平和の主人 血統の主人

まさに、成約時代の毒麦となられたお母様

《 黙示録18章 3-10 節 》

3 地の王たち(幹部たち)は彼女(お母様)と姦淫を行い、地上の商人たち(教会長たち)は、彼女の(高額献金を得た)極度のぜいたくによって富を得た。

7 彼女(お母様)は心の中で『わたしは女王の位についている者であって、やもめではないのだから、悲しみを知らない』と言っている。

10  彼女(お母様)の苦しみに恐れをいだき、遠くに立って言うであろう、『ああ、わざわいだ、大いなる都、不落の都、バビロンは、わざわいだ。おまえ(お母様)に対するさばきは、一瞬にしてきた。

●『祝福家庭と理想天国』1・・迫害時期(1953~1960年)・・「3弟子祝福」「六マリア摂理」・・天宙的(核融合的)勝利基準・・僅かな人々によってなされた

本日のみ言は前回のブログに引用したみ言です。


平和の主人を理解するうえで、大変に重要なみ言です。


「3弟子祝福式」と「六マリア摂理」が如何に重要であったかが分かります。
しかし、「六マリア摂理」は天の摂理の秘事としてお父様だけが知って展開されていましたので、ここでは「六マリア摂理」については「複雑な蕩減路程」という表現で語られています。
「六マリア摂理」が梨花女史大事件となって火を噴いたことによって、これが原因で社会的国家的糾弾に引火することになって、この全てのサタンの力が「3弟子祝福式」「ご成婚式」を壊そうとしました。
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『祝福家庭と理想天国』   第一回目 (三回に分けます)


第六章 ご父母様の聖婚と祝福家庭


  第一節 ご父母様の聖婚と七年路程
  第二節 祝福家庭に対する摂理的意義
  第三節 祝福家庭の価値と使命
  第四節 国際祝福家庭の使命



第一節 ご父母様の聖婚と七年路程


  1、患難と迫害の最高峰になった聖婚式


 一九六〇年にあった先生の聖婚式の背景には、アダム以後イエス様のときまでの四千年期間と、イエス様から今日に至るまでの二千年という歴史過程にあったすべての内容を、蕩減条件を立てて解決しなければならない内容がありました。その行事は世界的であり、天宙的な大きな意味を備えているにもかかわらず、現実的には、わずかな人々によって成されました。



 それを準備するための期間だった一九五三年から一九六〇年までは、想像を絶する迫害の時期でした、その期間には、少なくとも三百六十万名を超す人が反対し、三つ以上の教派と国家が迫害を加えてきました。そのような状況の中で、蕩減条件を立てて勝利の旗を立てたのが、一九六〇年にあった先生の聖婚式でした。その日が統一教会の運命を決定した最初の日でした。



 統一教会の聖婚式は、地上において永遠に記念すべき世界的、天宙的大事件です。世界的に解決すべき縦的な蕩減条件を横的にこの地上で解決する実体として、霊肉ともに勝利の基準を成した日です。(1)



 先生を中心として再創造の役事が起こるようになりました。個人的なヤコブの立場から出発し、闘って勝利した家庭基準が現れなければなりません。それで、解放後十四年目の一九六〇年に家庭の出発がなされたのです。
言い換えれば、イエス様が失敗したのを復帰しなければならないので、長成数に該当する十四年という期間を越えなければならないという結論が出てきます。解放後の一九六〇年は、歴史的な年です。ヤコブも十四年目に家庭を完全に捜し出しました。同じことです。だから、十四年後に家庭基盤を固めたのです。(2)



 先生が出発しようとした三年路程が失敗に帰したので、それを収拾するために満十四年を通じて、一九六〇年度に初めて聖婚の日ももつようになったのです。そのときに、初めてこの地上に神様が願われる家庭が生まれたのです。そのときは、ちょうどイエス様が十字架で亡くなられたのと同様に、キリスト教と政府が一つになって統一教会をなくそうとしたのです。
先生が聖婚式場に出ていく前日まで、警察署に呼ばれていって調書を作成し、警察と闘わなければなりませんでした。イエス様の十二弟子が不信したのと同様に、統一教会をよく信じていた十二弟子のような人々までも反対をしました。統一教会側であった人も反対し、キリスト教も反対し、国も反対しました。ユダヤの国とユダヤ教団とイスカリオテのユダが一つになってイエス様を殺したのと同様の運命に追い込まれたのです。



 一九六〇年四月が、患難と迫害の最高峰でした。もう一歩行くか、行けないか、ここで新しく出発するか、できないか、という境界線に立っていたのです。そのような状況で歴史的な新しい事を成就させたということは、神様に最高の喜びと栄光を捧げ奉った結果になるのです。イエス様が語られた歴史的な花嫁の日を迎えたのです。これが聖婚式です。



