平和の主人 血統の主人

まさに、成約時代の毒麦となられたお母様

《 黙示録18章 3-10 節 》

3 地の王たち(幹部たち)は彼女(お母様)と姦淫を行い、地上の商人たち(教会長たち)は、彼女の(高額献金を得た)極度のぜいたくによって富を得た。

7 彼女(お母様)は心の中で『わたしは女王の位についている者であって、やもめではないのだから、悲しみを知らない』と言っている。

10  彼女(お母様)の苦しみに恐れをいだき、遠くに立って言うであろう、『ああ、わざわいだ、大いなる都、不落の都、バビロンは、わざわいだ。おまえ(お母様)に対するさばきは、一瞬にしてきた。

第六章 (48)人を善にする宗教の力  P.242  (世界平和を愛する世界人として  文鮮明自叙伝)


世界平和を愛する世界人として  文鮮明自叙伝
  第六章 愛は統一を導く ――― 冷戦終焉・宗教融和


(48)人を善にする宗教の力  P.242


 一九九〇年八月二日、イラクのフセインがクウェートを武力侵攻しました。「中東の火薬庫」と呼ばれるペルシャ湾に戦争が勃発(ぼっぱつ)したのです。全世界が戦争の渦の中に巻き込まれていくとき、私は「キリスト教の指導者とイスラーム(イスラム教)の指導者に会って、この戦いを止めなければならない」と考え、すぐに双方に連絡を取りました。その地の韓国と何の関係もないとしても、罪のない人が命を失う戦争は、全力を尽くして止めなければなりません。


 イラクの侵攻が始まると、直ちに私たちの教会の食口(シック)(家族の意。教会の信徒を、親しみ込めてこう呼ぶ)を中東に送り、各宗教の指導者たちを集め、中東会議を提案しました。中東地域と特に関係のない私が出ていって会談を提案した理由は、宗教人であれば当然世界平和のために奉仕しなければならないという使命感のためでした。キリスト教とイスラームの争いは、共産主義と民主主義の紛争と比べられるものではありません。宗教戦争よりも恐ろしいものはないのです。


 私はブッシュ米大統領(在任一九八九~一九九三年)に、絶対にアラブ圏と戦争を起こしてはいけないと何度も繰り返し伝えました。ブッシュ大統領はイラクを相手に戦争しようと考えるかもしれませんが、彼らは国の上に宗教があります。したがって、イラクが攻撃を受ければ、すべてのアラブ圏が団結するようになります。それで、イラクがクウェートに侵攻すると、すぐにシリア、イエメンの宗教指導者を集めて、ブッシュと絶対に戦争をしてはいけないという趣旨の緊急会議を開きました。アメリカが勝とうとイラクが勝とうと、爆弾を浴びせて家や野原や山を崩し、貴い命が血を流して死んでいくとすれば、何の意味があるでしょうか。

 中東地域に危機の兆候が見えるたびに、私たちの食口は、全世界の有名なNGO(非政府組織)と共に命をかけてイスラエルとパレスチナを訪ねていきます。いつ、どこで、どのように死ぬか分からない所に食口(シック)たちを送り出すのは心安らかではありません。ブラジルの熱い日ざしの下で畑を耕しても、アフリカの難民村を訪問しても、私の心は「中東の火薬庫」に飛んでいった食口たちに向かっています。そして、一日も早く世界に平和が定着し、彼らを死地に送り出さなくても済む日が来るようにと祈ります。


 二〇〇一年、ニューヨークの世界貿易センタービルが崩壊する青天の霹靂(へきれき)のような事件が起きました。世の中では、これをイスラームとキリスト教の間に必然的に起きる文明の衝突だと言います。しかし、イスラームとキリスト教は、衝突と対立の宗教ではありません。両方とも平和を重視する宗教です。イスラーム勢力は過激だという考えが偏見であるように、イスラームとキリスト教は異なるものだという考えも偏見にすぎません。宗教の本質は同じです。


 一九九一年、私たちは、全世界の宗教哲学者四十数人を集め、『世界経典』(Wilson Andrew, ed. World scripture A Comparative Antbology of Sacred Texts, Paragon House, 1991 )を編纂(へんさん)しました。


『世界経典』は、キリスト教とイスラーム、仏教を初めとする世界の主要な宗教の経典に登場する言葉を、テーマごとに比較、研究し、まとめたものです。ところで、作業を終えてみると、そのたくさんの宗教の教えの中で、約七割は同じことを言っていました。残りの三割だけが、各宗教の特徴を表す言葉でした。これは、全世界の宗教の七割は同一の教えを伝えていることを意味します。ターバンを巻く、念珠を首にかける、十字架を前に掲げる、などその外見は違いますが、宇宙の根本を求め、創造主の御旨(みむね)を推し量ろうとする点では、すべて同じです。


 人は趣味が同じだけでも良い友人になります。生まれた故郷が同じというだけでも、数十年を共に過ごした間柄のように話が通じます。ところが、実に教えの七割も同じ宗教どうしが、互いに話が通じないというのは本当に残念なことです。互いに通じることを話し、手を結べばよいのに、お互いに異なるところばかりを指摘して批判しています。世の中のすべての宗教は平和と愛を語ります。ところが、まさにその平和と愛をめぐって争いを起こしているのです。イスラエルは、パレスチナ人が暮らす場所に大規模爆撃を加えながら平和を主張しています。パレスチナの子供たちが血を流して死んでいくのに、彼らは平和のための戦争だと言います。


 イスラエルが信じるユダヤ教もやはり平和の宗教です。イスラームも同様です。『世界経典』を編纂(へんさん)しながら得た私たちの結論は、世界の宗教が間違っているのではなく、信仰の教え方が間違っていたという事実でした。誤った信仰は偏見を呼び、偏見は争いを呼びます。


