平和の主人 血統の主人

まさに、成約時代の毒麦となられたお母様

《 黙示録18章 3-10 節 》

3 地の王たち(幹部たち)は彼女(お母様)と姦淫を行い、地上の商人たち(教会長たち)は、彼女の(高額献金を得た)極度のぜいたくによって富を得た。

7 彼女(お母様)は心の中で『わたしは女王の位についている者であって、やもめではないのだから、悲しみを知らない』と言っている。

10  彼女(お母様)の苦しみに恐れをいだき、遠くに立って言うであろう、『ああ、わざわいだ、大いなる都、不落の都、バビロンは、わざわいだ。おまえ(お母様)に対するさばきは、一瞬にしてきた。

《 ③ 》「聖所」とは、「神様と小羊」である・・・黙示録の言葉は、ほぼ全てが外的ではなく内的な言葉で記されている

このブログは《ほふられた小羊》から許可を得て転載させて頂いています。


黙示録を解くキーワード
  ③ 黙示録の中に「聖所」とは、「神様と小羊」であると記されている聖句


21:22 わたしは、この都の中には聖所を見なかった。全能者にして主なる神と小羊とが、その聖所なのである。


21:23 都は、日や月がそれを照す必要がない。神の栄光が都を明るくし、小羊が都のあかりだからである

(「聖所」とは再臨主のこと)


 この聖句からすると、「聖所」とは地上の何処かに建てられた建築物を言っているのではなく、「主なる神と小羊(イエスと再臨主)」ということになる。勿論、この様な神様とメシヤがおられる建築物を外的に聖所と呼ぶこともできるが、黙示録の中に記されている「聖所」とは、あくまでも、内的な「主なる神と小羊(イエスと再臨主)」として理解しておく必要がある。そうすれば、自ずと以下の聖句も何を言わんとしているのかが見えてくる。
 詳細は後日。


 これ以外にも、「聖所」という言葉が記されている聖句を下記に取り上げておく。ここに出てくる、11:2 「聖なる都」という言葉も、外的な都のことではなく、内的な「主なる神と小羊(イエスと再臨主)」と捉えるべきである。

11:1 

それから、わたしはつえのような測りざおを与えられて、こう命じられた、「さあ立って、神の聖所と祭壇と、そこで礼拝している人々とを、測りなさい。 

11:2 

聖所の外の庭はそのままにしておきなさい。それを測ってはならない。そこは異邦人に与えられた所だから。彼らは、四十二か月の間この聖なる都を踏みにじるであろう。



15:5   

その後、わたしが見ていると、天にある、あかしの幕屋の聖所が開かれ、 

15:6   

その聖所から、七つの災害を携えている七人の御使が、汚れのない、光り輝く亜麻布を身にまとい、金の帯を胸にしめて、出てきた。
7 そして、四つの生き物の一つが、世々限りなく生きておられる神の激しい怒りの満ちた七つの金の鉢を、七人の御使に渡した。


15:8   

すると、聖所は神の栄光とその力とから立ちのぼる煙で満たされ、七人の御使の七つの災害が終ってしまうまでは、だれも聖所にはいることができなかった。


×

非ログインユーザーとして返信する