平和の主人 血統の主人

まさに、成約時代の毒麦となられたお母様

《 黙示録18章 3-10 節 》

3 地の王たち(幹部たち)は彼女(お母様)と姦淫を行い、地上の商人たち(教会長たち)は、彼女の(高額献金を得た)極度のぜいたくによって富を得た。

7 彼女(お母様)は心の中で『わたしは女王の位についている者であって、やもめではないのだから、悲しみを知らない』と言っている。

10  彼女(お母様)の苦しみに恐れをいだき、遠くに立って言うであろう、『ああ、わざわいだ、大いなる都、不落の都、バビロンは、わざわいだ。おまえ(お母様)に対するさばきは、一瞬にしてきた。

【寄稿】師観ブログへのコメント(生意気なコメント お許しください)

先輩にあたる師観さんのブログに勝手ことをコメントして、迷惑しているかもしれません。言いたい放題、生意気なコメントですから、「バカな777双でない777」と思っておられると思います。



それでも、私としては、声をあげている師観さんのブログを読んでいる一人ですので、お許しください。感じたことは正直に言った方がいいと思ってコメントしています。
師観さんは先輩家庭の代表的なお方であると思っていますから、ご寛容に包み込んでください。



それでは本日の記事、参ります。本日は師観さんのブログを下記に取りあげました。



このブログのタイトル「 前半の教会と、後半の教会は全く別物」を私なりに変更すると・・・・、


 『師観さんの信仰告白・・・前半の信仰と、後半の信仰が別物になった』


つまり、教会が変わったのではなく、変わったのは師観さん自身だということです。その変わってしまった人間たちばかりが集まったために、教会が変わったように思っている側面もあるのではないでしょうか。


私は、文先生が変わったわけではないと言いたいのです。変わったのは、文先生を信じて付いていった先輩家庭たちであり、私だったということです。私たちが文先生に対して不信し始めた為、私たちが自らの存在意義を持たせようとして、変わった自分を正当化し、私たちが人生を捧げたはずの文先生の内情を何も知らずに、今もって石を投げ続けているのだと思います。


 上の師観さんの記事に対してお叱り覚悟でコメントしました。そのコメントにだいぶ手直しをして本日の記事にしました。


開拓時代の良き証し・・・

本日の記事は、師観氏の開拓時代と言える時の体験談ですね。素晴らしいです。先輩たちは大方そのような体験をしていた為、私はその先輩たちの後に付いて行ったのだと思います。もちろん、文先生の存在と統一原理もありました。


しかし、よく考えれば、はやり、先輩たちの純粋な体験的な証しは自信に満ちていましたから、後輩の私にとっては「私も続こう」と希望の灯火になっていました。本当に懐かしいです。

しかし、ほとんどの祝福家庭は、特に、1992年の還故郷以降、統一教会の変遷に嫌気がさしてしまったのだと思います。私自身もそうでした。還故郷と重なるようにして、霊感商法問題が毎日、来る日も来る日もマスコミで取り上げられました。これでは、親戚に、両親に、兄弟にどんな顔をして帰ることができるというのでしょうか。正しいことにだったら迫害されても生き甲斐を持てるのでしょうが、道義的問題だったのですから、上げる顔がありません。


こともあろうに、ちょうどこの問題と重なるように、文先生が真の父母宣布をしたのですから、その意味も価値も分からず、「何を今さら」と内心では嫌気がさして興ざした心境でした。

統一教会の存在自体が社会悪とまで言われ続け、サリン事件を起こしたオウム真理教以下、ヤクザ以下とまで揶揄されてしまったのです。そのため、私も、誰一人として誇りを持って還故郷した者はいませんでした。


今にもエンストする寸前の車に子供たちを乗せて帰ったことを今も覚えています。故郷の父、母、兄、親戚の目を今も忘れることができません。


しかし、私は誓ったのです。

毎日が、とてもつらく悲しいことでしたが、恨みをもって出発してはならないと・・・。全てはお父様が通過された道を歩くことができると思って、泥道に足を取られながらの日々が続きました。

自立の道ができたことから・・・、

お父様を捨てることならいつでもできる。その前に、成すべきことをしなければならない。お父様を捨てるのか捨てないのか、捨てるならその理由は何なのか?捨てないのならその理由は何なのか?聖和以降、七年間でこれを総点検し、最終判断をしなければならないと思い立ったのです。

前の三年は、一日中、御言葉漬けの日を多く持ちました。統一原理は暗記するほど学んだとしても、統一教会の運動家になっていた私は、御言葉が分からないことばかり、知らなかったことばかり、読めば読むほど、新たな疑問が次から次に湧き出ることばかりでした。

後の三年は、御言葉の検索から、これ等の疑問が次から次に解放の扉が開いたのです。今も、その解放されたことをさらに確信となるものに出会う日々です。この感動は言葉では表せません。これまで責任者であった先輩から聞いてきた文先生像が全く真逆になってしまったのです。どんでん返ししてしまったのです。


