天聖経は文先生を「先祖」「人類始祖」として語られている。
文先生を「先祖」「人類始祖」として語られている。
下記のような御言葉は沢山あります・・その一例です。
祝福家庭と理想天国(1)
祝福と理想家庭 第二章 第一節 1.
第三アダムとは誰でしょうか。この地上に人類祖先の名をもってこられる三番目の方(再臨主、お父様)です。(15)
赤・天聖経 第二篇 真の父母
第二章 第二節
6 終わりの日には、どのようになるのでしょうか。天地がひっくり返るのです。天道が変わります。天道が変わるというのは、天が割れることではなく、丸かった地が平らになるということではありません。
天道が変わるというのは、み旨から見るとき、あとから出てくる人が先祖であり、先に出てきた人が子孫になるということです。
人類始祖が六千年目に来るので、その父母の血肉を受けてこそ、本来の正常な軌道になるのです。それで、イエス様は、「アブラハムの生れる前からわたしは、いるのである」(ヨハネ八・五八)と言ったのです。アブラハムより先にいたとはどういうことでしょうか。
イエス様は、父母として来ましたが、父母が二組ということはあり得ません。人類の先祖が二組ということはあり得ないのです。イエス様は、先祖格であり人類の真の父母格として来たので、み旨を中心として神様の側から見れば、アブラハムよりも先だというのです。