平和の主人 血統の主人

まさに、成約時代の毒麦となられたお母様

《 黙示録18章 3-10 節 》

3 地の王たち(幹部たち)は彼女(お母様)と姦淫を行い、地上の商人たち(教会長たち)は、彼女の(高額献金を得た)極度のぜいたくによって富を得た。

7 彼女(お母様)は心の中で『わたしは女王の位についている者であって、やもめではないのだから、悲しみを知らない』と言っている。

10  彼女(お母様)の苦しみに恐れをいだき、遠くに立って言うであろう、『ああ、わざわいだ、大いなる都、不落の都、バビロンは、わざわいだ。おまえ(お母様)に対するさばきは、一瞬にしてきた。

私の父 文先生  《「統一原理」の無価値であるという錯覚が何故起こったのか? ➡ 「統一原理」にある定義性を無視して「天聖経」を読んだ為》


ひとり言(つづき)  


「統一原理」の無価値化の原因 ➡ 「統一原理」にある定義性を無視して「天聖経」を読んでいる為



 

この二つの経典にある「アダム」「人類始祖」を六千年前のアダムであるとするなら・・・・この二つは完全に矛盾し崩壊する・・・それが分派も含む全家庭連合の姿だ



御言葉と統一原理

確かに、御言葉は統一原理よりも真理基準が高い  しかし、私たちは、統一原理で定めていたはずの「言葉の定義性」を無視して御言葉を読んだ  その為、とんでもない錯覚が起こってしまった  その錯覚から統一原理と御言葉の矛盾と乖離が起こったのです


どうして、原理が定めている定義性を無視したのか?

その理由こそ、文先生とお母様を神格化した為  この神格化によって原理が定めている「言葉の定義性」を無視せざるを得なくなってしまい、ますます、神格化に拍車がかかったのです


どうして定義性を無視したのか??

御言葉の言葉「アダム」「人類始祖」という言葉を原理の定義性をもって読むと、文先生とお母様の堕落が露わになる為、文先生とお母様の堕落を覆い隠す為に統一原理で言っている定義性を無視したのです


 文先生と言えど、統一原理が無視できないと語られていたにもかかわらず、統一教会の幹部たちは、文先生を立てて崇めるために統一原理が定めている定義性を無視したのです (始まりは目に見えないチリほどの無視だったのでしょうが・・・いまは致命傷になっている)


幹部たちは文先生とお母様の堕落に関しては知っていたのか??

韓国の幹部たちは知っている深さに差があったとしても、ほぼ、誰もが知っていたはず  これに続いていた日本も同根となっていったのです

どれくらい深く知っていたかは分からないが、文先生とお母様の近くにいた幹部たちは、差はあれ誰もが知っていたはず


面従腹背となった幹部たち  

だから、後々、幹部たちは「お父様がそうだったのだから」と内心で思いつつ、アダムエバ問題、公金問題、信徒に対する人権蹂躙問題など、罪を犯し続けることに恥じを持たなかったのです  彼らがあまりにも堂々と罪を犯す為、それを見ていた側近たちは「何か意味があるのだろう」と勘違いしたり、「私もあのようになれる」と思ったのです  そして、面従腹背、みんなそうなってしまったのです


真の愛は「右の頬を打たれたら 左の頬を出しなさい」

これらは、幹部たちの政治的な判断でそうなっていったと思います  さらに、幹部たちは罪を犯す楽しみにふけり、蜜を吸うように罪を貪ったのです  罪を犯せる自分を維持する為、その組織にするため、毎日、幹部が集まれば政治的に判断し続けたのです  御言葉の中に、「先生の前に、幹部たちが自分の罪をを隠して政治をしている」ことを語られている御言葉がたくさんあります まさに、「右の頬を打たれたら 左の頬を出しなさい」から真の愛が分かるように、文先生は彼らに対してそのように対されたのです


統一原理による言葉の定義性を無視するとは??

たくさんありますが、例えば、「アダム」を六千年前のアダムとしてのみ読むとか、或いは、「人類始祖」を六千年前のアダムとしてのみ読むことです  どれも統一原理の定義性を無視して読んでいたのです

他にも沢山あります


「真の父母」という定義は??

