平和の主人 血統の主人

まさに、成約時代の毒麦となられたお母様

《 黙示録18章 3-10 節 》

3 地の王たち(幹部たち)は彼女(お母様)と姦淫を行い、地上の商人たち(教会長たち)は、彼女の(高額献金を得た)極度のぜいたくによって富を得た。

7 彼女(お母様)は心の中で『わたしは女王の位についている者であって、やもめではないのだから、悲しみを知らない』と言っている。

10  彼女(お母様)の苦しみに恐れをいだき、遠くに立って言うであろう、『ああ、わざわいだ、大いなる都、不落の都、バビロンは、わざわいだ。おまえ(お母様)に対するさばきは、一瞬にしてきた。

一九六三年 勝利的主管者となろう(一)

第四節 一九六三年 勝利的主管者となろう(一)
一 一九六三年出発と摂理的意義
年頭標語:勝利的主管者となろう(一)
      (一九六三・一・一、前本部教会)

 今年、一九六三年度の標語は「勝利的主管者となろう」です。過去三年間は、人間として相続できるすべての条件を備えなければならない期間でした。しかし、今年からはその段階を越えて万物復帰をする年に入っていくので、今後は継続して同じ標語を使います。
 それで、聖地復帰も必要なので、どのようにしてでも聖地を買わなければならず、いったん買えば絶対に売ることはできません。住むにも聖地の近くへ行って暮らし、死んでも聖地の近くに埋められようとしなければなりません。聖地は血の代価を集めて買わなければなりません。すなわち、人類の父母として来られたイエス様を売った血の代価を払って、買わなければならないのです。
 今から商売をして集めたお金は神聖なお金です。商売するときも、うそをついてはなりません。また、不当な利益を残してもいけません。「いくら出して買ったものだが、いくらもらおう」と、率直に言わなければなりません。利益を三割以上残してはいけません。
 万物の主管者になるためには、まず勝利しなくてはなりません。神様を中心とした勝利です。それが最高の勝利です。私たちの標準はそれです。現在私たちはどんな基準の勝利を収めたのでしょうか。私たちの垣根の圏内において、天地の前で私たちを攻撃してきた戦いが終わっただけです。今は停止状態と同じです。すなわち、後方に来ている立場です。
 これまで私たちについて良いうわさも立ち、悪いうわさも立ちました。これからは準備をして攻勢をかけなくてはなりません。勝利のために歩む期間が今後の四年間です。これまでは防御的な戦いをしてきましたが、今後四年間は攻勢的な戦いをしなければなりません。
 これまで私たちに向けて攻勢をかけてきた霊界と肉界のすべてのものは滅び、私たちは夜のような時を過ぎ、朝に臨みつつ進んでいくのです。
 思想をもったこの地上のどの団体よりも強い信念と目標がなければなりません。そして、その目標のためにお金を使わなければなりません。そのための期間が経済的基盤を築く四年間です。
 今後は、ただ飯は食わせません。神様の世話になってはならないのです。イエス様の血の代価を払わなくてはならないと同時に、先生が歩んだあらゆる苦難の路程に対する蕩減基金も捧げるのが原則なのです。
 今後は言葉から注意して正さなくてはなりません。「ああ、死にそうだ(注:感情が極度に達したときによく発する言葉)」という言葉は使ってはいけません。言葉も、行動も、心情も、サタン世界と違わなくてはなりません。また「観」も違わなければなりません。私たちは常に、生活面においてサタン世界と違わなくてはならず、サタン世界を主管しなくてはなりません。そのような精神で生きなければなりません。少しでもサタン世界に先立たなければなりません。そうでなくては主管者にはなれません。主管者になろうとすれば、少しでも優れていなければなりません。

