「見たことも、聞いたこともない堕落」とは・・・一体誰のことですか???
これが分かれば、天聖経が読める!!
アダムと言われる三人(最初のアダム、イエス様、文先生)
それでは、下記の御言葉のアダムとは誰だ??
その答えは簡単!!!!
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下記の御言葉 「メシヤと我々」 1972年4月23日 日本 東京教会
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六千年前のアダム・エバことではない
下記の御言葉にある『堕落』は、三人のアダムの中で六千年前のアダムでないことは誰にでも分かる。
何故なら、赤文字にそのヒントがあるからです。
「我々の先祖が堕落したことは見たこともないし、聞いたこともない。」と言っているからです。もし、この『堕落』が六千年前のアダム・エバの堕落のことであるなら、聖書を通して誰もが知っているからです。
ならば・・・、この『堕落』は誰のことを言っているのか???
六千年前のアダムでないとなると、イエス様か、それとも文先生か、このどちらかの『堕落』になります。
あなたは、答えられますか??
その答えは・・・こちらをクリック
(ヒント 文先生の40年サタン分立路程は条件的な蕩減ではなく事実蕩減であった。つまり、六千年前の復帰摂理を再現した縦的な総蕩減路程であった。)
文鮮明先生御言選集 55 1972 (書籍)
メシヤと我々 1972年4月23日 日本 東京教会
堕落したアダム・エバ、あるいは我々の先祖が堕落したことは見たこともないし、聞いたこともない。しかし堕落した結果の世界に生まれている。だから我々人類の生きている現世というもの、この世の中というものは堕落圏内に包囲されている。
これが問題である。
この堕落圏内から脱皮しなければいけない。乗り越えていかなければいけない。乗り越えていくには、個人としていかに乗り越えていくかという問題である。
個人を乗り越えた以上は家庭を中心として、いかにしても、これをまた乗り越えていかなければならない。家庭に限ったことではない。
あるいは氏族、民族、国家、世界まで、天宙の最高の基準を乗り越えるまで、ここには堕落圏がすべてを占領している。これをいかに正すかという問題が、我々堕落した人間として果たさなければならない、解決しなければならない重大な問題なのです。