定義 「アダムとエバ」とは ☞☞ 『六千年前のアダムとエバ』のことを言っているのではない
2024.10.20 補筆
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天聖経に帰りましょう!!
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下記の御言葉をお読みください。
文先生が語られている「アダムとエバ」とは『六千年前のアダムとエバ』のことを言っているのではない。これを天聖経は明確に定義している。
この観点を捉えて「アダムとエバ」を「文先生とお母様」として御言葉を読めば、成約時代の摂理的難問が解けるようになり、他の難問までもドミノ式に解けるようになります。

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「アダム」「エバ」の定義が分かる御言葉
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黒・天聖経
真の神様 第二章 三 1.
アダムとは何でしょうか。
神様の内在的性稟の半分を実体として展開した表示体です。
エバは何でしょうか。
女性の性稟を実体として展開した表示体であり、表した存在です。
表したと言うとき、(注)表したということは実体をもっている表示体であるということです。表れる前に、表れていない動機があって表れたということです。その表れていない動機が何であるかというと、私たち統一教会では無形の実体である神様です。このように見るのです。
(注)
「表したということは実体をもっている表示体であるということです。」この言葉こそ、「アダム」とは実体を持っている文先生であり、「エバ」とは実体を持っているお母様になるのです。
ですから・・・、御言葉で第一アダムをアダムと呼ぶ場合、「第一アダム」とか「六千年前のアダム」と表記されているのです。
また、イエス様をアダムと呼ぶ場合は「第二アダム」とか「後のアダム」と御言葉では表記されています。
しかし、文先生だけはアダムと呼ぶ場合、「第三アダム」と呼んでもいいのですが、文先生はご自身を「アダム」として直接語られています。
たとえ天聖経に「堕落したアダム」とあったとしても、これはすべて文先生がご自身の堕落を語られているのです。
これによって何が変わるのでしょうか。
それは原理と御言葉が矛盾することなく、原理が一層高いレベルに昇華し、どちらも、理路整然と整合するようになることです。
文先生とお母様の姿をこれまで神格化されてきましたが、それとは全く違ってきます。そして、そこから見えてくるのは文先生とお母様の実体蕩減のすさまじさです。言葉では表せない文先生とお母様お二人の悲しみ、苦しみ、恨がお互いに向き合って浮き彫りになります。
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赤・天聖経
第一篇 神様 第三章 第二節
21 「アダムは神様の実体であり、体は神様の聖殿だ」と言いました。