 九・一一テロ以降、テロリストの烙印(らくいん)を押されたイスラームの人たちも、私たちと同じように平和を願う人たちです。長い間、パレスチナの指導者だったアラファト氏も、やはり平和を願う指導者でした。彼は、一九六九年にパレスチナ解放機構(PLO)の議長になった後、ガザ地区とヨルダン川西岸をパレスチナの独立国として宣布しました。一九九六年に選挙を通してパレスチナの自自政府議長(大統領)となった彼は、ハマスなどの過激派の活動を防ぎながら、中東の平和を目指そうと努力を惜しみませんでした。中東問題が困難にぶつかるたびに、私たちは彼と直接接触し、対話したことが十二回にもなります。


 アラファト議長の執務室を訪ねていく道は厳重です。自動小銃で武装した物々しい警備兵たちの間を通り、少なくとも三回以上の身体チェックを経てようやく入っていくことができます。ターバンを何重にも巻いたアラファト議長は、私たちの食口(シック)たちに会うと、笑顔で「ウェルカム!」と挨拶(あいさつ)をしてきます。そのような関係は、一日や二日で構築されたものではありません。それまで私たちが中東平和のために投入した真心は、とても言葉では表現できないほどでした。命がけで紛争地に入っていって宗教指導者たちと信頼関係を結ぶまで、私たちは血のにじむような努力をしました。お金もたくさんかかり、苦労をたくさんしました。それでようやく私たちは、アラブとイスラエルの双方から信頼を得て、中東紛争が起きるたびに仲裁の役割ができるほどになったのです。


 私が初めてエルサレムに足を踏み入れたのは一九六五年でした。当時は、「六日戦争」(第三次中東戦争のこと。一九六七年六月五日~十日)が起きる前で、エルサレムの東区がまだヨルダンの領土の時でした。私は、イエス様がピラトの裁判場に引き出される前に、血の汗を流して祈りを捧げたオリーブ山を訪ねました。そこには、すでに「万国民の教会」が建てられていました。


私は、イエス様が祈る姿を見守って以来、二千年を経たオリーブの木を軽く撫(な)でました。そして、その木にユダヤ教とキリスト教、イスラームを意味する三つの釘を打ち込み、彼らが一つになる日のために祈りを捧げました。ユダヤ教とキリスト教、イスラームが一つにならなければ、平和世界は決して目指すことができません。オリーブの木に打ち込まれた三つの釘は今も残っており、依然として平和世界ははるか彼方です。


 世の中は、ユダヤ教とイスラーム、キリスト教に分かれて鋭く対立していますが、実際の根は一つです。問題は、イエス様をめぐる解釈です。二〇〇三年五月十八日、アメリカの各教会で十字架を取り外す式典を行った牧師たち百三十二人がエルサレムに行き、イスカリオテのユダがイエス様を売り渡して得た銀貨三十枚で買ったという「血の畑」(マタイによる福音書二七章八節)の地に、十字架を埋めました。そして、その年の十二月二十二日、宗教と教派を超越して全世界から集まった三千人以上の「平和大使」と、イスラエルとパレスチナの人たち一万七千人以上がエルサレムの独立公園に集まり、イエス様の頭から茨(いばら)の冠を外して、平和の王冠を被(かぶ)せる儀式を行いました。そして、そこに集まった二万人以上の人たちが共に宗教と宗派を離れて人類の平和のために行進しました。その日、アラファト議長は、夜八時に合わせてパレスチナのすべての家の前に灯りを灯(とも)すようにさせて、私たちの平和大行進に深く関与しました。全世界にインターネットで生中継されたその日の行進を通して、イエス様は平和の王として復権されたのであり、お互いに反目していたキリスト教とユダヤ教、イスラームが和解する契機が与えられたのです。


 エルサレムには、サウジアラビアのメッカとメディナに次ぐイスラーム第三の聖地である、岩のドームとアル=アクサ・モスクがあります。そこは、ムハンマが昇天したといわれる場所で、イスラームの信者でなければ入れない所ですが、私たちにはその門を開いてくれました。彼らは、平和大行進を終えたキリスト教徒とユダヤ教の指導者を、寺院の奥まで案内しました。イスラームもやはり平和を愛する宗教です。私たちは、偏見と我執(がしゅう)で固く閉じていたタブーの門を開き、イスラームとキリスト教、ユダヤ教が互いに意思疎通できる道を開いたのです。


 もちろん、人編は平和を好みますが、一方では、争いを好むこともあります。非常におとなしい牛を闘わせたり、鶏がとさかを逆立たせ、鋭いくちばしで柔らかい肉片を噛(か)みちぎったりするのを見て楽しむのが人間です。それでいて、子供たちには「喧嘩(けんか)をしないで仲良く遊びなさい」と言います。結局、戦争を起こす根本原因は、宗教は人種ではなく、人の心性です。すべてのことが人の問題です。現代人は、すべての紛争の原因を科学や経済の視点から捉えることを好みますが、本当の根本的な問題は人間自体にあるのです。


 人を善にするのも、争いを好む人間の悪の本性をなくしてくれるのも、それが宗教です。世界のあらゆる宗教は、すべて平和な世界を理想としています。全ての天の国を願い、ユートピアを夢見て、極楽世界を念願しています。呼び名はそれぞれ違いますが、人間が夢見て願う世界はすべて同じです。この世界には数多くの宗教があり、その何倍も多い宗派がありますが、それらが願うことは一つです。それが目指す目的地は天国であり、平和の世界です。人種と宗教の対立によってずたずたに引き裂かれた心を、きれいに治癒する温かい愛の国なのです。

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