平和の主人 血統の主人

まさに、成約時代の毒麦となられたお母様

《 黙示録18章 3-10 節 》

3 地の王たち(幹部たち)は彼女(お母様)と姦淫を行い、地上の商人たち(教会長たち)は、彼女の(高額献金を得た)極度のぜいたくによって富を得た。

7 彼女(お母様)は心の中で『わたしは女王の位についている者であって、やもめではないのだから、悲しみを知らない』と言っている。

10  彼女(お母様)の苦しみに恐れをいだき、遠くに立って言うであろう、『ああ、わざわいだ、大いなる都、不落の都、バビロンは、わざわいだ。おまえ(お母様)に対するさばきは、一瞬にしてきた。

古い祝福家庭 ☞ 文先生の女性摂理を見て知っていた・・・原理観が熔解 ☞ 独生女宣言を受け入れた

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原理を聞いて献身
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 古い先輩たちの三本線の同時性の講義に、誰しも心を熱くしたはずです。献身を求められた七日修の講義では、三本線は聞き入る者の心を最も動かした一つです。


 「私は歴史の偶然の産物ではない。私の存在は歴史の必然であった」と聞いて熱くなり、とどめは、「三次目のアダムである文先生は必ずみ旨を成就する」という原理に触発され、それを信じ、その栄誉に預かろうとして献身したのが私たちであったはずです。


 しかし、み旨の成就を見ることなく、既に文先生は聖和されました。そして、残された者たちも、その多くは高齢になり、貧しさと孤独と不安が包み込み、いつ旅立つかもしれない年齢になっています。


 その後、お母様と顕進様と亨進様の三つに分裂しましたが、誰が予想できたでしょうか。しかし、黙示録は予知し、三つの分裂を記していました


 さらに、全てが崩れるように激震が走ります。今度はお母様が聖和を待っていたかのように、「独生女宣言」によって原理を否定し、文先生に砂をかけたのです。


 誰にとっても想定外でした。


 ところが、統一教会の信仰と良心の象徴のような存在であった、12双で山形弁の小山田さんや、「み旨は三年で成就しましゅ・・・」で知られる周藤さん、これに右倣えした古い祝福家庭のほとんどが、原理違反の「独生女宣言」をいとも簡単に受け入れたのです。


 あり得ません。言葉を換えれば売国奴です。


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  彼らの中で、原理観がロウのように溶け始めたのです。
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 私は、往復ビンタを食ったような心境でした。


 何故、そんなことが簡単にできてしまったのでしょうか。


 答えは簡単です。


 それは、古い先輩たちの多くは、文先生の初代時代にあった非法の愛によってなされた女性摂理に対して勝手な想像を膨らませ、嫉妬し、不信し、少しずつ、少しずつ躓いていたのです。この時代圏にすでに不信の根ができていたのです。


 その証拠があります。


 それは、文先生の歩まれた女性摂理を全てサタンの捏造であると世に発表したのが証拠です。それ以降、この摂理はタブーとなって隠されたのです。統一教会の急所、みぞおちを自らつくったのです。それ以外に見当たりません。
 これがサタンの侵入条件となって拉致監禁が盛んになり、この責任はタブーとした自分たちにあるとは全く考えず、文先生の理解できない女性摂理にあると考えたに違いないのです。統一教会にタブーが生まれたのです。


 これが原因となって、小山田さんや周藤さん、古い祝福家庭の方たちの原理の絶対性が本人の心の中で崩れ、原理観が熔解し始めたのです。そこに襲いかかったのが、一つ目は、原理観の熔解を後押しするように見える天聖経の出現であり、二つ目は、原理違反の「独生女宣言」です。この煮え湯を幹部たちは拒むことなくお母様から飲まされたのです。そして、何も知らない統一教会の信徒たちが巻き込まれたのです。


 一つ目の天聖経の出現問題は御言葉を知るうえで最重要課題ですので、必ず、後日取り上げます。



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  お母様はご自身の行為をタマルやマリヤに重ねているのではないか??
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 お母様の独生女宣言は、果たして、正しいことであったのでしょうか。(摂理の奥義があったのです・・・それが聖和の摂理でした。)
 この独生女宣言は摂理的には想定内であったのですが、しかし、完全な間違いです。


 お母様が非法の愛(アブラハムによるイエスの典型路程)によって堕落したという御言葉は一つや二つではありません。しかし、お母様からすれば、独生女宣言からも分かりますように、文先生が語られたお母様の堕落に関する御言葉は誤りであったと考えたに違いないのです。
 お母様はご自身の堕落行為は堕落ではなく、タマルやマリヤが非法の愛をもってイエスを生んだことと同時性であったと考えているに違いないのです。