 ここから神様を中心として環境を復帰して、急進的な発展をはかり始めました。イエス様は新婦を探し立てられず亡くなられましたが、今、新婦を探し立てることによって、破り捨てられたすべてのものを収拾することができるようになり、本格的に復帰摂理が成されるようになったのです。(3)



 先生の聖婚式を中心とした統一教会の祝福行事は、既成教会をはじめとしたサタン世界から迫害の対象になりました。



 イエス様は、ユダヤ民族とユダヤ教団から追われながらも、祝福の秩序を立てなければなりませんでした。しかしイエス様は、十字架に肉身を出すことによって、そのような祝福の秩序を立てられませんでした。イエス様が立てられなかった祝福の秩序を、先生が立てることによって神様のみ旨を復帰していくようになるや否や、サタンは自分のすべての勢力を総動員して反対し始めました。



 聖婚式をもつ前まで、サタンのすべての勢力は、反対する投書を通して行事を阻止しようとしました。既成教会を中心としてすべての民族的な勢力と国家的な勢力が反対する中で、聖婚式が始まりました。聖婚式は祝祭や慶事ではなく、サタンとの天下分け目の闘いでした。聖婚式が失敗するか、成功するかによって、サタンと神様の勝利圏が交差するようになっているので、緊張感が漂う中でやり遂げられたのです。善悪の気流が交差する聖婚式をもつことによって、神様に栄光を帰することができるようになりました。(4)



 イエス様は愛の家庭と愛の世界を主張されました。ところで、先生の時代に来て初めて、神様の愛を中心とした心情的歴史時代に向かって出発するようになったというのは驚くべき事実です。内的な摂理が外的に展開され、ここから出発を見るようになったのです。これはアダムとエバが祝福を受けることによって、横的な世界が展開されるのと同じです。(5)



 メシヤが来られて迎える新婦は、個人とはいえ個人ではありません。全世界を代表した新婦として中心点で出会うのです。ですから、サタン側は国家の主権を総動員して妨害するのです。メシヤと新婦が出会い、中心を握る日には、サタン側のカイン世界は完全に壊れるので、サタン世界は主権を総動員し、力を総動員してメシヤの家庭を壊そうとするのです。



 宗教も、全部が一つになってメシヤの家庭を支持しなければ、サタン側に移っていきます。支持せず黙っていても、サタン側に移っていきます。ですから、すべての宗教の中心宗教であるキリスト教が支持できなければ、それによって全体の宗教と全体の国家がサタン側に帰するので、サタン側はキリスト教がメシヤを支持できないように、総攻撃をするようになります。



 ですから、メシヤと新婦は攻撃を受ける立場で、全国家が反対する立場で出会うのです。位置を確立して挙げる聖婚式ではありません。歴史にない闘いの場で位置を確立しなければならないのです。先生が一九六〇年度にそのような闘いの渦中で聖婚式を挙げたのを知らなければなりません。(6)



 複雑な蕩減路程を通過し、今まで歴史になかった望ましい夫婦が誕生しました。数千年の間、推し量ることのできない多くの死の境地を克服し、サタンとの息詰まる接戦の末に、初めて神様が願う理想相対が成立しました。長い歴史を通して願ってきた真の父母を、神様がこの地上に探し立てられたのです。そこから、神様の心からの愛によって、尊厳で称賛し得る実体基準としての四位基台が出発するようになるのです。(7)



  2、三弟子を先に探し立てたご父母様の聖婚式


 イエス様には三弟子が必ず必要でした。アダムとエバには三名の天使長がいました。ところが、彼らは互いに、アダムとエバに一体になり侍ることができませんでした。その結果として堕落世界が築かれたので、完成された父母の立場に立つためには、完全に服従し得る天使長的な三弟子がいなければならないのです。
そうでなければ、サタンを地上から追い出すことができません。霊界の三天使長を象徴し、堕落圏内の三時代(旧約時代、新約時代、成約時代)を通過しながら、アベルに従順屈服しないカインの立場を完全に蕩減する人物が必要です。この三人が、旧約、新約、成約に連結されてきた縦的な歴史を一時に横的に蕩減復帰するために来られた再臨主に、完全に従順屈服しなければなりません。(8)



 先生が聖婚式をもつためには、イエス様に反逆した三名の弟子を復帰して立てなければなりませんでした。



 聖婚式のもう一つの目的は、アダム家庭を蕩減する条件を立てるところにあります。アダムとエバは、夫婦関係で堕落しました。堕落は夫婦を通して成されたものなので、復帰は一人ではできません。男性一人では復帰をすることができません。男性一人では救いが完成されません。
女性一人でも天国に行けません。したがって、二人で解決していかなければならないのです。堕落したアダムとエバの立場を復帰し、真の父母の基準をこの地上に立てなければなりません。そうするためには、三天使長のような人物、すなわち三弟子を立てて、彼らを中心として問題を解決していかなければならないのです。(9)



