平和の主人 血統の主人

まさに、成約時代の毒麦となられたお母様

《 黙示録18章 3-10 節 》

3 地の王たち(幹部たち)は彼女(お母様)と姦淫を行い、地上の商人たち(教会長たち)は、彼女の(高額献金を得た)極度のぜいたくによって富を得た。

7 彼女(お母様)は心の中で『わたしは女王の位についている者であって、やもめではないのだから、悲しみを知らない』と言っている。

10  彼女(お母様)の苦しみに恐れをいだき、遠くに立って言うであろう、『ああ、わざわいだ、大いなる都、不落の都、バビロンは、わざわいだ。おまえ(お母様)に対するさばきは、一瞬にしてきた。

◆◇◆「真実の向こう側」さんへ・・・亨進様自ら荒野に出て再出発されたことは、お父様を一番慰めた!!

真実の向こう側」さんへ


何処まで答えに添えるかは分かりませんが、よろしくお願いします。


私の回答は青文字です。



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『2001年から2008,9年のお母様、仁進様、国進様、そして、亨進様と「教権勢力」が結託して「顕進様外し」という凶暴に及んだ事を「777」さんはご存じないのでしょうか。


→知っていますが、この情報も郭グループのブログから知ったものでした。
この私の心象は、亨進様はまだ世界会長になられたばかりで、経験と組織管理にはまだ力を発揮するまでにはなっていないと思っています。
やはり国進様の力が影響していたでしょうし、更には、お父様は摂理的に1992年のメシヤ宣言以降は、お母様が天宙的洗礼ヨハネの使命を持っていますから、人事権、会計予算権などはお母様の実権が強く影響していると思います。


お父様を無視して実行して、後でお叱りを受けたとしたとしても、そのままでも通過してしまっていたのだと思います。2011/11/6 訓読会(「絶対不服従と絶対不信仰」)でもその様な事が展開されていました。


この問題は、亨進様だけに責任を求めてもそれだけでは解決しないと思っています。
お母様の実権が強いことと、国進様の影響が背後に強くあることと、更には、この様な問題の背後には、子女様同士の間に私達には理解が及ばない問題が伏していると思います。
また、顕進様との繋がりの中に義理の父になる郭先生のお父様に対する不一致問題も継続的に絡んでいると思います。


ですから、郭先生問題(お父様との不一致、周囲幹部との確執)は教会側ではこれ以上問題視したくないところでしょうし、顕進様をどう扱うかは、統一教会幹部達の思惑が複雑に絡んでいると思います。


決して亨進様に問題がないと言っているのではありません。ただ、亨進様は新たな出発として、モーセのように荒野に自ら裸同然で出られました。多くの誘惑(地位、金銭)を完全に立ち切っての行動を自ら起こしたことは、千金、億金の価値があると私は思います。


その様な意味において、私は亨進様に問題ありという判断は現在においてはありません。
亨進様の大罪とは、


「顕進様外し」を実現する為に、御父様の御指示を無視し、「真の父母」の御夫婦破綻を修復するどころか、お母様に協力することで、「真の父母」を完全に破綻させ、「真の御家庭」の長子の立場で、御父様の信任を一身に受けていた顕進様を失脚させることで、「真の御家庭」を破壊せしめたこと、(御聖和に関しては、御父様の御聖和に関しての隠蔽疑惑)


です。』


→亨進様は世界会長ですから、全く責任がないとは言いませんが、顕進様の失脚問題は、亨進様が直接的に関わったと言うことがどれくらいあったのか図りかねますが、現実的にはお母様の実権、金孝律補佐官の実権が強く作用していたと思います。
亨進様自身が言われているように、従順な性格のお方ですから、周囲幹部の流れに沿っての行動だったのではないかと思います。