それまでは、聖和以前は、統一教会に嫌気がさした原因は文先生にあると決め込み、社会悪と同義語となってしまった統一教会にはまったく希望を持てませんでした。統一教会は終わった・・・、と何度も自分に言い聞かせていました。


しかし、一方で、自分の感情に任せて判断することはいけないと思い、ウエブから、一念発起で五万ページにもなる御言葉をパソコンに収集し、文先生が使う言葉一つ一つの定義(性)を検索機能を使って調べ上げました。

その結果、まだ道半ばですが、ほぼ、重要と思われるものは定義付けが完了しました。

この結果、皆さんには理解できないと思いますが、文先生の生涯は不変であり、御言葉の全ては定義性による厳密さがあり、文先生の生涯に渡って、完全な一貫性をもって語られていたという結論に到達したのです。毎日、毎日がため息の連続でした。誰に相談したって誰も受け入れられないからです。


この後、私は、「文先生に問題あり」と論ずる者がおるなら、それは御言葉に対する無知からくる、文先生に対する不信からくるものであと言いたいのです。


文先生がメシヤであったのなら、信頼を失った師弟関係にはいかなる理由であれ、良き結果は生まれないと思います。あくまでも、自分自身の問題として理解し、すべてを自分の成長の肥料として受け入れ、自己否定の連続であっても、苦しく悲しいことがあっても、その上で、残された人生を、「文氏の問題」「統一教会の問題」としてではなく、自分の問題を解決することにアプローチすべきだと思うようになったのです。


文先生がメシヤでなければ、こんなことを思う必要がないのかもしれません。しかし、メシヤであるというのなら、どのような御言葉であろうと、躓くような御言葉であろうと、その時の摂理的環境を調べ上げて真価を問わなければなりません。


なぜ統一教会が変遷したのか?

自己点検をなした後、なぜ統一教会が変遷したのか?これを統一原理と膨大な御言葉のから点検をして、文師の価値を総点検してほしいのです。やり直ししてほしいのです。(生意気ですみません)


開拓時代を歩まれた大先輩たちは、西川先生に対して特別な心情を持っておられることは知っています。文先生の前から消えていった西川先生を慕う気持ちは分かりますが、西川先生は原点ではなく、原点は文先生のはずです。


もう一度、文先生をメシヤとしての位置づけを守り、キリスト教の不信によって洗礼ヨハネの立場に立たれた文先生でした。堕落した立場から再びメシヤの位置に立たれた文先生であったとして、そのメシヤが洗礼ヨハネの立場の時、問題であったと思うような御言葉と非法的な行動があったとしても、その真意が何であったのか、どうしてそうなったのか、何が問題であったのかという観点で掘り下げて考察してほしいのです。この結論を見ずして、不信の石を文先生に投げつけるのはやめたほうがいいと思います。


もう一つ、

なぜ、反日ではない文先生の御言葉が反日的になってしまったのか?それはあくまでも現象面のことのはずです。つまり、弟子たちから不信を受けた為、文先生が外的に死んだ立場に立たれていたのです。その為に、御言葉と現実に乖離と錯誤が起こってしまった。そうではありませんか。

なぜそうなってしまったのか。不信を受けたため、原理講論の再臨論までも、後々、反日者と誤解される立場に立ってしまったのです。どうして、そんな、文先生は間違いであることを弟子たちから指摘されながら、修正せず、その間違いをそのままにした再臨論になってしまったのか??何が原因なのか??原理的観点から解明してほしいのです。その答えがあるはずです。絶対にあるのです。


また、何故、家庭連合が今日のような姿になってしまったのか?イエス様の時代と同じ軸で、文先生を守らなければならなかったように、メシヤを守る立場で問題を洗い出してほしいのです。

つまり、イエス様時代と同様に、人間の責任分担の失敗により、文先生の何が変わったのか?(私は変わったのではなく、ランクアップしたと思っている)

しかし、この考察が不可能に陥っているのです。何故か。それはみんなが文先生に不信してしまったからです。


変わったのは、信仰の私から不信の私になったことです。だらか、反日にしか原理講論の再臨論が読めないのです。ここにたどり着く理由を原理から探し出さなければなりません。これがまず最初に取り組むべき本質ではないかというのです。師観さん、絶対にあきらめてはいけないのです。答えは必ずあるのです。


韓国とは・・・

1960年代に語られていた韓国とは、弟子たちが一体となればそのまま『エデンになる国』だったのです。本来は、エデンが韓国だったのです。そうなれば、御言葉と現実に錯誤はなかったのです。

先生は、その『エデン(内的第三イスラエル・弟子たち・祝福家庭)』を死ぬまで、これを韓国と言っていたのです。何故なら、祝福家庭を軸として国家復帰、世界復帰をスタートしたからです。


しかし、一緒にスタートした「韓国=エデン(内的第三イスラエル・弟子たち・祝福家庭)」となるはずだった祝福家庭は、みんな離れ去ってしまって、先生お一人が「韓国=エデン」の象徴となったのです。