 アダムの代身はイエス様であり、イエス様の代身は再臨主です。そのアベルに従う三名の信仰の子女をもたなければ、真の父母の立場に上がれないようになっています。自分の生死の境を越えて立ち、迫害の真っただ中でもついていき得る孝子になりきれる三人の弟子をもたなければなりません。先生がそのような三弟子を探し立てたのは、一九六〇年四月でした。



 その基台の上で家庭圏を成していかなければならないのですが、ヤコブの家庭のような十二名の子女を基盤にしなければなりません。三名の弟子、三名の息子を中心として、徐々にそのような基準を立てていかなければならないのです。



 アダム家庭の三人の息子、すなわちカイン、アベル、セツの復活体として、相対基準を築き、その約婚(三弟子の約婚)の立場を越えて実体的に父母の立場を決定したのが、一九六〇年の聖婚式です。この聖婚式は、アダム家庭の三人の息子が父母と一体となれず神様の恨みとして残されてきたものを、歴史的に蕩減復帰した重要な行事です。歴史始まって以来初めて神様を中心としたこの聖婚式が、一九六〇年四月韓国で挙行されたということは、世界的な事件であり、この時から新しい歴史の運勢が回り始めたといえます。(10)



 一九六〇年、長成期完成級に三子女を立てました。三子女はペテロ、ヨハネ、ヤコブをも象徴します。(11)



 一九六〇年、先生の聖婚式をもつ前に三六家庭の中で三家庭をまず約婚させ、先生の聖婚式を挙げるや否や三家庭を祝福しました。三家庭の祝福は、イエス様を中心としてペテロ、ヤコブ、ヨハネが一度に神様の理想圏に立ったという条件を立てるためのものでした。それによって、サタンが侵犯しても分立されない勝利的基盤が立てられるようになったのです。(12)



 聖婚式の前に三家庭を立てるのは、イエス様の三弟子が死なずに生きて新郎新婦の理想を立てる立場として、平面的に勝利的基盤を構築する意味があったのです。それは結局、イエス様が死なずに生きて勝利を成していく立場に立つようになったことをも意味します。また、三家庭は、人類歴史のすべての家庭を蕩減する中心家庭になるのです。(13)



 ご父母様を中心として三つの家庭を祝福するので、八人家族になります。この三つの家庭がアダム、ノア、アブラハムを代表した家庭であり、カイン型を復帰した家庭です。ここから直系の子女が出てこなければなりません。またこの三つの家庭は、イエス様の時代に反対した弟子を代身し、再臨時代の子女として立てられたカイン型の人物です。だから、再臨主に侍ることによって、復帰した天使長の立場に立たなければなりません。ですから、三つの家庭は天使長を復帰した型の家庭になります。(14)



  3、父母が責任をもち開拓する時代


 一九六〇年は、統一教会が堕落したアダムとエバの立場、すなわち長成期完成級に上がった年です。その基準を中心として完成期まで上がろうとすれば、七年の期間が必要です。それが第一次七年路程です。完成基準に上がり立てば、神様の直接主管圏内に入るようになります。直接主管圏というのは、神様が私たちの心情と生活圏を直接主管される段階をいいます。(15)



 父母が責任をもって開拓する路程が、第一次七年路程です。先生が、先生の家庭に対して讒訴し得るすべての内外の基準を整理して、家庭を中心として発展しても、心情的な面でサタンが讒訴できないように、完全に決定しなければならない期間が七年路程期間なのです
この期間には、先生とお母様が完全に一つになって世界人類を代表し、分かれた複雑な問題を心情的に総合し得なければなりません。世界をつなぐ心情の土台の上に立たなければならないので、そのようなことをしてきたのです。先生はこの期間にイエス様とイエス様の家庭とイエス様の氏族が行くことのできる道を蕩減復帰してきたのです。その基台の上で神様を中心とした一つの氏族圏を世界的に連結させるために、合同結婚式である祝福行事を開催してきたのです。



 それで、一九七〇年までに国家基準を越えて世界基準を成就させるようになったのです。一九六七年までに国家基準を完全に勝利し、一九七〇年度には世界的な基準まで連結させたのです。言い換えれば、祝福を通し勝利したその伝統に、世界の氏族が従っていき得る土台を立てたというのです。(16)



 統一教会では、堕落しない父母を真の父母といいます。ところが、アダムとエバが真の父母になれず、堕落した父母になることによって、人類には六千年間、闘いの蕩減歴史が残されたのです。それは、父母が誤ったからです。



