平和の主人 血統の主人

まさに、成約時代の毒麦となられたお母様

《 黙示録18章 3-10 節 》

3 地の王たち(幹部たち)は彼女(お母様)と姦淫を行い、地上の商人たち(教会長たち)は、彼女の(高額献金を得た)極度のぜいたくによって富を得た。

7 彼女(お母様)は心の中で『わたしは女王の位についている者であって、やもめではないのだから、悲しみを知らない』と言っている。

10  彼女(お母様)の苦しみに恐れをいだき、遠くに立って言うであろう、『ああ、わざわいだ、大いなる都、不落の都、バビロンは、わざわいだ。おまえ(お母様)に対するさばきは、一瞬にしてきた。

正しい認識が必要 ☞☞ 『赤・天聖経』の「自体自覚による堕落」から見えてくる・・・文先生の堕落問題


2022.9.28
この記事には、根本的なミスがありました。
もう一度、やり直しです。


 これまで統一教会は、文先生に対して完全なアダム、サタンとは全く無縁な真の愛を持たれた完全無欠のアダム、としてのみ理解してきました。当然のように、それはお母様に対しても同じように理解してきました。これを簡単に要約すれば、私たちは文先生とお母様に対して(子女様に対しても)神格化してきたということです。


 この神格化によって、特に、真の父母宣布の失敗以降の御言葉が理解できなくなってしまいました。つまり、完全無欠のはずの文先生と、サタンが侵入した真の父母宣布以降の御言葉が一致しなくなってしまったのです。
 つまり、神格化された文先生と、真の父母宣布の失敗により、洗礼ヨハネの立場からメシヤの位置に上がることができないでおられた時の文先生の御言葉の間に、交わることができない隔たりと真逆の現象が生まれてしまったのです。


 あくまでも、真理は一つです。しかし、神格化された文先生は私たちからすればメシヤの位置にあり続けたことになっています。しかし、実際は、真の父母宣布にサタンが侵入した為、メシヤの位置に上がることができない文先生になっていたのです。その為、それ以降の御言葉が私たちが持っていた摂理観と甚だしい食い違いを起こしていたのです。
 その為、家庭連合全体が、摂理的な御言葉の総観が理解できなくなり、都合的に、部分的に解釈しているのです。この為、三つに分裂している家庭連合では、どちらも、徐々に、統一原理と御言葉から離れて行ってしまう危険性が大きいのです。既にそうなっていると思います。


 黒・天聖経も赤・天聖経も・・・・、1952年以降の御言葉が、下記の御言葉に同期しているのです。



赤・天聖経 

  第四篇 第二章 第二節 35 


35 男性は女性の、女性は男性のために生まれたのですが、自体自覚ではない他我自覚をして、自体自覚が再認定されれば、二人の所有権と勝利圏が備わるのです。しかし、(文先生とお母様が)相対圏の二人の価値を融合させる前に、自体自覚をして行動に出てしまったのが堕落です。



(これは、六千年前のアダムとエバの堕落のことを言っているのではありません。それにはあてはまらないのです。


これは、文先生の成さなければならなかった事実蕩減という、自らの責任から成さなければならないことを言っているのです。


文先生にとっての「自体自覚」とは何であったのか?


それこそが「生きんとする者は死に、死なんとする者は生きる」という立場に立たれた文先生が、事実蕩減であったアブラハムによるイエスの典型路程」と「妾摂理」という、堕落につながる「自体自覚」先にあったということです。この堕落は、六千年前の堕落とは全く意味が異なるものです。


六千年前の堕落は神を裏切った堕落であったのですが、文先生の「自体自覚」による堕落は、蕩減上、自らの責任で神様に帰るための堕落であったのです。つまり、洗礼ヨハネが失敗した為、六千年の蕩減をやり直す為に、メシヤであられた文先生が「死なんとする者は生きる」と語られていたように、たとえ、サタンの僕となったとしても、避けることができなかった事実蕩減の道での堕落であったということです。


この立場で、文先生はほとんどの御言葉で、ご自身を「アダム」として、「人類始祖」として語れているのです。


これが分からなければ、御言葉の無力化は避けられません。しかし、これを知って読まれれば、下に語られているように、無力に陥ってしまった神様と、その神様を解放されるために歩まれる文先生のお姿が分かるようになります。そうすれば、私たちの心が、再び、神様と永遠につながるようになり、二度と神様から離れられない私になります。)



(以下も、文先生のことが語られています)



なぜそれ(自体自覚をして行動=堕落)によって、神様がこのように手をつけられず、無力になったのでしょうか。(先生の)堕落というのが、なぜそれほどまでに深刻かというのです。善悪の実を取って食べたのなら、なぜ下部を覆ったのですか。血を汚したのです。血を汚したというのは生命を汚したということであり、生命を汚したというのは愛を汚したということです。天地大道の神経器官になるべき人間が、未成年期に堕落しました。誰が女性(お母様)を奪ったのですか。僕である天使長(摂理的中心人物である洗礼ヨハネ的人物)が、神様の娘、未来においては神様の妃になることができ、神様の外的な体になることのできるエバを奪ったというのです。(文先生の自体自覚によって)血統を取り替えたのです。(文先生がお母様を天使長的人物に差し出された・・・それこそが「アブラハムによるイエスの典型路程」であり、そこから「妾摂理」という事実蕩減が始まった??)



(真の父母宣布の失敗以降の家庭連合の宿命・・・これが現在の分裂している家庭連合の姿です)


36 サタンは、自体自覚を中心として、すべてのものを自分に結びつけようとします。宇宙は全体のためになることを中心として大きくなることを願うのですが、これと反対に締めつけられるので、窒息するしかないのです。嘆息と怨恨の落とし穴に落ちていくのです。理論的にそうです。否定する道理がありません。




(文先生の「自体自覚」による堕落とは…、「アブラハムによるイエスの典型路程」と「妾摂理」という事実蕩減によっておこったことです)



このような論理を拡大するとき、エデンにおいてどのように人間が困難な立場になったかというと、堕落したからです。堕落は自体自覚です。自体自覚をして堕落したので、私たちは自分を否定しなければなりません。自分の家庭(中心家庭)から氏族、民族、国家、神様のみ前に行っても、「私は神様の息子ではありません」と言わなければなりません。




(六千年前の堕落は未熟であった自由意志によって、自由意志があるため、未熟な自由意志がサタンに蹂躙されておこったことです。しかし、文先生の堕落は自由意志ではなく、「自体自覚」であったということです。つまり、文先生の判断で堕落した立場に立たれたということです。それが「アブラハムによるイエスの典型路程」であり「妾摂理」であったのです。)


37 (サタンの僕になった文先生の)堕落は、自由意思によってではなく、自体自覚によって起きました。 環境的に与えられた条件を忘れ、自分だけを中心として自体自覚をしたのです。全体が和動するのを無視し、全体の主体と対象の連体的関係を無視してしまい、個別的関係において連体関係の理想を占領したので、盗賊だというのです。それがサタンです。創造理想の大宇宙の連体的関係の愛の圏を、個人を中心として垣根を抜け出して支配したということは、神様までも無視してしまったということなのです。


(六千年前の堕落の責任はアダム自身にあるため、神様は介在出来ない。そのため、この責任全体を文先生の責任において完了させなければなりませんでした。結果として「神様までも無視してしまった」ということになった)

×

非ログインユーザーとして返信する