⑦ 何故、文先生は「士師(教主)」から「メシヤ」の位置に上がれなかったのか??
今日の記事は、昨日の記事をもう少し詳しく取り上げます。
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❶ 文先生の1920年から1960年までの「40年間」
・・・「文先生の苦役時代」
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文先生の1920年から1960年までの40年の期間は『文先生の苦役時代』であり、この時代は旧約の「エジプト苦役時代400年」と新約の「ローマ帝国の迫害時代400年」に同時性になっています。
これの詳細については、書籍「真の御父母様の生涯路程 1」を参考にしてください。
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❷ 文先生の1960年から2000年までの「40年間」
・・・「文先生の士師(教主)時代」
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文先生の1960年から2000年までの40年の期間は『文先生の士師時代』であり、この時代は旧約の「士師時代400年」と新約の「教区長制基督教会時代400年」に同時性となっています。
常に、統一教会の修練会では文先生をメシヤとして証ししていましたし、信徒たちも文先生をメシヤとして受け入れてきました。にもかかわらず、1992年には世界の指導者たちに向かって「メシヤ宣布」をされました。
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文先生はメシヤ? それとも、????
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下記の御言葉をお読みください。
1998年に出版された書籍には、文先生はご自身を祭司長(士師・洗礼ヨハネ)の立場であると語られたのです。これは一体何を意味しているのでしょうか。
書籍(1998年出版) 祝福家庭と理想天国(1) 第七章 第三節 5.
(※)先生は統一教会の祭司長と同じです。
祭司長が自ら祭物となる羊を養って祭事を捧げる道理がどこにありますか。行事のときには、全部私のポケットを通して行事をしているのですが、これは大きな間違いです。
祭司長が自分のお金で祭事を捧げるのは、身のほどもわきまえない祭事です。そのように誠意もなく精誠も尽くさずに貴い日を迎えては、(※2)皆さんの後孫が罰を受けるようになるでしょう。そのような場からは、神様も去ってしまわれるでしょう。
神様が去った真の神の日がどこにあり、真のご父母様が去った真の父母の日がどこにあり、真の子女の日がどこにあるでしょうか。
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この御言葉を聞いたリーダーたちは・・・
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残念ながら、この時代圏のリーダーたちは、文先生が「メシヤ宣布」をされたにもかかわらず、彼らは「(※1)先生は統一教会の祭司長と同じです」、「(※2)皆さんの後孫が罰を受けるようになるでしょう。そのような場からは、神様も去ってしまわれるでしょう。」という御言葉を聞いても、原理を知りながら、この問題を深刻に受け止めた者は一人もいませんでした。このような観点からの摂理観を私は一度も聞いたことがありません。
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何故でしょうか?
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一つ目は、深刻な問題になります。
この問題故に、「(※)先生は統一教会の祭司長と同じです」という御言葉が信徒たちに伏せられてしまったと言える問題です。
その問題とは、1960年に展開された「アブラハムによるイエスの典型路程」と「本妻と妾摂理」が根本的な原因になっているのです。原理を聞かされていないお母様はこの「典型路程」により堕落しサタンに奪われました。
そのお母様を取り戻すためにあったのがエバを分立する摂理である「本妻と妾摂理(お母様と崔元福女史」)であったのです。
どちらも非法の愛による蕩減でしたが、1960年にあった「アブラハムによるイエスの典型路程」は1966年に原理講論には記されました。しかし、文先生は信徒たちに対してお母様の堕落があった為、直接語られませんでした。
一方、「本妻と妾摂理」は信徒たちの前に公然と展開されました。幾人かの写真もネット上に存在しています。1960年代、摂理的意義を語ることができなかった為、多くの信徒たちには理解できず、彼らは「妾を持ってメシヤなら私にもできる」とつぶやき、多くの信徒が躓きました。
二つ目の問題は、1950年代から1960年代の統一教会に起こった問題です。
枯草に火が付けば燃え広がるように、必然的に起こった女性信徒たちに対する摂理でした。
文先生は入教してきた女性たちに対して、年齢の区別なく、祖母として、母として、姉として、妹として愛され、さらに、全女性たちに対して、妻になる直前の兄と妹の関係を蕩減復帰する摂理は必然的路程でした。
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女性たちを熱心に愛された文先生