 その責任は、誰がもたなければならないでしょうか。子供に譲るのではなく、父母がもたなければならないというのです。父母が誤ることによって、個人、家庭、氏族、民族、国家、世界まで讒訴され得る基盤となりました。これを全部父母が蕩減条件を立てて、断ち切っておかなければならないのです。これを断ち切っておく期間が、第一次七年路程期間である一九六七年の終わりまででした。



 そうして、第二次七年路程に入ってからは、皆さんの前にサタンが讒訴し得る道がふさがってしまったのです。それで皆さんは、無事通過圏内に入ってきているのです。(17)



 第一次七年路程は、誰が行かなければならないでしょうか。父母が行かなければなりません。アダムとエバが長成期完成級で堕落したので、父母がその道を行かなければならないのですが、誰を中心として行かなければならないでしょうか。男性なら男性を、女性なら女性を中心として行くのではなく、完全に神様を中心として行かなければならないのです。
どんなにここで祝福家庭の形態を備えても、その家庭の形態は、一人の男性、一人の女性を主とするものではなく、神様を中心としたものでなければなりません。もしみ旨と食い違うようになるときは、互いがどんなに近いといっても、その近い要素を除去し、越えて立ち得る立場に立たなければなりません。この道は、女性的事情や男性的事情を互いが提示して、それを公正な立場で通過させ、行くことのできる道ではありません。完全に天の側に立って行かなければならない道です。



 一人の男性が主体になっていれば、女性は彼の前に絶対的に服従しなければなりません。ここでは男性と女性を中心として、カインとアベルの立場と同じ内容が生じるので、男性がアベル的立場に立てば、カイン的立場である女性は、彼の前に絶対的に服従しなければなりません。ここに異議があってはなりません。異議があれば、それだけ支障が生じてくるのです。神様はこのような役事を今までしてきています。



 先生が経てきた七年路程も、このような過程だったのです。このような過程を経て、初めて実体的な勝利の条件を立てたのです。この七年路程を蕩減条件を中心として経なければならないので、この期間、先生は国家を中心として数多くの民族と対抗し、闘ってきました。また数多くの教団を中心として闘ってきました。


( ※ お父様は「打たせて奪ってくる作戦」「闘わない戦法」をとられるようになったのは、メシヤ宣布以降と見るのが原理的観点です。それまでのキリスト教を失うことによって起こった蕩減路程はサタンとの闘いによって勝利されてきました。)



 ここで勝利の条件を決定し、彼らを屈服させた土台の上に父母の基準を決定しなければなりません。そうした後に、神の日を宣布することができます。(18)



 七年路程を経ていくには、アダムが主体になったのと同様に、お母様は必ず先生を中心として完全に一つにならなければなりません。先生の前に絶対的に服従しなければならないのです。ここには異議があり得ません。
ところで、女性なら女性としての感情もあるでしょうし、家庭においてはお母さんの立場で生じるたくさんの事情もあるでしょう。しかし、その事情は二次、三次的な問題であり、一次的な問題になり得ません。このように先生を中心として一つになるにおいて、一次的な問題には、女性の情緒的な問題などのいろいろ複雑な内容がかかっています。



 これを打開するために、先生が七年間闘ってこの峠を越えてきました。その間、先生は教会のために仕事をしませんでした。皆さんは民族のために外的に闘ってきていますが、その背後の根を造成するのがこの基準です。この基準を決定しなくては、どんなに民族的な勝利の土台、国家的な勝利の土台を立てたといっても、その勝利の土台はそのまま残され得ません。ですから、問題はどこにあるでしょうか。真の父母の土台にあるのです。(19)



 イエス様は自分の親戚と自分の兄弟と父母まで捨てていきながら、この世を救うために生涯を捧げました。それで先生は、七年路程期間に自分の親戚と氏族に対して伝道をしてはならないのです。そのときは、イエス様が父母や兄弟の前に、神様のみ旨どおりに行う者が私の父であり私の兄弟だと言った、そのような心情をもって、出て闘う時です。(20)



 先生の七年路程期間においては、先生の一族が以北で多くの犠牲の代価を支払いました。イエス様の家族が責任を果たせなかったのを蕩減すべき歴史的な内容があったので、サタンによって死の道に引っ張られていくこともあるでしょうし、惨めに踏みにじられることにもぶつからなければならないということを知っていました。



 私が平壌から出てくるとき、わずか一時間ほど行けば両親に会うことができましたが、駆けつけることができませんでした。両親が死の道を行っても、かかわることのできない道、他の氏族を探していくべき運命の道を出発し、南韓に下ってくるようになったのです。誰よりも私を愛したお母さんと、誰よりも私を愛したそのお兄さん、お姉さんたちが、共産治下で犠牲になっていったと見ています。私が愛する家族を捨て、血族を捨て、出会おうと言った人々が皆さんです。(21)

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