そして、


1.亨進様が、「顕進様外し」に強く関与した事実確認、


2.なぜ、神の摂理を破壊するような行為に加担されたのか、


に関しての確認、および、考察をお願いしました。



「平和の主人、血統の主人」の御父様の御言葉を解読され、摂理を解説されている方にとって、歴史的事実として起こった『2001年から2008,9年に起きた一連の事件が、神様の摂理を頓挫させてしまった(と私は思っていますが)という大問題に気付くことなく、そのことの事実確認をされ無いままま、御父様回帰を説かれ始めた、亨進様の主張に近いスタンスに立たれているように、私には、思えました。


→亨進様の主張に近いと言われれば、その通りです。平和の主人の解読を発表した直後に、亨進様の説教がピッタリと符合したことは驚きです。



摂理の考察が、事実を軽んじて、机上の空論のごとく語り始めたら、全く、お門違いの方向に摂理の紐解きが進んでしまうと私は思いました。


→お父様をメシヤとして揺るぎない信仰で捉えることができれば、地に足の着いた摂理展開が見えてくるのではないかと希望を持っています。
そして、顕進様の立場については、これまでの姿とは全く違った姿で登場する可能性を信じています。


>それで、顕進様派と思われる全てのブログに目をとおしました。


その結果、統一教会がとる郭グループに対する対決姿勢も、郭グループがとる統一教会に対する対決姿勢も、全く希望が見出せないでいました。


他を批判して自己の正当性を述べていることが自己存在の原点ではないはずです。



とうことで、郭グループの主張に対して、受け入れられないと思われたということですね。


→そうです。郭グループの主張はいずれ衰退せざるを得ません。人の本心を希望へと刺激しないからです。恨みは恨みを読んでこだまして、山陰に消えていきます。
そのうち、郭グループは統一教会と縁を完全に遮断宣言する可能性を感じています。この時、郭グループに対して、周囲は決定的な何らかの烙印が押される危険性を持っていますから、注意を要します。
私が最も危惧していることは、郭グループのブロガー達の主張が同じ色をしていることと、理性集団であることと、何故か、どの人も利害を同じくしているように見えることです。
そして、自己の正当性を語ろうとすればするほど、お父様から遠ざかってしまう危険性を覚えます。
こうなれば、統一教会の幹部達の思惑どおりに陥ってしまいます。
本当に顕進様の心情を代弁しているブログなのかでしょうか。
或いは、お父様と顕進様を一層強く結ぼうとするブログはあるのでしょうか。


平和の主人的には、子女様は一体化していく方向にならなければ、お父様を迎えられませんから、分裂を放置して、分裂の理由探しをしているようでは、天運から見放されてしまうと思います。
私も、郭グループの主張に対して、おかしいと何度も書いていますが、


重要なことは、歴史事実として何が起きたのかということを客観的に、確認するという作業が必要であるということです。


歴的事実に対して、郭グループの方たちは、それぞれに、主張されますが、私も、被害者意識から脱却していないと何度も言っていますが、


しかし、事実として何が起きたのか、と、そのことに対して、郭グループの方たちがどう思われているのかという問題とは、分けて捉える事が重要であると私は考えます。


教会の主張と郭グループの主張を客観的に、歴史的事実を模索、確認するこことが重要であると思います。


→事実を事実として理解することも重要でしょうが、一番の当事者間においては、事実の確認よりも、許すことを最優先することだと思います。その為には、無条件でお父様を迎え入れること、無条件で子女様同士が和解を求めて会合を持つことだと思います。
事実の確認は、かえって分裂の確認が生まれるだけであって、お父様の方向には向かわないと思います。


「777」さんに起きましては、「平和の主人、血統の主人」の御父様の御言葉を解読された今だからこそ、何が起きたのか、を確認されることが必要なことではないかと思います。