一九六三年度の重点課題
 教会を離れた人たちに一回ずつ会ってみましょう。そうして心にわだかまっている恨を解かなければなりません。今年は離れていった食口が再び入ってくる時です。
 歴史が複雑になっていくのは、先生の行く道と合わせるためです。四月までが重要な期間です。私たちに任せられた責任と使命を果たさなければなりません。これまでは解怨するために涙を流しましたが、これからは勝利的主権のために涙を流さなくてはなりません。先祖の恨を解くための涙ではなく、世界と国民のための涙を流さなければなりません。再臨主はこの地上、すなわち天使長の世界を収拾しなくてはなりません。地上で霊的、実体的なサタンを整理しなければ、再臨主も息子の位置を復帰できないのです。
 先生の四十年の闘争期間は、霊的、肉的に復帰してくる期間でした。この三年路程の最後の年は、息子の位置に立って三代(アダム、イエス、再臨主)に及んだ悲しみを蕩減復帰してさしあげなくてはならないのです。霊的世界の反映体である地上で、六千年の歴史を三年路程期間で復帰しなければなりません。この期間で、子女復帰から万物復帰までを成し遂げなければなりません。そのためにサタンに讒訴されない基準を立てなくてはなりません。このような勝利の基準を立て、万物の前にまで進み出なければなりません。
 今日、統一の理念は外国にも広がり、日本、米国等全世界に広がっています。韓国にいる統一食口はどれはどかわいそうでしょうか。皆さんを苦労させなくてはならない神様の苦衷があるのです。今からは、世界の伝道を互いが率先してしようとすることでしょう。日本でも、米国でもそうなるはずです。韓国人がしなくても、その国の人々が自分の国、自分の民族を引き受けようと自ら志願しているのです。既に多くの人々が、自分の国の復帰のため、苦痛の道を自任して歩んでいます。私たちは民族、国家を越え、世界を愛したという基準を立てなくてはなりません。
 今後、七ヵ国以上へ伝道に行かなければなりません。皆さんは韓国の中心の先祖となり、復帰の実体とならなければなりません。今年七ヵ国へ伝道に行けなければ、米国の中においてでも七箇所を選び、人を派遣しなければなりません。協会の各部長はソウル地区を分担し、食口に他の地区を割り当てなければなりません。
 本部教会を建築しなくてはなりません。自分のお金で教会を建てられたら良いと考えた人は、建築準備委員になるのです。本部教会は韓国人だけの手で建てなくてはなりません。韓国は本家です。本家は、私たち自らがきれいに整えなくてはなりません。地区長たちは聖殿の新築準備委員にならなければなりません。
 これからは統一教会の歴史をつくり上げていかなくてはなりません。歴史をつくるには家庭と氏族がなくてはつくれないでしょう。お母さん、お父さん、息子や娘もいないのに、どうやってその家の族譜(家系図)ができますか。これまでは統一教会の歴史をつくることができませんでした。けれどもこれからは、統一教会の歴史をつくらなければなりません。この仕事は、韓国にいるある食口たちの仕事ではありません。数多くの民族を代表した仕事として、このような仕事を中心にして歴史を残さなくてはならないのです。

二 既成家庭祝福式と独身祝福式
    既成家庭祝福式(一九六三・二・八、二十六双/四・七、二十七双、前本部教会)
 既成家庭は本来、七年間の聖別生活をしなければなりません。過去にもった夫婦の観念で考えてはならないようになっています。既成家庭自体は天の側から見ると、蕩減復帰すべき立場にあるため、一度否定しなければならないのです。自分の相対なら相対、自分の子供なら子供に対して否定的な立場に立ち、これを清算する過程を経て、新たに祝福を受け、これを吸収し、再び収拾する伝統を立てなければならないのが既成家庭ではないかというのです。
 ゆえに、既成家庭や、新しく祝福を受けた家庭が誇るべきことが何かというと、新しい相対を迎えたということです。既成家庭の夫たちは、新しい妻を迎えたのであり、妻たちも新しい夫を迎えたのです。また、新たに祝福を受けた家庭の夫婦も、自分たちはこの世にはない新しい夫婦であるということを知らなければなりません。このように、「新しい」ということを中心とした伝統の起源によって復帰された既成家庭と、既成家庭でなく新しく祝福を受けた家庭の正常な伝統が連結されるということを皆さんは知らなければなりません。
 既成家庭は、既成家庭でない家庭の前に垣根とならなければなりません。言い換えれば、歴史時代にアベルが犠牲になったことを蕩減してあげられる、家庭的な摂理においてアベルが信じられる家庭とならなければならないのです。過去には違いました。過去にはお互いが反発の要因になったのです。
 けれども今は、相手のことを思うとうれしく、問題があれば互いに訪ねていき、相談もできるのです。相談だけでなく、その家庭のことを誰よりも心配し、保護してあげられる家庭とならなければなりません。なぜでしょうか。家庭としてみれば、兄の家庭と同じだからです。兄の家庭ではないですか。カインはお兄さんです。アベルは何ですか。弟です。
 原理的観点において、先生の家庭を中心として、既成家庭でない新しく祝福を受けた家庭と、カインとアベルの立場で一つにならなければなりません。既成家庭の皆さんは、新しく祝福を受けた家庭と生死を共にする運命で立てられたので、皆さんは横的な面で頼みにすべき家庭なのです。ですから、侍らずしては行く道がないのです。

