迫害を受けた「4研」は時期尚早だった ☞☞ 「天聖経」を翻訳するな!! この真意は一体何か??
久しぶりの記事になります・・・(^^)/
シンプル イズ ベスト・・・・「対応語に転換」はシンプル イズ ベストです。
おおいに深刻な御言葉を見つけましたので記事にしました。
下記の御言葉の(※1)「翻訳するな」というのは、世の中が言っている翻訳のことではないはずです。何故なら、天聖経は日本語に翻訳されているからです。
この「翻訳するな」とは、私のブログで扱っている「対応語に転換して読む」ことの反対のこと、つまり、『対応語に転換するな』と言っているはずです。
それでは、「翻訳するな」とは何を意味しているのでしょうか??
それは先生が生きて聖和するまでは真の愛のみを顕す為です。お父様が言われた「糞なら糞」「拳なら拳」と、注釈を入れずに天聖経を読みなさいということです。もし、お父様が注釈を入れて読むことをしておられたなら、777のブログの登場はあり得ないはずです。しかし、それでは真の愛が顕れることができなかったのです。
つまり、下記の御言葉は、お父様の存命中は『対応語に転換するな』ということを言っているはずです。ですから、存命中は(※2)の「翻訳出来ません」と言われているのは、聖和後、時が来るまで、霊界が閉じて真実が封印されているということです。
この意味からすると、四研の御言葉の解明は深いものがありましたが、文先生の地上での使命が完結していなかった為、時期尚早となり、迫害と孤立を免れることができなかったのかも知れません。
今後、さらに『対応語に転換』されるようになれば、「天聖経」の真実が明らかになり、天地開闢の時代を実感するようになるはずです。
天聖経 第四章 五 4.
訓読会は私が千辛万苦して人生において積んだ全ての宝の箱を、民族の前で開けて与える事なのです。誰にでも全て。
(※1)翻訳もするなと言いました。(※2)翻訳出来ません。私の民族の前に通告する時までです。それを知らなければなりません。