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文先生はこの女性たちに対して、時にはグループで、時には一対一で、何時間も何時間も、何日も何日も、昼夜なく、深く深く愛され、牧会されました。統一教会の真の愛の原点も誤解の原点も、ここにあったと言える摂理です。
文先生の深い愛を受けた女性たちは、経験したことのない喜びを覚えたのです。そして、あろうことに、女性たちは自分の堕落性のまま、分限を超えて愛の競争が起こり、彼女たちは文先生に対して一層の愛を求めたのです。
そして、彼女たちが少しでも愛の減少感を感じれば、消すことができない強烈な嫉妬が湧き起こったことは容易に理解できるのです。この嫉妬問題が文先生と統一教会に延々と暗雲をもたらす発端となったのです。
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嫉妬心が男信者に飛び火
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さらに、女性の嫉妬心は男性の信徒たちにも飛び火して燃え広がったのです。そして、自らの嫉妬心に躓いた多くの男性信徒たちは、キリスト教会とマスコミに対して裏切りのユダとなり、ありもしない作り話をでっち上げて密告しました。
この元信徒の密告問題が韓国と日本の古い幹部たちに大きな打撃を与えました。これが新たな問題となったのです。
この問題とは、韓国でも日本でも起こった、統一教会に対する反対運動です。この反対運動は共産主義者とマスコミが世界的に連動するようになり、文先生を暗殺するという日本赤軍の謀略まで起こり、アメリカで逮捕されました。
共産主義者の常套手段である「嘘を百回言えば本当になる」という謀略によって、文先生を「淫教のメシヤ」だと誹謗し、これによって、統一教会と信徒たちは大打撃を受けたのです。
この問題により日本では「反対父母の会」が結成され、やがて拉致監禁へとエスカレートし、脱会者が連日続きました。全ては共産主義者と反対に回った一部のキリスト教会によるものでした。
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統一教会に不信の問題が内在化した・・・・
文先生の「女性摂理」は存在しないとし、タブー化した
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ここで新たな問題が浮上しました。
それは、韓国と日本の幹部たちが文先生の「女性摂理」に対して、嫉妬し、躓き、不信したことから起こった問題です。
連日、テレビ、新聞、週刊誌でバッシングを受けた幹部たちは、彼らの攻撃に対して、やむなく、記者の質問に答えました。
質問に対して、文先生を淫教のメシヤとしたマスコミの情報は、全て、共産主義者のねつ造であるとしたのです。
それは良かったのですが、信徒たちに対して、あろうことに、文先生の血の涙を流された「女性摂理」は存在しないとし、タブー化してしまったのです。
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教育の徹底・・・「女性摂理」は存在しない、サタンの捏造である
これが文先生を不信する証明となった
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マスコミに対する方便的な答えの効果を上げるためには、何よりも、信徒たちに対して、誤った教育を施したのです。
つまり、文先生が血の涙を流された「女性摂理」は存在しないとしたのです。そして、信徒たちに対して、すべてがサタンの捏造であるという教育を徹底しなければならないと幹部たちは判断したのです。
このような、幹部たちのその場逃れのマスコミ対策は、摂理的観点からすれば、大変な問題になります。この為に、洗礼ヨハネの使命を担っていた幹部とお母様の文先生に対する不信が決定的になったということです。
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文先生は、1992年に「メシヤ宣布」された後も
『祭司長』の立場に立たれたままになってしまった
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統一教会(幹部とお母様)の不信により、1992年に「メシヤ宣布」された後も、文先生は『祭司長』の立場に立たれたままになってしまったのです。
それが、上記の御言葉で、(※1)「先生は統一教会の祭司長と同じです。」と語られ、さらに、(※2)「皆さんの後孫が罰を受けるようになるでしょう。そのような場からは、神様も去ってしまわれるでしょう。」と語られた御言葉です。これは、イエス様が十字架上で語られたことと同一の警告の御言葉です。
この深刻な問題は、これまで一度も、家庭連合内で語られたことはありませんでした。まさに、サタンに主管されて、全く反対の独生女宣言なるものがまかり通っているのです。
次回は、下記の❸です。
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❸ 文先生の2001年から2013年までの「12年間」
・・・「文先生の統一王国時代」
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文先生の2001年から2013年までの12年の期間は、「統一王国時代120年」と「基督王国時代120年」の同時性になっています。