平和の主人 血統の主人

まさに、成約時代の毒麦となられたお母様

《 黙示録18章 3-10 節 》

3 地の王たち(幹部たち)は彼女(お母様)と姦淫を行い、地上の商人たち(教会長たち)は、彼女の(高額献金を得た)極度のぜいたくによって富を得た。

7 彼女(お母様)は心の中で『わたしは女王の位についている者であって、やもめではないのだから、悲しみを知らない』と言っている。

10  彼女(お母様)の苦しみに恐れをいだき、遠くに立って言うであろう、『ああ、わざわいだ、大いなる都、不落の都、バビロンは、わざわいだ。おまえ(お母様)に対するさばきは、一瞬にしてきた。

④ 原理講論 「韓国は他国を侵略したことがない」 これは間違いではないですか??

 統一教会の経典である「原理講論」の第六章、「再臨論」に次のように記されています。

【A】


 「原理講論」第六章 再臨論 第三節(三)(3)


韓国民族単一血統の民族として、四〇〇〇年間悠久なる歴史を続け、高句麗、新羅時代など強大な国勢を誇っていたときにも侵攻してきた外国勢力を押しだすにとどまり、一度も他の国を侵略したことはなかった。サタンの第一の本性が侵略性であるということに照らしあわせてみれば、こうした面から見ても、韓国民族は天の側であることが明らかである。」 



 上記の原理講論にある「韓国民族は・・・一度も他の国を侵略したことはなかった。」という記述に対して、小山田先生、周藤先生はどのようにお考えなのでしょうか。



  明らかな間違い


 この「韓国民族は・・・一度も他の国を侵略したことはなかった。」という記述は、幼稚な間違いです。統一教会の生命視すべき経典には間違いが記述されているということです。


 日本統一教会で原理講論は1966年に出版されました。草創期の大先輩たちが翻訳にも携わったに違いありません。「再臨論」の間違いを知らないで出版したことになります。


  無知の証明


 もしそうだとするなら、大先輩たち、小山田先生、周藤先生たちが無知であったという証明になるのではないでしょうか。
 そればかりではなく、統一教会の食口たちの多くは知的水準が高いと自負しています。世の中からもそのように見られています。その優秀なはずの食口たちまでも、最も肝心な再臨論の間違いに気づかず、誰もがスルーしているのです。この間違いを不問にする理由があったのでしょうか。
 このままでは、今後も、優秀の頂点だったはずの原理研究会までも幼稚なほど無知であったことの証明になってしまいます。


 小山田先生、周藤先生、大先輩たちはこの問題をどう理解しているのでしょうか。文先生の立場でどのように説明するのでしょうか。




   私は無知であった


 正直なところ、私が再臨論の間違いを知ったのは、恥ずかしながら、1995年、還故郷してからでした。当時盛んだった反対派、共産主義者たちの主張から知ったのです。韓国の歴史に関して全く無知であった。
 当時は経済的な自立で忙しく、再臨論の間違いについて御言葉から向き合う余裕は全くありませんでした。
 それどころか、食口たちと会えば、必ずこの問題が持ち上がりました。私にとっても、兄弟たちにとっても、不信の火種になっていた問題でした。


 私は、文先生が聖和された以降、御言葉の再学習を始めました。その結果、数多くの疑問を拾い上げました。その一つが、やはり、不信の火種になっていた「再臨論」の間違いだったのです。



   御言葉から知る


 人からは「無駄な抵抗」と言われつつ、私は、あるかも知れない正当な理由を探し出そうとしました。
 しかし、間違いであることを知って、そのまま再臨論に載せるということは、一般的にあり得ないことです。
 やはり予想通り、再臨論が間違った正当な理由を見つけ出すことは「無駄な抵抗」のように思えました。


 しかしどうにか、信仰が切れる寸前で、その答えを先延ばしする暫定的な御言葉を見つけました。それもブログからです。それが下記の【B】【C】です。(しかし、友人は「文師の言い逃れ、強弁だよ」って言ってました。)



【B】


第38回『真の神の日』真の父母様の勝利圏を相続しよう(ファミリー 1995年 P.263)


「原理講論は・・・1ページ1ページ鑑定を受けたのです。

・・・(中略)・・・

間違がっていたとしてもそれを知らないのではありません。間違っているところ何か所かを、そのままにしておかなければならないのです。全てを教えてあげるわけにはいかないのです。


===========


【C】


〔 御言訓読と霊界動員 p.93 (33-101, 1970.8.9)


『「原理講論」は、劉協会長が書いたのではありません。1ページ1ページ すべて鑑定を受けたのです。私が許諾しなければ、それに手を出すことはできません。

もし間違って書かれていたとしても、軽視すれば引っ掛かります。何のためにそのように書いたのかを知らなければなりません。経典は、絶対視しなければならないのです。

「明らかに間違っているようなのに、なぜそのように書いたのか」と言う人がいます。

それは全体を見たとき、そのように書くようになっているからです。

そのように書くべきほかの事情があり、飛躍せざるを得ない内容があったということを知らなければなりません。そのように考えなければならないのです。

それを理解できずに、自分が分からないことは「間違っている」と考えています。

しかし、原理は千年たっても変わりません。』



   【B】【C】を整理すると・・・


 【A】の「再臨論」の間違いに対して、直接的な答えになっているとは到底思えませんが、上記の【B】【C】で次のように語られています。


【B】「間違っているところ何か所かを、そのままにしておかなければならないのです。」


【C】「もし間違って書かれていたとしても、軽視すれば引っ掛かります。何のためにそのように書いたのかを知らなければなりません。経典は、絶対視しなければならないのです。
そのように書くべきほかの事情があり、飛躍せざるを得ない内容があったということを知らなければなりません。




 この【B】と【C】から「再臨論」の間違いに対して問題となるのは、下記の【C】の一節です。


 【C】「何のためにそのように書いたのかを知らなければなりません。経典は、絶対視しなければならないのです。」




   さらに要約すると・・・

 【B】【C】をさらに要約すると次のようになります。


 ① 文先生は「再臨論を間違った内容にしなければならない理由があって、その間違いを知りながら絶対的な経典として出版した」
 ➁ 文先生が「間違いを知りながら、その経典を出されたのかを知らなければならない。」



 そして、この①②からすると、「再臨論」の間違いから私たちに与えられた宿題は➁になります。


 ➁ 文先生が「間違いを知りながら、その経典を出されたのかを知らなければならない。」 ➡ 再臨論は「間違わなければならなかった」ことになる。



 つまり、文先生は


① 「(何らかの理由があって)間違わなければならかった原理講論(再臨論)」を「絶対的な経典」と言い、



その間違っている理由を


➁ 「知らなければならない」と言っている。




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このままでは終われません。そうでないと、友人が言っていた「【B】【C】は文師の言い逃れ、強弁だよ」の証明になってしまいますから・・・。



つづき・・・
間違っている理由を「知らなければならない」になります。

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