 もしかしたら、お母様はタマルやマリヤの止まり木に鳥もちを足につけてとまっているのかも知れません。
 しかし、そのような御言葉は一文字も見出すことができません。


 当然ながら、タマルやマリヤの非法の愛の行為は無原罪のアダムを誕生せしめるための蕩減摂理であったのであり、現に、これによってイエス様が生まれ、さらに、十字架の摂理によって、再臨主である第三アダムが生まれる源泉となってその使命は完結したと言えるからです。そして、文先生はご自身が無原罪のメシヤとして生まれた背景については「日本の信徒が研究しているようですが、先生は、今は語りません」と語られています。
 さらに、文先生が1992年に再びメシヤ位置に戻られた時に必要であった摂理で、お母様が成さなければならなかったことがありました。マリヤを夫に紹介したエリサベツの使命であったことが訪韓修の御言葉から読み取ることができます。そのような心情圏が必要だったということです。



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  お母様の使命 
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 訪韓修の御言葉によると、1992年に再びメシヤの位置に戻られた文先生に対して、エリサベツががマリヤを夫に紹介して無原罪のイエス様が生まれたように、堕落した立場に立たれた本妻のお母様に必要だったのは、1960年の堕落前のお母様のような一人の女性を第三アダムに差し出すことが必要だったと言えるのです。これをお母様が本心からできる心情圏になることによって、お母様は文先生の本妻の位置を再び取り戻すことができるようになっていたはずです。


 このように、お母様が行かれた女の摂理は、お母様を救済する為にも、また、人類を救済する為にも必然的な摂理であったのです。レアとラケルは双子のような姉妹なのですから、絶対に切り離すことができず、一人の人間のように完全に一体となって完結する以外に道はないのです。お母様だけの片方が勝利したということはあり得ないのです。
(※1)崔元福先生においては、2005年の御言葉から失敗していたことが分かるようになりました。


 言葉では簡単ですが、現実は愛の問題でありますから、迷路のようで複雑怪奇です。


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  文先生とお母様は聖別に入られた??
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 また、1992年のメシヤ宣布以降、文先生とお母様は聖別生活に入られたことが伺える御言葉が幾つかあります。つまり、文先生の泥沼の女性摂理は終了し、メシヤの位置に戻られ、堕落したエバの使命をお母様が代表して全うしなければならない立場に立たれていた為、小羊の婚宴に向かっての聖別です。


 原理を知らない、一週間断食もしていないお母様にとっては、理解できたでしょうか。


 既成家庭ではこんなことがありました。


 聖別生活を願った妻から原理を知らない夫がわずかの御言葉を聞いて、その願いに応えた家庭は数え切れません。
 しかし、反対に、聖別を願った夫から原理を知らない妻がその願いに応えたという家庭を、私は一件も見たことがありませんでした。それどころか、妻は夫が教会の若い女性に取られたと嫉妬して、妻から嫌われ、妻復帰が不可能となったほどでした。このような男性は本当に痛々しかったです。


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  天使長ルーシェルがエバを簡単に手籠めにできたことの再現です。
    これが事実蕩減です。
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 果たして、原理を知らないお母様はどうだったのか、容易に想像がつきます。この時の文先生のご心情はどのようだったのでしょうか。
 17歳のお母様は、原理を聞かされない立場、一週間断食もさせられなかった立場、開拓伝道にも行かさせられなかった立場でした。そして、「アブラハムによるイエスの典型路程」は当然なすべきことのように、正しいことであるかのように、文先生が丁寧に環境整備をされてサタンに差し出されたのですから、お母様はご自身が堕落したことも、また、メシヤであった文先生から堕落したお母様を再び取り戻す為に仕掛けられたレアとラケルの摂理も、到底、理解することは限りなく困難であったと言えるはずです。
 


 お母様からすれば、妾摂理を持たれた文先生が、1992年に再びメシヤの位置に戻られた時、そこから語られた純潔教育の説教を聞かれたお母様の心情は容易に想像がつきます。この世でさえ、ダブルスタンダードは最も嫌われる、品格に欠く人間になりますから。


 この時代圏に、お母様のお父様に対する「恨」が完結したとも言えるのではないでしょうか。
 そのお母様がそのまま成長されて、お父様亡き後、独生女宣言を自信たっぷりになされたのはこの為であったのです。


 このようなお母様に、1992年、天宙的洗礼ヨハネの使命を全うする時が来ます。それがメシヤ宣布の時代圏であり、同時に、世界平和女性連合の総裁に就任した時です。文先生はそのお膳立てを1980年代から経済権と人事権までもお母様に与えられました。先生は全ての決済権から一歩離れられ、お母様をとおして主管する立場に立たれたのです。



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  お母様の告白と懺悔が必要であった・・・エバの蕩減
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 堕落したお母様に必要となるのは、文先生に対する絶対服従の信仰になります。そして、全人類を代表した一人のエバとして文先生の前に立ち、自らの堕落の告白と悔い改めをしなければならなかったというのです。


 しかし、これができなかったことが家庭連合の(※2)月刊誌に載っています。果たして、何人の人が読んだのでしょうか。(明後日取り上げます)



 文先生の御言葉は、2000年以降、晩年になればなるほど、お母様の堕落に関して、決定的な御言葉は沢山存在しています。「平和の主人 血統の主人」にも繰り返し語られています。( 
 「平和の主人 血統の主人」ではお母様が堕落したエバのままになっている為、真の相対を失った立場に立たれた文先生は、イエス様のように生きる期限が到来している為、お母様の為に死ぬことを良しとするとまで語られているのです。




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