また、天聖経には「真の父母とは統一教会の教義」であり、「未来線上からの出発であった」こと、「真の人間が今だ顕れていない」ことが語られています  しかし、幹部たちは常にお父様とお母様を「実体の真の父母」とし崇め祭ったのです そして、堕落した立場にある子女様たちを「実体の真の子女」として崇め祭ったのです  面従背腹による神格化です このような誤った真の父母観と子女観を、幹部たちは一日も休まずに統一教会全体に広めたのです  その結果、誰も彼もが幹部たちに騙された、或いは、それをそのまま飲み込まれた文先生からも騙されたようなものですから、今からでも、恨みを捨てて、今からでも御言葉が分かるようにしなければなりません


堕落したアダム、堕落した人間始祖

しかし、文先生は統一原理の定義性をもって常にご自身を語られていたのです  つまり、ご自身のことを堕落した「アダム」、堕落した「人類始祖」として語り続けられたのです  その為、天聖経や御言葉は統一原理に記されていたアダムの堕落の原因と経路と結果に対して、微妙に矛盾し、微妙に乖離しているのです


原罪問題

まだこのブログでは書いていませんが、文先生にはメシヤとして来られたにもかかわらず、後々、原罪が生まれたと語られた御言葉もあります  しかしこの原罪は六千年前のアダムの原罪とはあまりにも違い過ぎることが語られています


文先生の原罪を海に譬えれば 波打ち際

原罪を海に譬えて言えば、六千年前のアダムとエバの原罪をフイリピン沖のマリアナ海溝の深さ(約10,911m)であるとするなら、文先生の原罪は日本で最も美しい沖縄県久米島の「はての浜」にある波打ち際です。

 

文先生は罪に蹂躙されている人類をこの深瀬から救助する為、ご自身の家庭を犠牲にされ、自らの命を投げ出されたのです。にもかかわらず、私たちは満身創痍になっている文先生が理解できず、無視して離れ去ったのです。


文先生の原罪はお母様によって解放されると語られている

お母様がお父様には原罪があったと語られたのは、お父様から聞かされていたからであり、これをお母様なりに部下と相談して解釈してのことではないかと思われます


私の父

私は、このような文先生知って以来、これでこそ私の父であると誇りをもって確信したのです


原理を無視して文字どおり解釈する奴隷

御言葉が統一原理と矛盾し乖離していることを知りながら、これを矛盾しないものとする為 御言葉が統一原理よりも高い基準であるとした  その為、統一教会は定義性を無視して御言葉を文字どおり解釈する奴隷となっったのです  「アダム」「人類始祖」を六千年前のアダムとすれば、「これで矛盾が解決する」とし、文先生が統一原理を上書きして語られたとして読んでいるのです


ここで統一原理の絶対性が崩壊したという錯覚

しかし、この判断の過ちが統一原理の絶対性を崩壊させ、原理が無力化していると錯覚を起こさせたのです  さらに、この錯覚が文先生の神性までも失わせるという、とでもない問題が今の家庭連合の中に生まれているのです  


パセシラ

家庭連合ばかりではありません  三男さんの信徒たちのブロガーも、彼らが知恵者の集団であろうとする為、様々な問題を生んでいるように見えます。

彼らが推している「三男さんを第四アダムである」という宣言に対して、私は、独生女宣言と同じような誤りと香りを感じます  つまり、文先生を崇めているように装いながら、実は、常に他者を批判して自己擁護に奔走し、知恵の限りを尽くして自己を正当化する言葉に 常に満ち満ちあふれている香りです  

お父様を立てているようだが、三男さんをお父様以上に崇めようとしている香りです  おそらく、彼らは、お父様の限界性有限性をどこかで語っているように見えます  常に三男さんは被害者であるという、三男さんを擁護して正当化しようとする為、知恵をもって政治的戦略的な判断で動いている香りが常にします 私からすれば、今の旧統一教会問題で叩かれていることに対して、マスコミに乗っかて批判の声など微塵にもあげてはならない方たちだと思います 何故? その巨額なお金でできたのがこの方たちがおられる機関基盤だから・・・  でもやっている、週刊誌までにも実名入りで正義感もって「密告」したのですから、統一教会という、統一家の門の外に出た方たちだと思えてしっまうのです

ブロガーの彼らから、自戒の言葉や悔い改めの言葉が微塵にも聞こえないのはこの為かも知れません   常に槍をもって敵に向かってくるところ、それが三男さんの所のブロガーだと思います  もう既に、彼らが放つ矢によって777が串刺し状態かもしれません

 七男さんの信徒たちは、まだましかもしれませんが、しかし、御言葉による混乱の火の粉は 避けられないような気がします )


参考記事


赤・天聖経でも、文先生とお母様が真の父母になっていない!! - 平和の主人 血統の主人


『天聖経』・・「人類は、全て『偽りの父母』に出会った」 - 平和の主人 血統の主人


⑤ イエス様を捨てたように・・・文先生を捨てた - 平和の主人 血統の主人

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