独身祝福式(一九六三・三・二八、前本部教会、四十一名)
 六十歳以上の年齢で「今はもう、このように高齢なので、嫁に行こうとしても行けないし、妻をもらおうとしてももらえない」と自認する人は、今回の「父母の日」に集まりなさいと言いました。死んだのちにあの世に行き、家庭的な楽園型をつくっておかなければならないのです。これまでの楽園は家庭的な楽園ではありませんでした。相対因縁が決定されていませんでした。天使世界と同じように、みな相対がいないのです。
 それで、この時代において先生がすべきことは、そのような年を取った人たちにこの地上で相対理念を備えさせ、あの世に予約された楽園的な家庭をつくっておくことです。天国は本来、家庭を中心として父母、妻子をみな率いて入っていく所なのですが、それができなかったので楽園的な天国が繰り広げられるのです。ですから、その人々をそこで保護してあげなければなりません。そうして先生が行く時にはと約束しておいたので、先生が行けばこれまでの預言者、烈士をみな呼んで、おばあさんになって死んだ人も霊界ではお嬢さんなので、「おい、このお嬢さんを誰が嫁にもらっていくの」というようにして結んであげるのです。アブラハムおじいさんとか、誰それおじいさんなど、そのような人がたくさんいるのです。そのような人をみな呼び集めて相手を組むべき責任があるかも知れません。それが嫌なら祈祷してあげませんよ。
 地上人と相対を結ぶことができずに死んで霊界に行くとするなら、霊人と相対できる基準の約束でもしてから逝かなければなりません。そのようにして行けば、あの世では本当に申し込みが多いことでしょう。あの世では、早く来てくれたらと、もう首を長くして待つことでしょう。そのようにしておいて逝くべきであって、それができずに逝くようになれば困るのです。統一教会を信仰してあの世に逝けば、恩恵圏内にいると思って誰もかれもが押し寄せてくるのです。ですから有利なのです。
 それゆえ、先生はせっかくならばと、このような責任までもって、六年以上苦労した人たちをそのようにしてあげなければならないのです。共に非難されたりしたので、そのような祈祷でもしてあげるために集まりなさいと言ったのです。しかし、六年以下の人たちは、私は知りません。
 また、六十歳を越えたとしても「原理を学んだので、せっかくなら地上で肉体をもっている人間のほうがどんなに貴いだろうか。実体をもったことがどれほど貴く美しいだろうか。私の顔の皮はこのように老いたとしても、私の心は年老いているだろうか。私にも女性、男性がいるはずだ。おぱあさん、おじいさんがいるはずだ」と言って、おじいさん、おばあさんをもらっていくことができる人たちは祈祷しなくてもよいのです。おじいさん、おばあさんを連れてきて、神様の前で先生から認定を受け、祝福を受けたらもっと良いかもしれないのです。枯れ葉のような人であっても、相対を決めておいてからあの世に逝くほうが、ただ一人祈祷を受けて逝くよりは悪くないというのです。

三 協会登録と財団認可
登録のための準備基盤
 先生はこの三年路程を最初に出発する時、獄中生活のような立場で出発しようと言いました。先生は世界的な迫害を考えます。三年路程中に三つの政権を経て、世界的な患難を体験しなければなりませんでした。自由党政権はアダム型、民主党政権の朴順天はエバ型、そして共和党政権は天使長型を象徴しています。米国は現代のローマであり、韓国は財政的には米国の植民地を免れ得ずにいます。
 統一教会が政府に登録された時、政府では大きな闘争が起きました。その時が一九六三年でした。先生はこのような日が来ることを知っていたので、これに備えた天的な基準を立てなければならないと考えていました。それで外国宣教を準備をしたのです。それは、アベルが束縛されたらカインを立てて、蕩減復帰できる準備をするためです。昔はカインがアベルを殺しましたが、今は、外国を中心にカイン的な祭壇を形成し、アベル祭壇を支え、アベル祭壇を救うことができるのです。そのような世界的な因縁をつくるため、追われ追われながらも、外国に宣教師を送ったのです。
 こういう時であればあるほど、必ず国家的な弾圧があるので、それに備えるための内的な準備をしなければなりませんでした。そのような責任を感じ、米国と日本に宣教師を送り、ドイツにまで宣教師を送ったのです。そうして、私たちの教会の登録が問題視される時には、既に米国連邦政府に統一教会が登録されていたのであり、日本にも登録されていたのであり、ドイツにまでも登録されるようにしようとしたのです。そうなれば、世界民主主義の先導国家である米国でも統一教会が歓迎されているのに、韓国で反対し登録を問題視するようになれば、国家的な恥になるからです。
 そうなれば、政府が慌てざるを得ないし、私たちを侮れないということが分かるようになるのです。このような天的な事情があったがため、皆さんを五千五百人以上動員して地方に送り、啓蒙をさせたのです。皆さんが地方に行き、道知事や郡守、また面長から数百枚以上の表形状をもらったことは、本当に素晴らしいことです。皆さんが血と涙を流す苦労と戦いをしたがゆえに、地方の人々が統一教会を擁護できる段階にまでなったのです。

