした。1945年、1946年のにあったキリスト教の不信です。
この時のキリスト教の失敗により、共産主義の中国が生まれ、韓半島が分裂しました。これによって、ソ連・中国・北朝鮮というサタン側の三数の基台ができてしまったのです。
一方、文先生はキリスト教の失敗がなければ、7年で世界統一ができたはずでした。しかし、摂理的恵沢を全て失い、肉片が飛ぶような拷問を耐えられ、2年8ヶ月間の興南刑務所の苦役があり、さらに、1952年から歩まれた40年サタン分立路程路程では、お父様とお母様が引き裂かれ、子女様たちが犠牲になり、まさに、苦難の連続でした。
つまり、【D】(※1)の「(イエス様の)三弟子の失敗」と同じように、文先生もキリスト教の失敗により、六千年の蕩減歴史の恩恵を全て失い、蕩減が加重され、失った三弟子の基台を最後まで補うことができませんでした。これが理由で「文先生は侵略され続けた」のです。
第三の鍵 「蕩減法」
第一の鍵、第二の鍵から、第三の鍵が分かりました。それは文先生の生涯をひも解くファクターとなっている「蕩減法」という鍵です。
第一の鍵 【D】の(※1)「文先生が侵略される」という言葉
第二の鍵 1945年のキリスト教の失敗
第三の鍵 「蕩減法」
いよいよ、理由が見えてくる
この三つの鍵によって、【A】の原理講論の間違いをそのままにしておかなければならなかった理由が見えていくるのです。
どんな理由になるのかについては、次回にします。