平和の主人 血統の主人

まさに、成約時代の毒麦となられたお母様

《 黙示録18章 3-10 節 》

3 地の王たち(幹部たち)は彼女(お母様)と姦淫を行い、地上の商人たち(教会長たち)は、彼女の(高額献金を得た)極度のぜいたくによって富を得た。

7 彼女(お母様)は心の中で『わたしは女王の位についている者であって、やもめではないのだから、悲しみを知らない』と言っている。

10  彼女(お母様)の苦しみに恐れをいだき、遠くに立って言うであろう、『ああ、わざわいだ、大いなる都、不落の都、バビロンは、わざわいだ。おまえ(お母様)に対するさばきは、一瞬にしてきた。

家庭における女性の使命



男性訪韓修 (修練会、第三日目の夜)1995.1.19


⑦家庭における女性の使命


 今からは家庭においての女たちが問題です。サタンを中心として、天使長を中心として、アベルの女とカインの女が戦うのです。そこで、アベルは姉さんではないのです。妹なのです。しかしサタン圏で生まれた順番からして、姉さんは絶対的に妹を主管することができるので、これが問題です。原理原則によって主管されるような立場に立った妹が、自動的に姉さんを屈伏させて、姉さんの立場を復帰しなければならないのです。女もカイン・アベルと同じような立場で、復帰していかなければならないのです。


 そのような異なった姉妹関係の基台が家庭なのです。ですから家庭において、正妻とか妾がいた場合には、喧嘩して大変な問題になるのです。男性がもし妾をつくった場合には、本妻は黙っているでしょうか? 「殺してしまえ」とか、「死ぬんだ」とか言って、家中が大変なことになってしまうのです。ですから復帰路程は、正妻一人ではできないのです。妾と一つにならなければ帰る道がないのです。なぜかというと、堕落したために、神様の前に二流の子女が生まれてきたからです。


 カイン側のお母さんと子供と、それらを復帰していくアベル側のお母さんと子供という、二流の子女が立つようになったのです。もし堕落しなかったならば、一流だけなのです。堕落の結果、二流になってしまったのです。ですから神様は、これを収拾しなければならないのです。そこで、いかに二流を一流にするかというと、サタン的な長子を中心として一流にすれば、サタン的なものになってしまうのです。これを蕩減復帰していかなければならないのです。神側の妹がアベルです。その妹を中心に立てて、姉が一つになることによって、神様が本来創造した絶対主体の立場の氏族圏が生まれるのであり、サタン側の長女のほうを立てた場合には大変です。


 女性も、カイン・アベルの長子権復帰と同じように、姉と妹が家庭内において一人の旦那さんとの関係で喧嘩するようになったのだから、それを一つにしなければならないのです。その重要な女の家庭的使命をなして、外的カイン・アベル復帰とともに内的問題の復帰をしていくのです。最後は姉妹関係を超えて、エバ個人の問題まで解決しなければならないのが、家庭における女たちの使命なのです。


 この個人的エバの問題を解決することによって、すべての蕩減の峠を越えることができるのです。そのことが、歴史上に今まで展開してきたのです。そして、外的なものがカイン・アベルの長子権復帰なのです。弟が兄さんになり、兄さんが弟になるのです。そのように、二流を一流にするのです。女性も、妹が姉さんになり、姉さんが妹になって、一流になって帰ってくるのです。そのように家庭的問題を解決した場合に、次に個人的エバ自体の問題が引っかかってくるのです。


 長子権復帰はカイン・アベルの問題です。家庭的問題として、こういう絡み合いの兄弟圏の紛争が神の前に残っているのです。堕落した正妻圏の親子と、妾のほうの立場に立つ親子がいるのです。

(図ー13、二九一ページを参照)


そこで復帰の道は、妾を通して、第二番目を通してやらなければならないのです。ですから末の世になると、こういう問題が交差するので、神様は離婚を許さざるを得ないのです。離婚を許すことによって、少ない被害で神様に帰る道がたやすくなるというのです。そのような公式によって、神様は離婚を許さざるを得ないのです。


 それで、姉さんと妹を見た場合に、妾は男の世界と関係しやすいので、正妻を中心として回っていくのです。末の時代になると、男はみんな一人以上の女を持って大変な問題を起こすのです。一人の人が何百人とも関係するようになるのです。ですから、正妻も嫌がって「あなたがそんなことをするなら私もー」と、いうことになるのです。それで、金持ちの正妻なんかに燕の群れという言葉が生まれたのです。若い男を中心とした売春行為です。そのように、公娼街の男に金を渡して、「あなたがそうするのだから、私も男遊びをします」と、本当にそのようなことをするのです。そのことは、精誠を尽くしていけば、かえって神様のほうに必ず帰っていく開拓の道の方便であるともいえるのです。ですから、「罪多きところには恵みが多い」という聖書の言葉があるのです。


 末の時期は、悪いことばかりではないというのです。悪い者も末の時期には同じく救われる道もあるのです。妾が正妻を救うことができるというのです。ですから妾は、男を相手にしやすい環境になっているのです。それで正妻が神様に帰るには、妾を通して自分の主体者を紹介してもらうようになれば、完全に長子権、長女権を復帰することができるのです。だから家庭的にも男女関係が乱れていくようになるのです。切り替えする時には仕方がないのです。それで、その切り替えの時に、悪なる女も天のほうに帰れば、天の祝福を受けられるのです。反対に天のほうにいても信仰生活が悪かった場合にはサタンのほうに連れていかれて、悪なる女の立場に立つのです。ですから、「謙遜で素直な人になりなさい」と言うのです。


 このように家庭を中心として、歴史創世以来、子供をまとめてきたのです。それで家庭の外的な世界をまとめた後は、今から家庭的に内的なお母さんたちの収拾をしなければならないのです。お母さんが二人いては駄目です。一つになって、堕落した女の蕩減を逆に引っ繰り返さなければならないのです。そのことをみんなが分かることによって、完全に世界から家庭、個人まで超えていくのです。女によって堕落したのですから、女が重要な責任を持たなければならない時代になりました。




 それで末の世には、女性全盛時代が来るのです。女たちが男の妾をいくらでも持っていいという時代になったのです。堕落した時のことを考えれば、エバが二人の男を迎えたのですから、末の時期にも一人の男だけでは足りないのです。日本もそうです。女はいろんなことをやっているのです。ホテルなどを使って売春をする女もたくさんいるのです。この乱れた女たちをいかに収拾するかというと、この原理原則を知って、二流を一流にまとめて天の理想に帰る道を教えるのです。それは、全体から見ても否定できないものであり、自分たちが間違っていたことを知った場合には、それを正して回れ右をして帰るのです。


 これが蕩減路程なのです。世界的蕩減路程、家庭的に女が過ったことの蕩減路程、個人的女の蕩減路程なのです。男として、これを勝利的に超えていかなければ、本来の第二のアダムの立場に立つことはできないのです。夫婦になることができないのです。



×

非ログインユーザーとして返信する