お母様の教育は道義教育であった・・・(お父様が正義に立脚して教育 / 道理に立脚して正しければ、嫌でも順応しなければならない)(お母様からお父様が批判されるべきことがあれば、無慈悲に批判しなさい)➡ その結果が「大淫婦」になった
「大淫婦」 お母様の不信は必然的であった ➡
お母様の教育は道義教育であった・・・(お父様が正義に立脚して教育 / 道理に立脚して正しければ、嫌でも順応しなければならない)(お母様からお父様が批判されるべきことがあれば、無慈悲に批判しなさい)
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お母様の不信は必然的だった
これが原因で「大淫婦」となった
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その理由
お父様はお母様に対して原理教育をなさらず、一週間断食もさせず、開拓伝道にも行かせなかったのです。
その代わり、下記の御言葉から分かるように、お母様に対しては道義的教育を成されたのです。これが今のお母様の人格を作っていることが分かります。
これが原因となって、お母様はご自身の堕落を隠して、お父様の事実蕩減(非法的な「アブラハムによるイエスの典型路程」と「妾摂理」)の為にあった複数の女性との関係を糾弾しているのです。まさに、お母様はお父様によって仕込まれた道義的教育によって必然的に不信を体現していると言えるのです。
つまり、1945年のキリスト教の不信により、二千年前の洗礼ヨハネが不信した原因とユダヤ教からイエス様が糾弾されたことを同時性的にお母様と統一教会が蕩減しなければならなかったことが分かります。
あなたはどう思われますか。私の考察は全てが御言葉を根拠としていますので、しっかりをお読みください。
この問題をさらに突き詰めると、このようなお母様の教育はお父様がお母様を蕩減操縦をすることによって、主体的にアダムの責任を果たしたことになったのです。
それでは、お母様のお父様に対する不信が必然的になるようにお父様が操縦された理由は何であったのかです。
実は、この理由によりお父様の地上での終局的な摂理が成されるようになったのです。つまり、お母様の不信が次の段階の新たな摂理を担っていたということです。
それが何であったかと言いますと、サタンの性稟が摂理となった「主管性転倒式」です。この摂理が聖和となってお父様の総蕩減が完了し、これによってアダムの再創造が蕩減なしに完成させたのです。
つまり、お父様がお母様に道義的な教育を施すこされたことにより、聖和以降、蕩減がない立場で第四次アダムとして再び再臨する道を開いたということです。その証左として、2000年以降、80歳を過ぎたお父様が再び再臨することが沢山語られているのです。
真の御父母様の生涯路程10 第八節 二
私はお母様を教育してきました。涙があふれるほど多くの教育をしてきました。
(※1)正義に立脚して教育してきました。夫のために生きなさいと教育したのではありません。
(※2)道理に立脚して正しければ、嫌でも順応しなければならないのです。涙のあふれる訓示をしました。
その代わり、
(※3)公的な立場で糾弾されなければならず、批判されるべきことがあれば、お母様は私を無慈悲に批判しなさい
というのです。私がうそをつき、語ったことで行わなかったことがあり、自分が行わずに欺いて利用し尽くす、そのような指導者ならば、糾弾しなさいというのです。