平和の主人 血統の主人

まさに、成約時代の毒麦となられたお母様

《 黙示録18章 3-10 節 》

3 地の王たち(幹部たち)は彼女(お母様)と姦淫を行い、地上の商人たち(教会長たち)は、彼女の(高額献金を得た)極度のぜいたくによって富を得た。

7 彼女(お母様)は心の中で『わたしは女王の位についている者であって、やもめではないのだから、悲しみを知らない』と言っている。

10  彼女(お母様)の苦しみに恐れをいだき、遠くに立って言うであろう、『ああ、わざわいだ、大いなる都、不落の都、バビロンは、わざわいだ。おまえ(お母様)に対するさばきは、一瞬にしてきた。

《 ⑦-2 》「死」とは、「第二の死」である・・・高級ブランドで身を固めた幹部たちとは縁がない「第二の死」

このブログは《ほふられた小羊》から許可を得て転載させて頂いています。


「第一の死」= サタン主管圏に陥っている状態。即ち、「霊的死」のこと。これを赤色


「第二の死」= サタン主管圏から神様主権圏に復帰される時の起こる「死」。これを黙示録では「第一の復活」と言っている。即ち、完全自己否定など。「霊的に生きる」こと。これを青色


「肉体の死」これを紫色



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 黙示録の中に、「死」とは「第二の死」であると記されている聖句


2:10

あなたの受けようとする苦しみを恐れてはならない。見よ、悪魔が、あなたがたのうちのある者をためすために、獄に入れようとしている。あなたがたは十日の間、苦難にあうであろう。(第二の死)に至るまで忠実であれ。そうすれば、いのちの冠を与えよう。


2:11

耳のある者は、御霊が諸教会に言うことを聞くがよい。勝利を得る者は、 第 二 の 死  によって滅ぼされることはない』。


20:6
この
第一の復活にあずかる者は、さいわいな者であり、また聖なる者である。この人たちに対しては、第二の死はなんの力(恐れ)もない。彼らは神とキリストとの祭司となり、キリストと共に千年の間、支配する。



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黙示録の中には上記のほかに沢山の「死」に関する、或いは、「死」に類する言葉がたくさん記されている
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 《 黙示録は、一見、不快な言葉ばかりで埋め尽くされている!  》をクリックしてお読み頂ければ分かるように、 黙示録の中に、「死」という言葉が随所に記されており、実に、39ヶ所に登場する。そして、「死」に類する言葉、即ち、「死」「殺す」「飢きん」「そこなう」「苦しみ」「悲しみ」「火」「焼かれる」「煙」「硫黄」「災害」という言葉も数えれば、135ヶ所にもなる。



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この様に、黙示録の「死」という概念は、復活論という原理的な立場から理解しなければ、黙示録全体が不快な預言書に陥ってしまう
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 それではここに、再臨主であるお父様がこのような「生死の概念」を原理的観点から語られた御言葉を2つ紹介する。この御言葉は黙示録解読の助けになっている。

  「天総官 文興進様」  第三章 四 1


ですから、死のうとする者は生き、生きようとする者はどうなるのですか。

「死にます。」

違います。真の父母がいる時に(メシヤを信じて)生きようとする者は生きるのです。

真の父母に従って生きようとする者は生きるのであり、(しかし、統一教会は真の父母に不信し続けた為に)真の父母がいないので、すべて反対にしなければならなかったのです。

(だから、苦労してでも)逆説的に死のうとしなければ、真の父母の行く道、真の父母に侍る位置を探すことはできないのです。霊界も解放であり、地上も解放です。


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 「真の自分を探しましょう」 女性訪韓修 1993.12.19-21


だから、聖書は逆説的な論法の内容で教えているのです。「死なんとする者は死に、生きんとする者は生きる」と言ったのですか、「死なんとする(第二の死を迎えようとする)者は?」

生きる」

生きる! 


統一教会の信者を死ぬような所(第二の死を迎えるような所)に引き込むことが何ですか?

「生きる。」


(第一の死のままで)生きるようにして「自由自在に、安らかにせよ」と言った場合には?

「死ぬ(第一の死)!」

あなたはそれが好きですか? それは嫌でしょう。そうならなければなりません。逆説的な論法をいっているのです。


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「第一の死」と
「第二の死」
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 人間は堕落して「死んだ立場」に立っているが、これを黙示録では
「第一の死」として扱っている。
 そして、この堕落人間が神様に帰る為には、もう一度、「死ななければならない」ということになるが、黙示録ではこれを「第二の死」(黙2:11,20:6)と言っている。



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黙示録に記されている殆どの「死」は、歓迎されるべき言葉
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 このことが理解できれば、黙示録に記されている「死」は不快な言葉ではなく、神様に帰る為に通過しなければならない「第二の死」のことを言っていることが分かる。たとえ、「第二の死」が、一時の辛く耐え難い自己否定の境地を通過することであったとしても、黙示録に記されている全ての「死」は歓迎されるべき言葉になる。


 そして、この「第二の死」の究極が重生の役事である。


 しかし、私を含めた統一食口たちの多くは、神様の国を建設することは賛成するけれど、辛い棘の道には最後まで甘んじきれず、最後の所有権返還という、耐え難い蕩減の道を受け入れることができずに、これに唾をした者があまりにも多かった。

会計巡回師制度がなくなって、地方から中央幹部までが献金の中抜きという悪行のし放題


 また、幹部たちのように、献金や聖本を売ったお金を盗み取って家を建てたり、派手な高級ブランドで身を固めて贅沢三昧に生きたり、これによって公職者たちも高い報酬に特権意識を持ったりと、「第二の死」とは無縁で、「第一の死」に止まっている。

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