協会登録(一九六三・五・三一、社会団体第二六一号)と財団法人認可(一九六三・一〇・四)
 復帰摂理はカインとアベルの間の戦いです。それで、事件においては常に、文氏がカイン側から現れるのです。いつも先生を迫害する人は文氏です。家庭的レベルと国家的レベルでも文氏が反対したのです。私たちが政府に登録しようとした時、文教部(文部省)が登録を取り扱ったのですが、その時の文教部(文部省)長官であった文氏が私たちの申請を拒否しました。私たちはそれと戦わなければなりませんでした。一週間後にそれが覆されました。その一週間は七十年、七百年あるいは七千年に該当するのです。
 その当時それが覆されなかったならば、私たちはどのような宗教的な運動もできなかったことでしょう。それは覆されるようになっていたのです。ついに私たちは、一九六三年五月三十一日に登録されるようになりました。
 それでは統一教会はいかなる立場にあるのでしょうか。第三イスラエルという祝福を受け、忠孝の道を受け継げるユダヤ教の立場として復帰されているのです。それゆえに登録証が出たのです。ローマ帝国のような米国にも登録され、ユダヤの国のような韓国にも登録されたのです。
 そして先生が出獄してから八年目に(一九六三年十月四日)財団認可が出ました。一九六〇年から三年は、イエス様の公生涯期間三年を復帰する期間でした。
 しかし先生は喜びませんでした。なぜなら第二次の戦いが残っているからです。第四次まで行き、神様が喜ばれる時、共に喜ぼうと思います。三年路程は先生が行く道です。七年で終えようとしていたのを二十一年で終えようと思います。ですから、今から四年で二十一年は終わるのです。
 この民族はますます混乱に陥っていきます。私たちはその時に備えなければなりません。贖罪の祭壇は統一教会しかありません。四年が過ぎたらこの民族を動員し、世界のために犠牲となり奉仕しなければなりません。そうして涙と血でもって世界を復帰しなければなりません。韓国が問題ではありません。

協会登録の奉献祈祷
(一九六三・六・四、閏四・一三〔閏月:陰暦で見ると、閏年に同じ月が繰り返されることがある。ここでは後の月を閏月と呼ぶ〕、前本部教会、登録自祝会)
 一九六三年間四月十三日、この日をお父様が誇りの日として受けてくださいますように。六月四日は私たちの記念すべき一日でした。父の愛の心情を体恤したことを永遠に万民の前にお祝い申し上げ、全天宙の前に表すことができますように。
 泣いても泣いても尽きることがない、悲しみと喜びが交差するこの日であることを私たちは知りました。神様にあっては褒めたたえられる日であり、サタン世界にとっては審判が下されるべき、民族的な勝利の日、世界的な開拓の日とならしめてくださったことに感謝申し上げます。
 今、世界に散らばっている統一食口は、この日を迎えて喜んでお祝いしますので、父の胸中に積もっている恨をすべて解いてください。子女たちをお集めになり祝福なさるこの日、この子女たちをあなたの息子、娘として召命され、天の主権を立て、天の家庭、天の国民、天の国土を復帰して、父の栄光を享受してくださらんことを切にお願い申し上げます。
 今、私たちは一日を迎えました。この日を新しい覚醒の日として立ててくださり、天の前に私たちが悔しく無念なこの心を、サタンに対して悲しみ同情する自分自身にもう一度再整備する日にならしめてくださらんことを切にお願い申し上げます。
 万世の栄光と、父の玉座から心情で造られた万物、そして復帰した子女が全体の上に共に臨むことができるよう切にお願い申し上げます。
 この日、この登録を中心として許可されたすべてのものを、父の前に捧げますので、どうぞお受け取りください。この地上の真の父母を中心として、四位基台の基準を中心として祝福を受けたあなたの息子、娘が、喜びのこの日をすべてゆだねますので、受けて主管してくださらんことを切にお願い申し上げます。