そして、文先生は最後まで、たったお一人、孤高に、死を覚悟して「韓国=エデン=文先生」を貫かれたのです。文先生は変わっていません。八段階の復帰の階段をランクアップしたのです。旧約、新約、成約とランクアップしたのです。ですから、御言葉の質が違ってくるのです。六千年の蕩減を歩まれたことの、これが本質です。


日本とは・・・

そして、日本はキリスト教の失敗から摂理的悪の出発国になっていたのですから、難しいことですが、代表的12双、777双がキリスト教の不信を身代わりになって悔い改めて挽回する立場になっていたのです。

言葉では簡単ですが、12双777双の先輩家庭の方たちは、文先生のために、絶対信仰を全うすれば、良かったのです。そうすれば、不信して失いつつあった韓国が再びエデンとして活路が開き、文先生の道が開けたのです。

しかし、それができませんでした。それを記したのが1992年以降の御言葉であり天聖経です。不信の先頭に立ってサタン側になった家庭連合に「赤・天聖経」がありますが、文先生がランクアップしたため、赤・天聖経は黒・天聖経よりも真理度が高く、摂理が理解しやすくなっています。(お母様は御言葉をお父様の御言葉をお読みになりませんから、赤・天聖経にご自身に不都合な御言葉が山ほどあることに、まったく分かっていません)


日本とは・・・・

残念ながら、日本の弟子たち全て、不信の結実となってしまったのです。その代表が日本の歴代の会長たちです。文先生が日本と言っているのは、日本国家の代表的立場に立っていた日本の『内的な弟子たち=内的エバ国』のことを「日本」と言っているのです。


聖和・・・

ですから、韓国が他国を侵略したことがないとか、先生が晩年にも何度も、日本が韓国を900回以上も侵略したと言っているのは、日本の不信仰が900回以上になって、韓国(エデン)の中心体であった文先生を迫害した原因となっていたということです。この韓国と日本をそのまま現実の国とするなら、文先生は完全に気が狂ったお方です。そう思ってみんな離れたのです。そうですよね。


ラケルのエバ国が原因で、さらに、姉であるレアのお母様が原因で、レアがラケルを逆主管するという問題が起きて、お母様がお父様を逆主管し、文先生は期限が来て自ら聖和されたのです。

エバを得られなかったイエス様が自ら十字架に向かって死なれたことと同じです。


結論として、

エデンに住む36双、72双・・を「韓国」、キリスト教の失敗を蕩減する12双、777双を「日本」と呼んだということです。最後、韓国は先生一人になったのです。絶対信仰を貫いた日本エバ国の信仰者はゼロになってしまったのです。

しかし、不信した12双777双にはその自覚がまったくありません。当然です。何故なら、不信する正当性の理由ばかりを探し当てていたのですから。自覚がないレベルで不信していたのです。


だから、後輩の777のコメントをうさん臭いアブが飛んでいるくれいにしか思えないのです。仕方ないです。


それが、韓国の不信し続けた弟子たちであり、日本の弟子たちであったのです。最後、「韓国」は先生お一人となったのです。

文先生がどうしてこんなに回りくどい言い方をしたのか??(それを解明するのが師観さんだと思います。)不信を受けるならさらに不信を受けるようにふるまうのが天の基準なのです。イエス様もそうでしたし、文先生ももそうだったのです。


もともとキリスト教の不信によって始まった摂理ですから、それを挽回するのが異邦人の統一教会の群れであったのです。どう見ても、常に、12双、777双には決まって不信の試練が降りかかり、一人残らず、親を売り渡すことしかできなかったのだと私は思います。



もう一度言いますが・・・、

文先生が言っていた「韓国」とは、本来結実しなければならなかったエデンです。それが韓国でした。しかし不信により立つ瀬を失った為、韓国の実体が先生お一人になってしまったのです。


日本とは、摂理的なサタン圏を代表したエバ国であり、その日本を代表したのが12双、777双です。だから、文先生は彼らが宿命的に不信し続いたとしても、お母様と同様に、彼らを直接的にこよなく愛されたのです。


1960年代からずーっと日本にその信仰が立たなかったのです。もちろん、二千年訓練を受けたはずのキリスト教さえ不信して失敗したのですから、韓国の先輩弟子たちに対して、さらに縦的に悪い条件が降りかかって不信したとしても、宿命的てきであり、どうすることもできなかったのです。

訪韓集の御言葉からすれば、エバ国の不信は文先生にとっては覚悟の上であったのです。だから親としてできることは、彼らを愛しつくすことだったのです。


師観さんへ…

勝手ながら、このような観点に立って、文先生、御言葉を総括してほしいのです。それができるのが師観さんだと思います。最後に残された力を絞り出してお願いいたします。

絶対に文先生に石を投げる、不信する、疑念を持つことから遠ざかってください。不信からは何の考察も実りません。このままでは、師観さんが不信の証明を残すことになりかねません。

生涯の過去の全てと決別して新しい出発をしてください。ぜひ、お願いいたします。

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