亨進様を擁護される方たちが、絶対に踏むことができない「踏み絵」が、『「顕進様外し」に強く関与した事実』です。


その「踏み絵」を、無視し、歴史から抹消してしまえば、問題ないということが言えると思いますが、そこからは、「顕進様」に対する「謝罪」は生まれてきません。


「顕進様」に対する「謝罪」が無ければ、頓挫してしまった「神の摂理」は動き始めることが出きないと私は、思っています。


顕進様サイドからの一方的、意見であると思われると思いますが、


調べてみれば解りますが、「顕進様外し」は一方的に、突然、仕掛けられています。


「777」さん、ご一考していただければ、幸いです。


→謝罪は一方ではなく、双方が成すべき事と思います。
私達が自分の立ち位置で見つめている問題が全てを現しているとは到底思えません。ほんの一部だけだと思います。
子女様方が通過された家庭は、常人には理解出来ない環境でしたから、子女様方、お一人お一人の心情も体験も様々だと思います。第三者の私達が入ることの隙間など、1ミリもないと思います。
背負った十字架が大きいですから、子女様がそれぞれ、孤独に痛み悲しみ、ご自分の生き方を考えているのだと思います。
非常に大変な道でしょうが、子女様が恨を超えて一日も早く出会いの場を持つことが重要です。


そういう意味では、神山先生、江利川先生の役割にも期待したいと思っています。
また、この様なブログの声が少しでも子女様に届くことができればとも思っています。


また、「六マリヤの摂理」の件で、私の表現が、足らなかったようですが、


「お父様が再臨主としてもう一度出発する為には、エリサベツとマリアの失敗を蕩減することと、レアとラケルの蕩減も含めて、更には、タマルのような摂理までも蕩減する為に「六マリア摂理」があったと私は考察しています。」


そうであったかも知れませんし、違う理由で「六マリアの摂理」されたのかもしれません。


イエス様も洗礼ヨハネの失敗により、メシアの立場を失いましたが、イエス様が「六マリアの摂理」のような「摂理」を展開したような様子が見受けられないと思います。


→お父様はイエス様のことで、イエス様が結婚出来なかったことが大きな問題だったと語られたのを読んだことがあります。洗礼ヨハネの失敗があれば、当然イエス様も本妻と妾の摂理が展開されたのだと思います。
イスカリオテのユダの裏切りはこの様な中の愛の問題だったとお父様は語られています。


亨進様は、御父様の「六マリアの摂理」の正当性を訴えましたが、


「摂理的意義」を語られていないと思います。(語られているのでしたら、教えてください。)


→ もしかしたら読んでおられるかも知れませんが・・・、
http://h2fanclub.blogspot.jp/2015/05/2015510.html


「御父様が、御父様の立ち場において、成されたこと」で、それは、再臨のメシアにとって必要なことであって、それ以上でもそれ以下でもないということです。」


の「再臨のメシアにとって必要なことであって」というのは、「どのような目的であろうと、御父様ご自身が決められたことであって」という意味で、「六マリアの摂理」が、失われたメシアの立場を復帰するという目的だけで、展開されたのではないと思っています。


「摂理性」があったかどうかも解りません。


お母様が、「六マリアから御父様を救った」というようなことを語られたと亨進様が言われたと思いますが、不特定人数の「血わけの儀式」が展開されていたようで、「御父様独自の堕落人間の復帰観」がそこにあったのかも知れないと思っています。


御父様の御言葉も無く、事実の可能性の高い、「六マリア」は、「特定の六マリア」を指していないかも知れません。


なので、御父様に聞くことも出来ない「六マリア」に関しては、私たちには、理解しがたい問題があるので、その真相を知ろうとすること自体、難しいと思われます。


→仰るとおりですね。難しい問題です。99%の人はこれまでこの問題で信仰に傷を受けました。




話しを、郭グループに戻しますが、


現在の郭グループは、歴史的に起きたと思われる、事実を提案していると思って、確認される事をお奨めします。


→以上で、全て回答しましたとは言い難いですが、よろしくお願いします。
また、何でも良いですから、質問あればお願いします。

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