四 三年路程終結と四年路程出発
三年伝道期間終了(一九六三・六・二〇、閏四・二九、前本部教会)
 先生が一九六。年度に聖婚することにより、初めて個人が定着するようになりました。一つの基点を立てたのです。それはいかなる基点でしょうか。モーセが紅海を渡る前の三日期間に立てたのと同じ基点なのです。復帰歴史のすべてがきょうまでの三年間に入っています。この期間を終えることによって成し遂げられた四位基台を中心として、陰暦四月十三日に協会登録の宣布式をもつことになったのです。
 皆さん、四月十三日に私たちは宣布式をしましたね。陽暦だろうが陰暦だろうが、閏四月だろうが、関係ありません。今後その日を全部四月十三日としてお祝いしなければなりません。ですからそこに歴史的な因縁がすべてあるのです。こうして今年、この三年の峠を中心として、皆さんの七次伝道期間と共に、先生が計画したすべてのことに一段落がつくのです。
 今、この三年期間を経て、私たちはどのような新しい方向を開拓していくのでしょうか。この三年間は民族的な基盤を中心として、この民族が私たちの行く方向と同じ方向で生活や活動をしなくては、この民族が救われず、この三千里半島(韓半島)に天国が成し遂げられないことを見せてあげるための試練と戦争の期間でした。しかし、今から私たちが行くべき道は韓国を主体として、世界が行くべき方向を提示しなければならない、より大きな使命をもった新しい道であるということを皆さんは知らなければなりません。
 きょう、統一教会の信者たちは、三年間を通して第一次勝利的基準をもったといってここで喜ぶのではなく、これからは、第一次勝利を盾にして第二次勝利的基盤を私たちの力で、私たちの手で、私たちの体で築かなければなりません。そうでなくては、今後民族の前に許される世界的な運勢を引き込んであげられないのです。今後この民族の前に許される天宙的な恩恵の因縁を結ぶことができないのです。
 きょう、三年の最後の日を迎えて、皆さんはいかなる立場に立たなければならないでしょうか。私が越えていくこの一つの分水嶺において、除去される、歴史的な恨の陰の中で消えて滅びる者となるのか、それとも、新しい朝の日ざしを浴びるため、その峻嶺(険しい山)を越えて新しい天地を見渡すことができる、新しい希望の中で繁栄し、最上の栄光を受ける者となるのでしょうか。このような瞬間がこの期間であることを皆さんは知らなければなりません。
 皆さんが「三年間苦労する」というこの基準のもとで動いたので、皆さんは今残っているのです。それゆえ天が役事できるのです。もし、統一教会がこのような作戦を取らなかったとすれば、きょう皆さんは、勝利の感謝の祈祷、あるいは賛美を天の前に捧げることができなかったのです。
 皆さんがそこで苦労したので、その苦労、血のにじむ苦難の路程を自ら経験して歩んだ人が、この国、この民族のため、万民に対して涙したそのような道を歩んだことを吐露するならば、最高から最低までが涙し得るのです。讒訴できないのです。どんな学者、どんな権勢をもった人でもその場では涙を流すのです。世間から見ればどんなに足りないそのような微々たる存在であっても、その微々たる存在が国のために忠誠を尽くした、国のために苦労したその心情の前には屈服せざるを得ないのです。これを残そうというのです。
 今から三年半だけ苦労しなさい。前の三年、後の三年がある理由がここにあります。今年、閏四月があるのも意味があるのです。涙と共に神様の苦痛を相続しなければなりません。

