平和の主人 血統の主人

まさに、成約時代の毒麦となられたお母様

《 黙示録18章 3-10 節 》

3 地の王たち(幹部たち)は彼女(お母様)と姦淫を行い、地上の商人たち(教会長たち)は、彼女の(高額献金を得た)極度のぜいたくによって富を得た。

7 彼女(お母様)は心の中で『わたしは女王の位についている者であって、やもめではないのだから、悲しみを知らない』と言っている。

10  彼女(お母様)の苦しみに恐れをいだき、遠くに立って言うであろう、『ああ、わざわいだ、大いなる都、不落の都、バビロンは、わざわいだ。おまえ(お母様)に対するさばきは、一瞬にしてきた。

『(文先生が)救い主でないこともあります。(1959年 御言葉)

 下記の御言葉【A】1959年のものです。
皆さんは、この御言葉の真意が霞みなくすっきり理解できますか?


【A】


文鮮明先生のみ言集 訓教経(上) (2000年書籍) 


09.神様の競走場に立った人間  1959.8.9

      (韓国前本部教会 『文鮮明先生み言選集第七巻』)



◆神様が誇ることができる息子、娘になるには


 終わりの日(再臨時代)に、このような最後の修道の道を走っているランナーがいるとするなら、そして最後の優勝を願って走るランナーがいるとするなら、その人(文先生)は覚悟しなければなりません。


(※1)自分たち(統一教会の信徒たち)が信じている教祖(文先生)が救い主でないこともあります。


最後には実力戦をしなければなりません。

(※2)なぜなら、救いの摂理が終結していないからです。


歴史的な神様の競技場で、すべての競技が終わらない限り、そしてすべての競技が終わって神様が賞を与えない限り、戦いは続きます。





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(※1) ➡ 『自分たち(統一教会の信徒たち)が信じている教祖(文先生)が救い主でないこともあります。』


  理由 ➡ (※2)救いの摂理が終結していないから
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 このブログで、777はこれまで、文先生が堕落した立場に立たれていることを御言葉を根拠として多数取り上げてきました。この為、この記事を読まれた皆様の中には、「777は文先生を再臨主に認めたくないんだ」と思われているかも知れません。

 しかし、それは全く違います。


 文先生は、イエス様と完全に一つになられたお方、再臨主です。ただし、文先生は、1945年のキリスト教の不信の失敗により、再臨主の位置から、神様に別れを告げ、僕の僕の位置に立たれたのです。僕の僕の位置、これが何を意味していたのか、原理講論に沿って理解しなければ文先生を語る資格はありません。


 そして、文先生が七年間(945-1952)の苦難を勝利されて取り戻した立場が、メシヤの位置ではなく、洗礼ヨハネの立場を出発することであったのです。分かりますか。その御言葉が上の1959年の【A】です。


 あくまでも、私たちが見ていた1952年から1992年までの文先生は、40年サタン分立路程路程をもって、イエス様と同じように洗礼ヨハネの使命を全うしなければならない祭司長の立場に立たれていたのです。


 私たちが信じてきた「文先生=メシヤ」というのは、「統一教会的メシヤ」であり、「祝福家庭的メシヤ」であり、「私の個人的なメシヤ」であったのです。


 私たちが勝手に描いていたメシヤ観が、文先生を神格化させたのです。実際の文先生の40年サタン分立路程路程には非法の蕩減路程があったことを語られています。その非法を直接見た日本の会長たち、幹部たち、12双、777双たちの文先生に対するメシヤ観が虫食い状態に陥ったことは、間違いないことです。もちろん、韓国幹部たちはそれ以上に躓いていたのです。


 神もサタンも認める再臨主とは、1945年の時にキリスト教の前にあらわれた文先生であり、しかし、これが失敗して40年延長し、1992年に世界基準で顕現された文先生であったのです。これも失敗しました。


 世界基準の勝利権を勝ち取った文先生から、洗礼ヨハネの立場になるお母様が教主(権)を伝授され、経済権と人事権までも与えられました。
 しかし、お母様は、二千年前の洗礼ヨハネと同じ失敗を犯します。つまり、お母様が肝心の文先生に対して、再臨主として証はしたものの、経済権、人事権を再臨主に返還(所有権転換)できず、「絶対信仰」「絶対服従」を全うできませんでした。



 残念ながら、お母様は経済権と人事権に執着してお父様に変換できなかった為、『真の父母宣布』は証だけに終わりました。そのため、世界的統一教会と世界はサタンの侵入を招き、今もサタンが侵害し続けているのです。1992年から2022年までの30年間、この期間の統一教会と世界を見れば一目瞭然です。


 再臨時代の第一次摂理が1945年であり、これが失敗して第二次が1992年でした。しかし、再び二次が失敗し、三次父母も失敗して、第四次アダム圏時代を迎えているのです。そのため、文先生は、晩年に至っても、「再臨主が来る」ことを語られ、「彼は再び第三のアダムとして来られる」と語られていたのです。



 上の御言葉に合致する別の御言葉
いまの時代は、第四アダム、つまり、再臨主が再び臨まれる時代圏 - 平和の主人 血統の主人

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