① 何故、文先生は祈祷をされたのか??(完成人間には祈祷は必要ないはず)
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何故、文先生は祈祷をされたのか??
知恵ある者は悟るべし!!
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文鮮明師 1988年年頭の涙の祈りと85歳での決意 - YouTube
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「完成人間には祈祷が必要ない」という御言葉
①『天聖経』②『原理講論』
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① 天聖経
真の神様 第二章 五 4.
どんなに立派な人でも神様よりも立派であるはずはない」と、神様が心情を注いで造られた万物にすがって何よりも貴く感じる者がいるとするならば、その人は天の息子、娘に違いありません。このような人には祈祷が必要ありません。神様のように生きる人です。天は人間をそのような位置にまで押し出すのです。
(コメント・・・なお、この御言葉は「文鮮明先生御言選集 19600508 -」の『神様の愛と共に生きる者になろう』からの抜粋にもなります。文先生はこのような1960年の御言葉を成約時代を告げる為の新しい標準とした天聖経に載せられたのです。)
➁ 原理講論
第四章 第一節 (一)
それでは、創造目的を完成した人間に復帰され、イエスが言われたとおり、天の父が完全であられるように完全になった人間とは、いかなる人間なのだろうか。・・・この人間は、原罪がないので、再び贖罪する必要がなく、したがって、救い主が不必要であり、堕落人間に要求される悔い改めの祈祷や、信仰の生活も、また必要ではないのである。
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しかし、「文先生は祈祷した」という御言葉 ③④「天聖経」
(『天聖経』には文先生の祈祷の必要性がたくさん語られている)
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③ 天聖経
真の神様 第四章 五 1.
今日の宗教指導者はひれ伏して祈祷をして恵みを受けようとしますが、私は恵みを与えてくださいと祈祷したことはありません。「私一人が祭物となって神様を解放しよう」と祈祷したのです。
④ 天聖経
真の神様 第四章 六 1.
天と地の未来の希望として解放の民族が、私を歓迎しようとしていたその群れが、雲の中の地獄へと消えていく、暗黒世界に去っていくのを見て、痛哭しながら再び会おうと叫んだのがきのうのようです。「お前たちは消えていったが、私は再び私の行くべき道を歩み、光明の朝日を抱いてお前たちを再び探し出して解放しよう」と宣言したのがきのうのようです。手錠をかけられ叫んだその声を忘れることはありませんでした。困難なとき、いつも祈祷したその姿を忘れることができません。
コメント・・・矛盾はあり得ない立場で理解する必要がある
「矛盾はあり得ない立場で理解する必要がある」とはどういうことでしょうか。
問題は、文先生が完成した立場であるなら、どうしてご自身を否定する御言葉③④を、新しい天地の標準となった『天聖経』に残されたのかです。 (『天聖経』には文先生の祈祷の必要性がたくさん語られている))
文先生が完成した人間として生まれ、生きられ、聖和されたとするなら、《 ①『天聖経』②『原理講論』 》と《 ③『天聖経』④『天聖経』 》は完全に矛盾しています。
仮に、この御言葉が矛盾せず正しいとするなら、文先生は堕落した人間の立場に立たれたことになります。つまり、文先生の生涯が一貫して完成した人間であったとするなら、①②と③④の御言葉が矛盾していることになり、これを語った文先生までも無力化してしまうのです。
このような問題をどう解決するのでしょうか。何があれば、①②と③④が矛盾しない御言葉になるのでしょうか。この答えを導き出そうとして、文先生のご生涯を御言葉から考察しているのが「777ブログ」です。
777の考察は、現家庭連合の方たち、或いは、分派しても家庭連合の流れに沿ったメシヤ観を持たれた方たちには受け入れがたいはずです。何故なら、この矛盾を矛盾しないものとして丸呑みしているからです。その為、その方たちにとって御言葉と文先生が無力化し、霊性が低下していくことになりかねないのです。