百二十四家庭の祝福式と献貢式の延長
 本来は、皆さんが知っている今回の成婚式と献貢式は四月にするものなのです。すべて四月に終えなければならないのです。
 ですから、きょうなぜ集まったかというと、これをすべて終えることができなかったので、天の前に延長させる式をしなければならないからです。そうするには、天の全体的な条件を代表した皆さんの家庭の中に、天地を先祖的な面でくくり、因縁を立て、実質的な基準において延長させるという基準を立てて越えなければならないのです。そうしなければ問題が大きいのです。
 それで、先生は三日前からそれに対して祈祷しました。三日前から祈祷したのです。三日の間にどんなことが起こるか分かりますか。三日間に何か事が起きて、間違いが生じ、最後の日、ここに参席できないかもしれないのです。それゆえ三日前に象徴的な条件を立てておくのです。
 そしてまた、今回も天の役事です。今回の四十日も、なぜか閏四月がありますが、それはみな役事なのです。イエス様の復活四十日と同じなのです。ですからこの四月圏内において、統一教会に反対したことをすべて許してあげるのです。もう一度収拾して、イエス様が復活して役事したように、すべて許してあげる基準を立てて越えていくのです。
 本来皆さんがここに参席し、この道を越えて、この峠を越えていくには、個人では越えることができないのです。祝福という二文字をもって、家庭的な因縁を備えずしては越えることができません。それで今年に入ってからは、先生は既成家庭も祝福してあげ、それからおばあさん、未亡人まで祝福してあげ、未婚の男性と女性も祝福してあげ、みな祝福してあげるのです。それは何かというと霊界と肉界を接触させるのです。
 それから中間にいる男やもめもみな結婚させてあげるのです。すべての代表者を総合して越えていくことができる道を完結させておかなければなりません。それで今回、男やもめ、未亡人も全部結婚させようというのです。
 このようなことをするために聖地を決定するのです。聖地を決定してから苦労した息子、娘を表彰するのです。その表彰を受けた息子、娘は神聖なる人々です。サタン世界において代表的な型を選び出して、彼らの功労の基台の上に祝福の基準を立てて越えていくのです。

七年路程の前半三年と後半四年
 イエス様が三年の公生涯路程を歩んだのと同様に、公生涯路程を歩まなければなりません。公生涯路程を歩む時は何を宣布しましたか。新約のみ言を宣布しました。それでは統一教会の信徒は何のみ言を宣布しなければならないのでしょうか。成約のみ言を宣布しようというのです。こうして、このみ言に従って三年公生涯路程を経て、神様が加護され、喜ばれる条件を立てて初めて神様の前に進み出ることができるのです。
 一九五九年十二月四日に渡米許可が下りましたが、皆さんのために行けないでいます。三年前から米国へ行けるパスポートを財布に入れて歩きながらも、まだ行くことができないでいるのです。皆さんのためです。私が出発したら皆さんがかわいそうなことになるのです。この地でなすべき責任を果たせなかったので、三年の期間をかけて命懸けでなしていくのです。
 三年という期間はサタン分別期間です。三数と四数はサタンを分別する数です。七数を蹂躙されたことが天地の恨です。人間始祖の堕落により神様は息子、娘を失ってしまいました。それで、三数は息子、娘を復帰するための蕩減数であり、四数は万物を復帰するための蕩減数です。ゆえに、この三年間は先生が命を懸けて、世界に散在しているサタンたちと、天上天下に散在している数多くの悪霊たちと、世界にいる人類と対決する期間なのです。
 今後四年間は個人的な万物復帰の期間です。神様は聖殿を建てることを最も願われます。がむしゃらにお金も稼がなくてはなりません。北韓から下ってきた避難民が、約十年目にして韓国の経済圏を握りました。北韓の人が十年目にして経済圏を握ったとしたら、統一教会は何年で経済圏を握るか見ていなさいというのです。私がお金をもうけるのは、世界のかわいそうな人々を抱いてあげるためであり、彼らに施してあげるためです。私が学ぶのは、サタン世界の鉄条網を切る秘密を彼らに教えてあげるためです。
 イエス様がイスラエル民族を掌中に収めることができなかったので、今から私たちは四年路程を歩み、それを蕩減しなくてはならないのです。ゆえに、因縁だけあっても駄目です。土地と主権を復帰しなければなりません。私たちは打たれて奪ってくるのです。今は民族創建のために進むのです。これからの四年で二十一年が終わるのです。
 朴政権との第二の闘争が残っています。また、三千万(韓国民族)を導く闘争が残っています。その次に、民主友邦国家が頭を垂れて従うところまでいかなくてはなりません。そうでなければ、新しい運勢から審判されるのです。

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